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百姓直伝 家庭菜園の奥義?

専業農家8年目

農家なのだから当たり前と思われるかも知れないけれど、これまでの7年間お米と野菜を育て、販売しながら生きてきました。少し前までは、ずぶの素人だったのに!人間って、すごいね!

農業スタイルは、俗に有機栽培とか自然農と呼ばれるものに近い。
なぜ言い切らない(言い切れない)のか?と言うと、有機JAS認証を受けてもいなければ自然農の定義やルール?をしっかりと理解してもいないから

細かな部分は、よく判らない。し、正直 形はどうでもいいと思っている。だけども7年間 自分に嘘を吐かずに百姓を続けてきた自負はある。作物と相談しながら二人三脚でこれまで歩んできたと胸を張れる。

そんな百姓が悩める家庭菜園の主に、役にたつんだか、立たないのだかわからない奥義を伝授します。役に立たない(あっ、コッチは言い切った)奥義だけれど極めれば、たぶん他には何も要らなくなります。

有機栽培はむずかしいのか?

家庭菜園の頃から考えると10数年 土を触ってきた。
少量多品目栽培と言う合理化とか効率化の真逆のスタイルを志向しているから、年間作付品目は大体60系統100品種くらいを作付けしている。まあ普通に見かける野菜は、だいたい育てている。

その経験のなかで、ひとつ言えるのは、『人が言うほど有機栽培はむずかしくはない』です。

勿論、作物によって栽培の難易度は上下するけれど『こりゃ無理だ!』と匙を投げだした事は殆どありません。強いて言えばパプリカくらいか?そのパプリカにしても換金作物として育てるには分が悪い、絶望的に割に合わない、から育てないだけで、自家用でよければ、それなりに育ってくれます。

じゃあ、なんで有機栽培は難しいと思われているのか?

有機栽培を難しく、してしまっている原因

・土が育っていないのに、慣行栽培と同レベルの作物を育てようとしている
・作物の特性、自然の特性を無視して、育てようとしている
・作物が求めるタイミングではなく、自分のタイミングで世話をしている

など殆どの原因は人の側にあります。
『~している』から、難しく してしまっているのです。
『~しよう』って気持ちで田畑に接すれば、そんなに難しくはないのです。

田畑に正解なんて、なくていい

近頃は、流行りなのか?なんなのか?
ミスする事を恐れる人が多過ぎです。
最初から成功を求める人が多過ぎます。
おっちゃんは、ネット社会の弊害だと思ってる。
それじゃあ、いつまで経ってもたどり着かないよ。

完璧を目指して下調べはバッチリ、準備万端。
youtubeでカリスマ農家が話す内容を聞いたぞ!これで大丈夫。
農業本を隅々まで読んで、書いてある通りにやりました!
これなら絶対成功するぞ!

そんな訳あるか!

正解しかない世界なんてつまらない。
別に急がなくてもいいんです。誰のために家庭菜園をやっているの?

野菜と相談をしながら、お互いに譲り合える折衷案を探してゆけばいいんです。落し処を見つけたらいいんです。間違えて、失敗して、謎だらけで、時々よろこび、時々落ち込みながら、そうやって一緒に過ごした時間の積み重ねが、あなたにしかできない家庭菜園を育ててゆきます。最初からゴールが見えていたら一緒に育つ歓びもないじゃないか、そう思わない?

ゆっくり焦らず少しずつ環境を育ててゆきましょう。(自然も作物も急激な変化を嫌います。穏やかにゆっくりとが基本)環境がしっかりと育てば、野菜も勝手に育つようになります。時々、タイミングをみて手助けをしてあげなくっちゃいけない場面もあるけれど、基本は野菜に自立してもらうこと。自分の足で立っている野菜には、雑草や虫や病気に負けない強さがあります。甘やかすことは、その場しのぎにしかなりません。

ゆっくりでも自分の菜園を野菜と一緒に育てていきましょう。
あなたの菜園は、あなたにしか育てることはできないのだから

はじまりは好き

僕は、農業をする上でいちばん大切なのは気持ちなのではないか、と確信を持っています。かわいい彼女を落とすのに恋愛指南書通りじゃむすかしい。
まずは熱いハートがスタートだから、って当たり前でしょ。

大の大人が真顔で『好き』を語れば、笑われちゃう世の中だけれど、これ以上の真理を僕は知らない。
はじまりは、いつだってスキからなんです。

野菜を野菜として見ない。雑草を雑草として見ない。なにか一場面だけを切り取って見るのではなく、圃場(畑)全体をひとつの生命として捉える。

農園で手に負えないくらいの病気や虫害が起きた時、コトはすでに終わってる。現れたのが今なだけ。表面的な対応じゃ、意味がない。どこか遠くで、もっと前に、根本が、なにかが間違えていた。いま表現している問題は、これから先のもっとおおきな問題を解決するために与えてもらったこと

毎日 観察をする。気を配る。そうやって心をそこに置いていれば、最初は見えなかったものが見えてくる。最初は聞こえなかった声が聞こえてくる。
毎日失敗を繰り返し、毎日進退を繰り返す。一喜一憂して、一緒に育つ。

作物が求めていることをタイミングよく過不足なくキャッチするには、好意と興味を持って、日々を接するしかない。

相手のことをわかりたい気持ちがあれば、いつか届きます。絶対に

好きの産物

7年間専業農家をしてきた結果、7歳と4歳の息子達のたぶん7割くらいは、お父ちゃんが育てた作物でできているハズである。ある意味、息子達もぼくと彼らの共同作品。

好きが愛を育てています。











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