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尻子玉

「退屈である」

「はは、されば陽気も良くなりましたゆえ、野駆の支度でも」

「馬に乗るは飽いた。なにか珍しき生き物はおらぬか」

「江戸におきましては、ゾウやらラクダと申す獣が見世物にいでましたそうでございますが――」

「我が領内にはおらぬか。裏山でゾウが柿を喰うておったとか、ラクダが畑を荒らして困るなどの訴えはないか」

「はは。殿の御威光によりまして、領内あまねく平穏にございます」

「戦でもするか」

「お戯れを」

「いきなり攻め入ったれば、隣国も驚くであろうの」

「おそれながら、殿の御姉上様は隣国に嫁いでおられますが」

「おお、そうであった。幼き頃より姉上に戦いを挑んで、未だ勝ちを得たことがない。あとでねちねちと小言を食らうも面倒じゃ。他にないか」

「野駆に飽いたと仰せならば、川遊びなどいかがでございましょう」

「川か……おお、そうじゃ。川には確か、あやつめが居ったな」

「は?」

「あれは余がまだ竹丸と幼名を名乗りし頃、三太夫、そちに連れられ夏の夕べを河原にて過ごしたことがあったの。余が笹舟を流れに浮かべ、夢中になって遊んでおると、若、お気をつけなさりませ、川には河童が住みおりて、深みに近寄ろうものならたちまち水中へ引き込まれますゆえ、決して近寄ってはなりませぬと――確か、そう申したであろう」

「いかさま。初めての川遊びゆえ、万一のことがあってはと、川の恐ろしさをお教えするためにもそのように――」

「よし、河童じゃ、河童。河童相手に一戦交える」

「おそれながら、河童というは云い伝えにて、実際に目にした者はおらず、たとえ川を浚ったとしても――」

「黙れ。かの信長公も城下の池に大蛇が出るとの噂を聞きつけ、御自ら退治てくれようと脇差くわえて池に飛び込んだというではないか。いざ、合戦じゃ。即刻、皆を集めよ」

 御殿の鶴の一声にて、一同すぐさま御前に畏まります。

「皆に集もうてもらったは他でもない。かねてより我が領民を苦しめたる河童めを、退治てくれようと思うてのことじゃ」

「か、河童でございまするか」

「我が軍勢をもってすれば、河童の百や二百仕留めるはたやすきことであろう」

「さ、されど、我が領内におきまして、未だ河童のために命を落としたなどという訴えはございませぬが」

「訴えがあってからでは遅い。武士たる者が後手に廻ってどうする。先手必勝じゃ。違うか」

「ははッ」

「されどひとつ、侮り難きことがある。河童というは、人はもとより、牛馬に至るも水中に引きずり込みて尻子玉を抜くと聞きおよぶが――尻子玉とはなんじゃ?」

「は?」

「いざ河童と一戦交えるにあたり、要ともいうべき尻子玉を知らずして遅れをとったとあらば末代までの恥。その方らの中で、尻子玉のなんたるかを知る者はおらぬか――三太夫、そちはどうじゃ」

「おそれながら、河童が尻子玉を抜くと云うは古来よりの云い伝えにて、それがし、この目で見たわけではございませぬゆえ――こ、これ、内藤、お主はどうじゃ。城中において知恵の内藤、知恵内、知恵内と呼ばるる男じゃ。お主ならば存じておろう」

「せ、拙者でございまするか? いや、さすがに尻子玉までは――」

「なんでもよい。殿が得心なさるようなことを申せ」

「さればその……殿に申し上げます。尻子玉とはおそらくは、はらわたのことではなかろうかと」

「なに、はらわたとな。はらわたとは長き紐のようなものじゃと聞きおるが、それがいかにして玉となる」

「はは、尻より引きずり出したるはらわたをば両の手に掛け、クルリクルリと巻き取りますれば、次第しだいに玉のようになりはせぬかと」

「糸巻ではないわ。三太夫、他に誰ぞ――」
 
 誰ぞ、といわれて三太夫、広間を見回せども、みな一様に面を伏せるばかり。中に一人、末席に控えし割金中左ェ門。太平の世にいまだ武芸に精進するがお家の為と信じる堅物で、これが真面目くさった顔にて正面を見据えているのを幸い、

