『スター・ウォーズ ヤング・ジェダイ・アドベンチャー』S1(スター・ウォーズ アニメ感想②)
あらすじ
ハイ・リパブリック初の映像作品
新三部作のおよそ200年前、拡大を進める共和国と黄金期のジェダイの前に立ちはだかる脅威を描く「スター・ウォーズ」の一大作品群「ハイ・リパブリック」。小説やコミックといった書籍媒体を主に展開され、日本でも講談社から『ジェダイの光』が、Gakkenより『イントゥ・ザ・ダーク』『アウト・オブ・ザ・シャドウズ』が邦訳刊行されている本シリーズの時代から全く新たな登場人物を迎え、キッズ向けアニメとして制作されたのが本作『ヤング・ジェダイ・アドベンチャー』です。
偉大なジェダイになることを夢見るカイ・ブライトスター、同じくヤングリングである動物好きのリス、青い毛に大きな目と耳を持つナブスの若き(幼き?)卵たちにパイロットの少女・ナッシュを加え、2等身にデフォルメされた登場人物が平和な惑星テヌーの寺院で修練に励んだり、トラブルに巻き込まれたりする中で教訓を得、大切なことを学んでいく。愛すべき日常アニメです。
とはいえそこは「SW」。一見低年齢向けにアレンジされているものの、見知ったロケーションやエイリアンは健在――というか、むしろマニアックでさえあり――で、「ハイ・リパブリック」を象徴する宇宙ステーションのスターライト・ビーコンやお馴染み米ディズニー・ワールドの「SW」エリア=ギャラクシーズ・エッジことバトゥーのブラック・スパイア・アウトポストを訪れるわ、小説シリーズのキャラクターがやってくるわとクロスオーバー要素に関してはかなり"濃い"部類でしょう。『Jedi Temple Challenge』から『マンダロリアン』S3に出演を果たしたマスター・ベクに続き、同じくYouTubeで年少向けに展開するショートアニメ『Galaxy of Creatures』のアリーまで出張ってくるとは。
これが「SW」デビューとなるお子様のみならず、マニアも思わず口角が上がってしまいます。
汝、善き隣人たれ
物語の舞台となるテヌーは銀河の外縁、アウター・リム・テリトリーの一部に属し、かつて勇敢な冒険者によって町が興されたこの星にはジェダイの寺院が建っています。本作の主役トリオであるカイ、リス、ナブスの3人はいずれパダワンとしてジェダイの弟子となるため、マスター・ジアやヨーダの指導の下、訓練中です。
『EP2』や『TCW』のイニシエイト回(カトゥーニやグンジーらがライトセーバーを作るお話)、旧レジェンズ時代の小説シリーズでも描かれたことのある「SW」の学校モノとしての部分にフォーカスする試みは特に映像作品に於いては新しく、銀河の中心惑星でジェダイという組織が膠着しつつつある新三部作時代に比べるとかなり自由で風通しが良く、メイン3人と並んで主要登場人物であるナッシュも常日頃から気軽にテンプルに出入りしては一緒に出掛けたり、修業に付き合ったり、レースに誘ったりしています。こうした、より身近で自然、等身大なヤング・ジェダイたちの在り様は本来の視聴者層にも親しみやすいのではないでしょうか。
また、従来の「SW」作品とは異なって、定住型でお話が展開されるため、食堂のマスターからジャンクヤードの店主、賞金稼ぎにドロイド、お姫様にインチキ実業家――と子供から大人、友達から困ったちゃんまで身分や立場の差なく顔見知りであり、旧三部作~続三部作、果てはアニメシリーズ初出のエイリアンまで多種多様で茶目っ気たっぷりなサブキャラクターたちがお馴染みのように幾度も登場する賑やかさも見どころです。映画シリーズの一瞬映ったモブにも詳細な設定や経歴が存在する「SW」らしさに立ち返った楽しさともいえるかもしれません。
当然、人が大勢いれば譲れないもの、摩擦やトラブルも付きものです。が、決して単純な悪即斬に傾くことなく、善人も悪党もやり合いながらも互いのスタンスを理解した上で受け入れ、ときにはぶつかり、ときには共闘しながら折り合いをつけて同じテヌーに暮らす仲間として共存していく。いまはわかり合えなくてもきっといつかは……と相手の身になってまずは胸襟を開いてみる。非常にイマドキで、子供向けアニメらしく道徳的と述べてしまうのは簡単なれど、究極的にはそれこそがルークがアナキンを、レイがベンを救えた最たる理由に通じているハズで、"立派なジェダイになる”とはつまるところそういうことなんですね。
