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恋と農業 多様性と農薬

お米や野菜たちが元気で健やかに育ってゆくためには圃場(田畑のこと)の多様性が欠かせません。自然も作物も安定した環境を好み、急激な変化を嫌います。環境を安定させるためには、多種多様な命の助けが必要になってゆきます。今回は、そんな話を書いてみたい、と思いましたが...頭が微妙なうえに専門知識もないために説明が難しいです。う~んと唸ってから早々に諦めて、例え話に切り替えて進めていきます。諦めるの早!

家庭菜園時代のカオスな畑

わかり易く単純で深みのない説明

例えば、100の容量がある場所に10種類の命がいるとします。それぞれ10ずつを住処にして、拮抗しながら暮らしています。ある時に1種類が死に90しか使用されない状況になりました。残った9種類の命のなかから空いた10を占領して20になる命が現れました。パワーバランスは簡単に崩れてしまいました。他の8種類の命のなかに20の命に対抗する能力を持ったものがいなかった場合、増長した命は、他を侵食し始めます。もし、20のちからを持った命が作物に悪さをする病原菌や害虫だったら圃場は、どうなるでしょう?

例えば、圃場に棲んでいる命が20種類だったら、50種類だったら、100種類だったら、どうなるでしょう? 100の容量に対して、100種類の命が暮らしています。その内の1種類が死にました。空いた席は1だけです。その1を得た命の占める割合は、1/100から2/100になりました。バランスは多少崩れましたが、残りの98/100がそれ以上に増えることを許しません。 これくらいの勢力ならば作物が元来持っている抵抗力の許容範囲内に収まります。

勿論、自然はそんなに単純じゃないから計算通りにはならないのですが、農業に多様性が必要だと考えている輪郭を、すこしは理解してもらえたのではないでしょうか?

彼らの道を切り拓いてくれる農薬

人は、ある特定の命に対して、最大限効果がある農薬を求め、開発改良を続けてきました。通常 農薬は、特定の害虫や病原菌を標的にして、使用されています。ですが、そのちからは否応なく他の命も奪ってしまいます。100分の1を殺すために、ついでに100分の数十の命も奪います。益菌も益虫も日和見菌も関係がありません。

結果、圃場には、対抗する勢力の居ない空白地帯が生まれました。

ここで問題になってくるのは、良い命(益菌とか益虫)よりも悪い命(病原菌や害虫)の方が農薬に強い場合が多い事です。それが性質的なものなのか、排除され続けた結果 手に入れた資質なのかは、学のない僕には判りませんけれど、兎に角、特定の命(じぶん)を殺すために作られた農薬から生き延びるために命は変異をし続けます。そうして強い生命力を手にした耐剤性のある悪い命が誕生します。しかも、自分が暴れまわることを抑える他の命は、農薬のお陰で少なくしてもらっています。(なんか近頃流行りの彼に、似てますね)

さあ、やりたい放題の始まりです。

※ここで書いている 良い命、悪い命の区別は、人間から見て益を為すか、害を為すか、の意味です。僕は、すべての命に役目があると思っています。人から見て害を為す命も 実は、人が壊した安定を取り戻すために自然が遣わせたと考えています。問題を産むのは、いつも大体が人の側にあります。
ただし、僕は営利農家なので彼らが暴走しないようにしたいと考えてもいます。まぁ、この話自体が、その為の一部分なのですが…

キレイとバームクーヘン

作物に害を為す命を殺す為に使った農薬が、計らずも、彼らが暴走しやすい状況を作ってしまいました。だから慣行栽培(農薬と化学合成肥料を使用する一般的な栽培)では、作物を育てる前に土壌消毒などで圃場をまっさらにしようと考えます。とりあえず良い命も悪い命も全部殺して0から始めて、益菌も益虫もいないけれど病原菌や害虫もいない、また彼らが出ないように、繁栄しないように、を目指します。