「これ、割金。お主はどうじゃ」

「ははッ、それがし推察いたしまするに、尻子玉と申すからには尻の辺りにある玉ではないかと」

「うむ、それで」

「さすれば、これはもう、ただひとつより思い至りませぬ」

「ほほう、ただひとつと……待て、割金。滅多なことを申すでないぞ」

「されど殿のお尋ねとあらば答えぬわけにも参りませぬ。左様、尻子玉とはこれすなわち、男子と生まれたからには命の次に大事な大事な、金の――」

「控えい、割金。御前であるぞ」

「よい、よい、三太夫。名君とは、分け隔てなく家臣の意見も聞くものじゃ。苦しゅうない、申してみよ割金――うむ、大事な大事な金の――たわけ! 河童が引きずり込むは男ばかりとは限らぬわ。女ならばどういたす」

「その場合は、その、尻子餅でもつねって――」

「もうよい。ほかに誰ぞ――居らぬか。ならば実地にて調べるより他あるまいな」

「調べると申されましても、いかように――」

「囮を用いて尻子玉を抜かせるのじゃ。なに、これが尻子玉かと分かればそれまで。すぐに水中より引き上げるゆえ、命まで落とすことはなかろう。この囮の役目じゃが……割鐘、そちは水練にも長けておったな。うってつけじゃ。そちに大役申しつける」

「ははァ――」

 御下命あらば、たとえそれが尻子玉であろうと背くことなどもってのほか。早速、明朝、まだ朝靄たち込める河原に家臣一同うち揃いまして、中に一際目立つは、六尺豊かな赤銅色の身体に真白な下帯一本を締めたる割鐘中左ェ門。いかつい顔で畏まっている。

 御殿おでましになられますと、一同ははァ――と平伏し、進みいでたる田中三太夫、

「準備万端、整いましてござります。殿はこの船にお乗りあそばされまして、あちらの流れの緩やかなる辺りにてご覧頂きますよう」

「左様か。さればすぐに、割鐘に支度をさせい」

「は? すでに万端整わせてございますが」

「これより河童に尻子玉を抜かせようというに、尻を隠してなんとする」

「ははッ――これ、割鐘。下帯をはずせ」

「はっ? さ、されど、これを取り払いますれば下にはなにも――殿の御前にてはお目汚しかと」

「尻子玉を抜くにさまたげとなるもの、一切無用との仰せじゃ。構わぬ」

「しかれどその……拙者、身体に似合わず、持ち物にちと、自信がござらぬゆえ……」

「よいから早ぉいたせ」

「ああ、三太夫。割鐘にこれを――」

 御殿みずから取り出したるは、ありがたくもかしこくも、転び瓢箪の御紋所の縫い込まれましたる錦の腹帯。そこへずらりと、目にも鮮やかなる青々としたキュウリが簾のごとく垂れ下がりまして――早い話がキュウリの腰蓑。

「はは、これは?」

「ただ漫然と河童の現れるを待つも愚かしい。これは余が、好物のキュウリをもって河童をおびき出さんと作らせしものじゃ。これを割鐘に取らす。くるしゅうない。腰に巻け」

「こ、これをでございまするか……ははァ――これ、割鐘。御殿からの賜り物である。心中察するが――ありがたく頂戴いたせ」

「は、ははァ――」

 御殿からの賜り物とあらばこそ、歯を食いしばるように中左ェ門、裸の腰にあてがいまして、御紋所を正面にキリリと腹帯を締める。居並ぶ上役、同輩一同、赤裸に青キュウリという奇なる格好に、せめてもの武士の情けとそっと目を伏せる中、御殿ひとり御満悦にて、

「勇ましや、割鐘中左ェ門。よう似合うておる。これ三太夫。この縄の先を割鐘の腰へ」

「この上、まだなにか――」

「いざという時、水中より引き上げる命綱じゃ」

「ははッ、割鐘。殿の御配慮である。ありがたく――」

「さ、されどこれはまるで、腰縄を打たれたる罪人のごとき有り様。拙者、系図を辿りますれば戦国の世において足軽の出なれど、数々の武勲により家臣にお召し抱え頂いて以来、たとえどのような御下命であろうとすべては殿の御為と、いつでも一身投げ打つ覚悟にございまするが、これはあまりといえばあまりな格好。先年生まれましたる一子小左ェ門に、万が一にもこんな姿を見られたれば――」

「まだか、三太夫」

「は、ははァ――」

 有無を云わさず是非もなく、割鐘中左ェ門、引かれるままにザンブリと川の中へ。

「よいか。河童現れたる時は、隙を見せて敵を引きつけ、いよいよ尻子玉に手がかかったと思うたその刹那、命綱の合図をもって余に知らせよ。間髪入れず引き上げて、河童もろとも釣り上げてくれよう」

