見出し画像

5月19日の日記

今日の午後は、ウッドデッキづくり第1弾「防腐塗料を塗ろう!」的な門前町の活動に参加。
まぁ、実際こんなタイトルはないのだが。

「こんなのあったらいいな。」

という誰かの夢やみんなの夢を叶えるしごとのひとつ。

「嘆く暇があるなら、想像して創造する。」

このまち(コミュニティ)の文化のひとつ。

そして、周りを見渡せば10人以上のひとたちが集まっている。
塗料を塗りながら、お互いのことをシェアする。最近のことから過去のこと、自分自身のことや家族のこと、楽しかったことも悔しかったことも悲しかったことも嬉しかったことも。

あぁ、しあわせだなぁ。
この瞬間そう実感していいのに、わたしはこのプロセスもしあわせになるためにしていることだと勘違いしていた。
「わたしに興味関心を持つ人が目の前にいて、その人と会話をしている。」ということがどれだけしあわせなことか。

数年前のわたしが欲しくてたまらなかったことがすでに叶っている。

今日の会話の中で、「どんな占い師になりたい?」と問われた場面があった。
わたしには、「次の一歩を踏み出せるような影響を与えたい!」という希望がある。
小さな一歩を踏み出すことが、自尊心を育むと考えているから。
だけどよくよく考えたら、踏み出すっていうのは行動すること。感じることと考えることがすっぽ抜けてんじゃん!と、今アウトプットしながら気づく。もうわたしそのもので笑える。いや、笑えない。が、笑っておこう。

わたしは、大抵気づけばもう動いている。感じていることはあるはずなのだけど、「あぁしなきゃ。こうしなきゃ。」と思考まみれで、感じていることをキャッチする余白がない。
結果、感じていることとの乖離があって、望まない結果になることが多々ある。

その点、老人ホームなどの現場では、観察する余白があり、感じて、「さてどうしようか?」と考えて行動している場面がある。
感じて考えることの実践の場となっているのに、他の場となるとそのことが全くの白紙になっているなぁ。
そう思うと、鍛錬のしがいが生まれる。

話は戻って。
今日、あぁしあわせだなって実感したわたしがいたように、物の見方を変えて、価値観が広がっていく人が増えたらいいな。
わたし自身が観察して、感じ、考えることを身につけていこう。
いつだってこの原点に戻ってくるな。
それくらいすぐに忘れて過ごしているのね。
わたしの欲求は、10年前と変わってない。

希望は、そんな人が増えたらしあわせに生きる人が増えるから。
価値観が違うのは当たり前だし、違うからいいのだけど、対立の原因になるのも事実。価値観が広がって、許容範囲が広がったら、自分自身が楽になる。そして、対立する必要がなくなる。そしてなんなら、新しいものが生まれる機会にさえなっていく。
そんな世界がこのまちから広がっていく。
その一助となることが、わたしにとってのしあわせだ。

よーく、観てみよう!
基本視野が狭いからな、めっちゃいろいろみえてくるよ。笑
たのしみだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?