仮面の下に隠したもの
そんな本作でカイたち3人に敵対するライバルが海賊を名乗る悪童3人組です。赤いバイザーのマスクにマントを羽織ったリーダー格のテイバー、気弱なガモーリアンのポード、ドロイドのEB-3から成るテイバー一味はテヌーの町――クブロップ・スプリングスで事あるごとに悪事を働き、住人たちから煙たがられ、何度もカイたちと衝突します。身の丈に合わず宙域一の海賊を自称し、強奪行為を繰り返す彼らは一見ストリートキッズのようでもありましたが、シーズンフィナーレにてテイバーの抱える事情が詳らかとなり、大きな驚愕を伴って視聴者に衝撃を齎しました。
ダース・ヴェイダー、ボバ・フェット、キャプテン・ファズマ、クローンたち――「SW」の歴史はいまも昔も常にマスクキャラと共にあり、クールで魅力あるアイコンとして在り続けてきました。その一方で、素顔が見えないからこそ、その仮面の奥にどんな表情を浮かべているのか気になるのもまた性です。
小説やコミックといったスピンオフ作品では媒体に適していることもあってそうした心情が往々にして掘り下げられ、特にヴェイダーに至ってはアナキン時代の"名残"に引っ張られるかのようにその未練に苦しめられ、断ち切る物語が綴られることもしばしばです。近年のドラマシリーズでも兜割れやメットオフはここぞという場面をウェットに盛り上げるため効果的に用いられることが多く、『マンダロリアン』S2でグローグーを救うために教義をうっちゃったマンドーや、『反乱者たち』のVSアソーカ戦を踏襲するかのような『オビ=ワン・ケノービ』でのアナキンとの"再会"に心を揺さぶられたのも記憶に新しいでしょう。
今作に目を向けると、S1最終話でテイバーの正体が判明すると同時に、これまで秘されていた彼の行動理由が一気に腑に落ちるつくりがまず巧いです。視聴者に予想させる隙を与えないことで最大級の効果を発揮する配信スケジュールの調整は言わずもがな。事実を知った後で改めて第1話から再鑑賞してみるとかなり印象が変わってきます。そして、その根幹たる原因が家族のすれ違い、機能不全にあるのが実に心苦しいです。
グッドエンディングへと至る道
得てして「SW」は親子の物語である、と称されます。ルークとアナキン、ベンとハン、ジンとゲイレンetc……。本アニメのもうひとりの主人公ともいえるテイバーが悪行に走る理由もそこにありました。
王族でありながら民を鑑みず、惰性を貪る両親。恵まれた環境を享受しながら忸怩たる想いでそれを見つめ、現状を変える勇気のない己を恥じ、苦虫を嚙み潰す。だから仮面を被り、宙域一の海賊として一旗揚げることで誇れる力をもって存在理由とする。年端もいかない少年が背負うにはあまりも辛く、重たい呪いです。
翻ってそれはこれまでの「SW」で度々描かれてきたような超銀河的な規模の"親子喧嘩"などでは全くなく、どこの家族にも、どんな親子にも起こり得る何ら特別でないコンプレックスの発露でもあります。S1最終話ではこれみよがしなほど旧三部作の出来事にオマージュを捧げていますが(お馴染みの歴史は繰り返す、というやつです)、未就学児をターゲットにした作品で「SW」の"核心"たるテーマを普遍的な――場合によってはメイン視聴者層が現在進行形で直面しているかもしれない――家庭内の問題という視点にまで降ろし、変換せしめる。そこに当作品の凄さと意義が詰まっています。
では、そんな物語の中でジェダイが果たすべき役割とは一体何なのか。多くのワルたちと対峙し、仲間と競い、トラブルも経験しながらその都度模索し、学び、成長し、視野を広げてきたカイにできるのは歩み寄り、まずは相手の善性を信じて話してみること。何事も第一歩はそこからなのです。
自分の正体を知らず、それでも変わらず手を差し伸べるカイの姿に揺れるテイバーの心。手を取り合ったその先に待つのはきっと、いまよりもちょっと良い未来に踏む出すきっかけであるに違いありません。かつて対立していた、マスター・ジアと泥棒であるエースが友情を結べたように。
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