一度 圃場に現れてしまえば抵抗、対抗する命がいないのだから、なんとしてでも現れないように定期的に農薬を散布します。だけれども、殺せば殺すだけ耐剤性を持った命は殺しにくくなってゆき、とばっちりを喰らった味方ばかりを殺してしまいます。使えば使うだけドンドンと状況は不利になってゆきます。悪い堂々巡りのはじまりです。そして、このやり方だと5年先も10年先もおなじように、まっさらからのスタートになってしまいます。もう、その頃には、味方は数えるほどです。(閉ざされた環境で自然の持つ回復力に乏しく、特に農薬を多用する施設栽培≒ハウス栽培では、よくあるパターンです。)

一方で有機栽培や自然農と呼ばれる農法では、農薬が使用できません。それに対応する為に、そもそも農薬を使用しなければならない状況にならないようにしてゆきます。毎回0からスタートするのではなく、10から20へ、20から30へと年を経て、命を増やし、分母を大きくし続けてゆきます。

だから地層のように、バームクーヘンのようにドンドンと命を積み重ねてゆけばいいと僕は考えています。命は命が好きなんです。命は命と惹かれあうものなんです。圃場を命で飽和すれば、いいのです。その為に、自分にできるお手伝いをするのが百姓の役割だと思っています。文字通り、野を良くする仕事が、野良仕事なんです。

グダグダと例えてきましたが、わかり易い考え方としては、西洋医学と東洋医学の考え方の違いにちかいのかな?対処を前提に考えるのか、根本のちからを伸ばす事を考えるのか、の違いです。

※便宜的にわかり易く伝えるために書いています。当たり前ですが、慣行栽培で素晴らしい圃場、作物を育てている農家さんもたくさんいます。有機栽培でも『農薬さえ使わなければOK』『有機の肩書は、商売に有利だから』と考えている有機農家さんもたくさんいます。なにを栽培の指針としているかは、結局 個人、組織体の心持でかわります。

少なくとも僕はすべての農家さんに対して、尊敬の念を持っています。どんな形態であれ、これだけ割に合わない仕事を使命を持ってされている、それだけで十分だと思っています。今後は、その事も伝えていきます。

多様性は誰のため?

巷では多様性が大事だ!と喧伝され、大流行です。土から社会を覗いている僕も勿論その意見には賛成です。でも、もう一歩踏み込んで『どうして多様性が必要なのか』を真剣に考えている人がどれだけいるのかな?とも思います。多様な命が生き続けるには、多様な環境がなくてはいけません。命は命と繋がっているからこそ強さを得ます。単体のみでは生きていけない、たとえ生きていけたとしても、とても弱く不安定になってしまいます。

しっかりとした土台があってこそ人は安定して生き続けられます。人が持続していく為に、多様性が必要なのではないでしょうか?自分達の為、人間様の為にやっていることなのに、なぜ、北極のシロクマが!とか、絶滅危惧種が!などと、さも自分達は他の命の為に良いことをしようとしてる、正しい側に立っていると言い訳するのかな?直視しないから本当の意味では、変われないのではないでしょうか?

もはやこれまで、今日はこれまで

少ない脳みそ なのに、伝えたい内容をできるだけわかり易く書こうとする事は、本当に難しいです。頑張ったのだけれども導入部分で今日はギブアップです。こんなに読みにくい駄文なのに、ここまで読んでくれてありがとう。嬉しいです。

大好きなコトを人にも知ってもらいたい。その根源的な欲求のままにバームクーヘンみたいに積み重なってゆく話を、これから書いていきたいです。またね。

※これまでも、きっとこれからもココに書かれている内容は『ぼく』と言うフィルターを通っています。絶対に正しい訳ではありません。『それは違う』『あんた間違えている』と受け取ってもらっても、まったく問題ありません。そこから自分なりの答えや解釈をしてもらえる切っ掛けになれば幸いです。


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