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相手のニーズに喜んで応える

今日は、ひとのことアカデミーの講座、第二回「わたし」が「わたし」を学ぶ《応用・発展クラス》の日だった。

テーマは「社会とわたしとのつながり」
月に2回同じテーマで開催されており、今日は再受講。前回の学びはコチラ↓↓↓

この日は、わたしが本当に叶えたいこととして、
・できるだけ相手のニーズに応えること
・自分に正直であること
をあげている。

今日は更に拡がり、深まる。
わたしは、「自分を含めたその場が居心地よくなること」に最善を尽くしたいという想いがある。
そのための役割として、自分に正直でありながら、できるだけ相手のニーズに応えたい。

この「できるだけ」というのは、制限がある表現で窮屈に感じる。のびのびと生きるなら、相手のニーズに喜んで応えたい。
そのために、観察力を磨き、多様なスキルを身につけたいと考えている。
多様なスキルと書いたが、「こんな家に住みたい」と言われてもわたしは設計もデザインもできないし、そのスキルを磨く予定もない。
では、どんな分野において多様なニーズに応えたいのか。
すぐに浮かぶのは、「生活」「暮らし」。これもまたざっくりしてるな。「料理」とか言われてもねぇー。だいぶ頑張らないかん感じするしなぁ。
でも絶対やらん!って気もしないしなぁ。
お菓子やパンなら焼けるよな。
これまでのことを振り返りながら、整理していこう。

毎回、心は動くけど叶えられないこともある。
グループホームや老人ホームに行った際に、「もっと長く風呂に浸かっていたい。」「外に出たい。」「散歩に行きたい。」といった入居者さんの願い。
叶えられそうで叶えられないもどかしさは、「そんな環境ごとつくるってどういうことか?」「それが実現している社会はどんな社会なのか?」という問に変わる。

相手のニーズに喜んで応えることが、わたしが社会とつながるということか。

先日、グループホームにて。
入居者さんが母の日に子どもたちからもらったという紫陽花の水やりをした。
会話の中で自然と頼まれてやったことだったが、数日後に行ったときにはまた萎れていた。
「あぁ、頼みやすい人、頼みづらい人っているのかもな。いや、いるよな。いるわな。」
わたしはどちらかというと愛想のいい人間ではない。無愛想ということばの方が似合う。
だから、仕事中は意識して自分から話しかけたり、にこやかに過ごすことを心がけている。
それは、できるだけそこで過ごしている人たちが居心地よくいられるようにという想いのもとに。
無意識のときは、絶対ぼぉーっとしてるか、何かに夢中になっていて表情がなくなっている。

紫陽花の水やりをして何より嬉しかったのは、花が生き返る様子を見ながら、「よかったね〜。嬉しいね〜。花、しゃんとしたね。蕾、開いてきたね。」と喜びをシェアできたこと。
わたしにとってのニーズに応えるとは、喜んでニーズに応えた先にともにシェアする喜びがあること。



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