見出し画像

変化しようとするときのストレスと変化しないときのストレス

今日は、ひとのことアカデミー「わたし」が「わたし」を学ぶ《応用・発展クラス》 を受講。

変化するときのストレスと変化しないときのストレス

変化するときにも変化しないときにもストレスはある。
その違いを知ったことが印象に残ったので、記しておこう。

〈変化しないときのストレス〉
枠を越えないように越えないようにと、自分を監視するストレス。
・成長は見られない。
・自己嫌悪感がつきまとう。

〈変化するときのストレス〉
枠を越えよう!枠を出よう出ようとするストレス。
・成長がある。
・枠を出たとき、できたときの喜びがある。
・自己肯定感が高まる

枠を越えないようにと自分を監視することがストレスになると思うと、同じことを繰り返すことが楽だというのがより腑に落ちる。

変化したい自分の欲求に気づいている時点でストレスは発生する。
「変化しないこと」自体にストレスを感じていると思っていし、事実そこにストレスを感じることも確かだろう。
だがそれ以前に、変化したい欲求を感じているのにそれをないことのように扱うことは苦しい。

全く自分の欲求(潜在意識)に気づかずに、同じことを繰り返している間は、苦しさやストレスも顕在化していない。
それって楽じゃん!って思ったけど、病気というカタチで表現するパターンじゃないか。

一方、変化することにもストレスはかかる。
枠を出よう出よう!とするストレス。
枠を越えた瞬間、何かを達成したり、何かできるようになったことがあったりするので、ストレスを感じた先に喜びがある。


常にどちらかのストレスがあるわけではなく、どちらもあるなぁ、と1日を振り返って思う。

バイト先で入居者さんの食事介助をしながら、スムーズに食べるものとそうでないものがあるから、味の好みなのかなぁ?と興味が湧いたり、以前は「ぐわぁーっ!ぐわぁーっ!」って言いながらでも伝えたいことを表現していたのに、発語がないことに対して関心があったり。
こうなのかな?ああなのかな?と湧いてくる思考や以前会ったときや今日の状況については話すものの、わたしの気持ちを伝えていなかった。

・自分の欲求伝えようにも誰もキャッチしてくれないから、諦めたのかなぁと推測すると悲しくなる。
・反応がないのは、寂しい。
・反応があってほっとしたし、嬉しい。

これらを伝えることが習慣になることが、わたしにとっての変化だ。
そう。枠を出よう出よう!という感覚はあったのよ。今日じゃなくてもよくあるの!
こういうことが自分にとってのストレスになっているのかぁ。
気持ちで表すなら、「もどかしい。」「何か物足りない」という気持ちがしっくりくる。

また、同じ入居者さんに対して話しかけながら、「反応を待つ」ということは、今日のわたしが意識して行動したこと。
声に出して反応したのは2回だったが、口を開ける、閉じる、開眼する、閉眼する、表情が緩む、表情が険しくなるというのもそれぞれに反応していたこと。
それらひとつひとつを待って、受け取りながら食事介助をしていたので、鮮明に「食べるっ!」「いらんっ!」と言葉になって反応があった瞬間は嬉しかったし、ほっとした。
待っている間は、多少もどかしさを感じ、待つことが習慣となっていないわたしにとってはストレスを感じることだ。
だが、反応や意思表示があった瞬間に喜びがある。

ストレスを感じたら、どっちのストレスか?
感じる時間を自分に与えよう。

思考まみれになっている自分に気づいたら、五官というセンサーを使って自分を感じる時間を与えよう。
そこには必ずメッセージがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?