見出し画像

広島八丁堀 福屋百貨店 1970年代に浸る

*2023年6月Bloggerで公開した記事を加筆修正して、noteへ移動した。

故郷広島のイメージは、長い間、家を出た1980年代後半のままだったが、2022年、広島へ帰ったとき、かつて週末ごとに遊んだ広島市中心街の面影をたどり、故郷の更新をした。

2020年3月以降、広島は帰る場所ではなく、行く場所になった。2011年に母さんが、2020年に父さんが去った。

でも、全く居場所がなくなったわけではない。広島に帰ってきた、と思える場所、そのひとつが、広島に本店がある福屋百貨店八丁掘本店だ。

かつて電車通り沿いに、福屋、天満屋、三越と三つのデパートが並んでいたが、現在、天満屋は、複合商業施設になっている。

福屋は、1929年昭和4年、広島で初めての百貨店として開店した。1945年昭和20年、8月の原爆投下によって元の本館は壊されたが、

1938年昭和13年に新館として建てられた現在の福屋八丁堀本館は生き残り、復旧工事と幾たびの改修を経て現在の形になる。

現在、福屋本店8階には、映画館八丁座がある。

wikipediaの情報を簡単に言うと、元々この場所には、松竹系の映画館があった。1975年東館がオープンし、8階に松竹系の映画館と名画座が入り2008年まで続いた、とある。

電車通り。左手の建物が福屋デパート。

福屋本館と東館の間。かつてこのあたりに靴の修理のおじさんやおばさんがいた。いつもここで靴の踵を付け替えてもらった。とても安かった。

正面玄関から入ったところ。1980年代くらいまでは、画像右手に受付があり、そこに母さんの妹、叔母さんが受付のアルバイトをしていたことがあった。

この場所で、母さんと弟と一緒に数えきれないほど待ち合わせをした。その多くは、母さんの2人の妹とその子供たち、おばあちゃんだ。

2022年に、この福屋デパートの正面玄関を入ったとたん、おばあちゃんの姿が浮かび上がった。おばあちゃんが笑うと、辺り一面がぱっと明るくなった。とても笑顔の美しいひとだった。

従妹のMちゃんは、おばあちゃんの話が出るたびに、おばあちゃんは美貌じゃった、と言う。その言葉の影には、Mちゃんのおばあちゃんに対する微妙な感情がある。

母方一族の歴史は、決して順風満帆な年月ではなかった。どこの家庭にもあるようなトラブルや争いには事欠かなかった。

でも、そういうあまり愉快とは言えない記憶と同じくらい、多くの幸せな瞬間があった。特に、母さんと弟と一緒に福屋のデパートで、おばさん達やいとこ、時にはおばあちゃんと待ち合わせするときは、最高に幸せな時間だった。

参考サイト


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?