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夢中と中毒のちがい

プロと言われる方々の多くは、その専門のことを夢中に没頭する力があるようだ。

端から見ると大変な苦労に見えるでしょう。しかし本人は夢中なので、苦労とは思っていない。(中略)一流の芸術家に趣味をあれこれやっている人はいません。(中略)その暇に絵を描いています。絵のことを考えています。絵を描いて疲れたら絵を描いて癒やします。
「絵を描く喜び」  千住博 より

過去にテレビで見た情報で正確でないかもしれないが、安室奈美恵はダンスが好きでずっと踊り続けていた、ということも聞いたことがある。

会社にも、とにかくものを作るのが好きで、納得がいかないと作品を床に叩きつけたり、就業時間後もずっと作り続けたり、通勤時間が惜しくて近くのホテルに泊まるという人がいる。彼のとてもすごいものを作る。

自分にも夢中になれるものがあるだろうか、と考えている中で「夢中」と「中毒」が似て非なるモノで、それらをを分けて考えることが重要だと思い、少し整理した。

中毒の例

最近最も有名で心配な中毒は、麻薬中毒・ギャンブル中毒などでなく、スマホ中毒だろう。本屋に行けばその手の本がたくさん見つかるし、実感している人が多いだろう。

とにかく、次々にクリック・検索したいものが出てきて、10分がいつの間にか過ぎてしまう。ある調査によると、スマホ使用時間の中央値は6時間34分ということだ。(スマートフォン利用に関する生活者実態調査 PR TIMES Mikke)驚くのが、同調査でスマホ使用時間の自己評価の平均値が3時間30分で、意識と実態に3時間程度の差があるということだ。この調査にバイアスがある可能性があるが、日常街を歩いたり、電車に乗ったりしたときの光景を見ると、あながち間違いではないのだろう。

かく言う自分も、ちょっとはスマホ中毒だし、過去はゲーム中毒だった。
なるべくやめるようにしているが、ふとした瞬間にスマホを起動してYahooニュースや過去の写真を見てしまう。
中学から大学は、ひたすらゲームをしていた。授業中は机の下でゲームボーイやワンダースワン、家に変えるとプレステ、という生活だった。

中毒と夢中の違い

中毒がネガティブで、夢中がポジティブなものとされるのはなぜだろうか。
ポイントは、個人の創造性を発揮するかということ、行為自体に満足できるかということだと思う。

中毒は、依存している状態だ。薬物や、他人の作った世界に。ゲームは、他人が作ったルールの中で、設計された面白さやフィードバックの虜になる。スマホは、コンテンツが広告費を得るために僕たちの好奇心をひたすらに刺激して、時間を奪う。
中毒にハマっているとき、満足に至ることはない。飽きるまで続けて、終わったあとに虚しくなる

夢中は、他人からのフィードバックはあくまでエネルギーの一つで、好き・楽しい・どうしても気になるということを主なエネルギーにする。人のタイプによるが、目標に夢中になることや手段に夢中になることがある。最初は他人で与えられたものであっても、自分事として没頭する。過程自体に楽しみがあり、結果に大きく依存することなく満足・充実感を得られる。

夢中になれるものってある・あったかな

自分には夢中になれるものがあるのか、というとお恥ずかしながらこれというものがない。
研究をしていた頃、夢中になったことがある。通説とされていることに対して違和感があって、それを証明した。でも、結局わかったところで経済価値を産まないということで終了した。
小さい頃、庭のハンミョウの幼虫をどうにかして地上に引き出す方法を探したり、魚の釣り方を考えたりした。その時没頭したことは今でも覚えている。

自分はSo whatよりもWhyが強い人間なんだろう。
今一度、自分がどんなものを好きだったかを考えてみる。そこに夢中の種があるだろう。

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