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村八分

村八分ライブ[73]村八分

ELEC RECORDS (PRESS ORIGINAL)

[激レア!エレック・オリジナル盤!]

ストーンズのファンだったチャー坊こと柴田和志(Vo.右)と山口冨士夫(G.左)を中心に1970年結成。京都を活動拠点としライヴ盤一枚しか発表せず73年解散。ドラムスがズレようとおかまいなしに突き進み、音源の発表よりもライブにこだわりつづけた。ヴォーカルのチャー坊のステージ上でのダンス、挑発的ながらユーモラスなMC、美声とは程遠いがなり声、[かたわ/めくら/びっこ]など現在では差別用語と言われるような過激な表現の歌詞と日本的な風情をもった攻撃的な楽曲、奇抜なメイク、チャー坊の生々しく超個性的な詩と叫び、フジオのドラッギーでキャッチーなギターが特徴で日本のロックにおいて[伝説/まぼろし]とされたバンドである。日本のロックの黎明期に[頭脳警察]のパンタ/[はっぴいえんど]の細野晴臣らと並んで、日本語で歌うロックを興したバンドとしてその名を残した。バンドのボーカリストだったチャー坊はやたらと横文字が並ぶ日本語ロックの中で、彼は独自の「ひらがなロック」の世界を作り上げた。


あッ!!
夢うつつ
どうしようかな
あくびして

鼻からちょうちん
水たまり
のうみそ半分
馬の骨

ねたのよい
ぐにゃぐにゃ
のびてぶぎー
んッ!!
どこへ行く
にげろ
どうしようかな
序曲


柴田和志 (1950年 - 1994年4月25日)ヴォーカル担当。通称チャー坊。

山口冨士夫 ギター担当。元ザ・ダイナマイツ。1980年に裸のラリーズに参加。

浅田哲 ギター担当。1973年2月頃脱退

青木真一 ベース担当。1971年脱退。

恒田義見 ドラムス担当。

*柴田和志(通称チャー坊): 1994年4月25日 (世界中のドラッグは一つだけ残して全部やった)そう豪語した彼らしく、[オーヴァー・ドーズ=薬物過量投与、薬物過剰摂取、drug overdose]で他界。解剖の結果、致死量の覚醒剤とモルヒネが血液から検出された。日本ロック界が生んだ最高の詩人と言われている

*日本語ロック論争(はっぴいえんど論争):60年代末頃からニューロックという言葉が流行しており、ニューロック=新しいロック、これからのロックは、日本語で歌うべきか、英語で歌うべきかが議論された。ニューロック誕生当初、日本語はロックのメロディーに乗らないというのが定説であり、日本のニューロックは英語で歌うミュージシャン(主に内田裕也、フラワー・トラベリン・バンド、ザ・モップスなど)が主流で、英語で歌い海外で成功すというのが彼らの共通の目標であった。そこにはっぴいえんどや、ボブ・ディランに影響を受けフォークからロックに転身した岡林信康ら、日本語でロックを歌うアーティストの登場により起こった議論である。



https://youtu.be/M4qicGFRsjA?t=12
 
 
 
 
 

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