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ものもらいの主張 2

朝起きると、右眼が開かない。
昨日以上に腫れ上がった目は、わたしに何を訴えているのか。

右側に症状が出る時は、男性性、社会性の循環がうまくまわっていないとき。
心当たりがあるのは、1日8時間、週に4日のバイトを始めること。随分と長い間、元旦那やシェアハウスなどのおかげでフルで働かずに暮らせていた。
体力的な不安や久しぶりの現場に対する不安がある。一つひとつ詳細に見てみよう。
体力は、始めはしんどかろう。これまで1日中立ちっぱなしの仕事からは離れていたし、これといった体力作りもしていないのだから。ただ、毎日ケアすることはできるし、体力をつけていくこともできる。どんな方法があるだろう?睡眠を十分とることも大切にしたいな。
そのためのアイデアや計画がないことが不安なのだ。そうだ!食事づくりも今は行き当たりばったりだけど、準備や工夫がいるな。

細かく想像してみると、ただ漠然とした不安から自分が叶えたい状態があることが見えてきた。


もうひとつ。
はっきりと見てしまうと、全てを見てしまうと間違えることができないという思い込み。

わたしの奥底にある願望。
恋は盲目と言うけれど、そんな状態の自分を恥だと思っている。過去を振り返ってそうだったときの自分を思い出しても受け入れ難い。そして何より、元旦那と結婚するときのわたしは恋愛と結婚は別のものだと考えていたことを思い出した。恋して結婚したって上手くいかないだろうという思い込みがあったから。もちろん好きな人ではあったけど、周りが見えなくなるほど夢中ではなかったと思う。
まぁ、結果上手くはいっていないのだが。

周りが見えなくなるような恋をしたところで、幸せになんてなれないという思い込みがある。あぁ、そう。そんなのどうせ続かないと思っていて、失うことがセットだから怖い。

喪失は生きている限り必ずあること。自分が明日死ぬ可能性だってあるのだから。だけど、周りが見えなくなるくらい好きな人が、目の前からいなくなることに自分は耐えられないと思っている。
っていうか、そもそもいなくなる設定だからそりゃあいなくなるか。

この身が離れたとしても、一緒にいた時間に培ったものは何もなくならないということをわたしは知らない。
いや、知っている。今世はその経験があるわ。

あぁ。「きみに読む物語」みたいにさ、相手が自分のことわからなくなっても愛し続けるくらいに人のことを想えたら幸せだろうなっていう願望がある。
って書きながら、喉元がキュッとなっている。
今日のところ、今のところ、まだ抗うわたしがいる。

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