「ははァ――」

 御殿様、太公望気取りでご機嫌のご様子。一方割鐘中左ェ門、猿回しの猿か鵜飼の鵜、はたまた渓流釣りの毛ばり並の扱いなれど、殿の御為とあらばたとえ火の中、川の中。抜き手を切って流れを渡り、深みへと辿り着いたものの、なにやら水もぬめったようで、浮かぶ木の葉も水面に張りついたかの如く揺らぎもしない。水底は青黒く静まりかえり、いまにもズルリと引き込まれそうで、さしもの中左ェ門も、思わず尻の辺りを片手で押さえた。

「さあ、早ぉ」

 殿の一声がピシリッと真っ向を打ちつける。覚悟を決めてザンブと潜れば、山頂より湧きいずる谷川の水の冷たさに、全身キリキリと細引にて絡め取られたるがごとし。息の続く限り堪えにこらえ、もはやこれまでと水面より顔を覗かせれば、

「それ、もう一度」

「ははッ――」

 ザブン、ブクブク、キリキリ、ブハァー、

「まだまだ」

「ははッ――」

 ザブン、ブクブク、キリキリ、ブハァー、

「それそれ」

「ははッ――」

 ザブン、ブクブク――キリがない。居並ぶ家臣一同、役目仰せつかったが自分でなくてなによりと胸を撫で下ろしつつも、息継ぎの度に顔色白く抜けてゆく割鐘の身を案じておりますが、もうこの辺で、とは云い出せない。河童も河童よ、人の情けがわかるなら、早く出てくればよいものを、と八つ当たり気味に水面を睨むばかり。

 髪はざんばら、目の焦点は定まらず、肌色青白くして次第しだいにおのれが河童と変化しようかという中左ェ門。幾たび水を潜るうち、その冷たさに自然と小用を催してまいりまして、度重なる水責めにいささか正気も揺らいだか、えい、ままよ、殿の御前とは申せ水の中、ましてや下帯緩める手間もなく、狙い定める支えも無用。ナマズも河童も御免とばかり、グッと気張れば肌刺す川の水の中、一瞬、日溜まりのごとき温もりが下腹を撫でる。ホッとしたのも束の間、天然自然の理として、直後にブルブルッと震えが走る。これが舟の上におわします御殿の握りし命綱に伝わって、

「うむッ、手応えあり。それ引け――」

 御殿の号令一下、力自慢の家臣がいっせいに綱を引き上る。来るなと思って引かれるのと、不意を食らって引かれるのとでは腹の座りが違う。いきなりグイッと来たものだから腰に巻かれし命綱がギュウッと下腹を絞り、堪える暇もあらばこそ、思わず放つ不覚の屁。地上にあれば風に流れ、花の香にも紛れるものを、水中とあってはあぶくとなりて珠を結び、舟より身を乗り出したる御殿のご尊顔めがけ、龍が天空に昇るが如く、ゴボゴボゴボゴボゴボ――

「うむ、これはもしや――」

 御殿、食い入るように水中を透かし見ておりますところへ、いち早く事の次第に気づいたのが忠臣田中三太夫。家臣の尻よりいでたるものを、殿の御面前にくらわせたとあっては一大事。咄嗟に腰より抜きし白扇を、えいやとばかりに振り開くと、さながら水鳥の群れの飛び立つがごとく、はたまた土用の丑の鰻屋もかくやとばかりに、バタバタバタッ――

 間一髪、水面を割って、今まさに花開かんとした中左ェ門の放屁は、御殿の鼻先をかすめ、涼やかなる川風に乗って遙ぅか川下へと流れ去る。

「三太夫。ただいまの物、見たであろうな」

「ははッ?」

「余はしかとこの目で見た。水中にありてなお、玻璃の珠のごとく清らかに輝く様を。あれぞ世に云う尻子玉に相違ない」

 いや、それは中左ェ門の放ちたる屁にございます――と、喉元まで出かかった言葉を呑み込み三太夫、これで御殿のお気がすむのならと、

「は、ははァ――左様にございます」

 脇に控えし家臣一同も、あれは屁であろう、屁に違いない、と腹の内では思いしが、いらぬ口出しして長引きでもすれば、もはや中左ェ門の命に関わる。互いに顔を見交わして、ここは堪え所と口を噤むが、御殿、なおも追い打ちをかけるように、

「されど尻子玉とは不思議なものよ。水中においては珠と結び、水面をいでては淡雪のごとく雲散霧消す。一同の者、覚えたか。これぞまさに、尻子玉の正体である」

 そこまで云われて家臣一同、思わず腹の底から、

「それは、それは、屁、へェェェ――」

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