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努力の方向。

最近読んで、目から鱗というか、私の中ですごく腑に落ちたnoteの記事がある。

それは、元陸上選手の為末大さんが3年前に書かれた『魅力がある人、役に立つ人』というものだ。

為末さんは人間についての考察が非常に深く、なるほどと考えさせられる記事が数多くある。

記事の冒頭の部分を抜粋させていただくと、

「魅力がある人」と「役に立つ人」は違います。役に立っていけば魅力が増していくと思われるかもしれませんが、役に立つを極めても魅力は手に入りません。役に立つをを極めて手に入るのは「便利な人」です。役に立つと魅力があるは努力の方向と才能の源泉が違います。

という事で為末さん曰く、両者は全く別物なのだそうだ。

そして、記事全文を読んで思った。

うーむ。私の今までの努力って、ほぼ「役に立つ人」になる為のものだったんじゃなかろうか……

「役に立つ人」になるには、相手の望むものを提供しなければならない。しかし、いくら努力をしても自分の能力には限界があり、相手の望みを100パーセント叶えられるわけではない。もし仮に自分より役に立つ人がいれば、当然その人の方が必要とされるに決まっている。

勿論、役に立つ努力をするのが悪いわけじゃなく、自分が出来る範囲で、尚且つ(これが大事だと思うのだけれども)それを嬉しいと思ったり楽しいと感じられるなら、それは相手にとっても自分にとっても幸せな事だと思う。

でもそれが、役に立たなければいけない、という半ば強迫観念よって、自分のキャパ以上のものを抱え込むような状態であったなら、それはもう苦しみ以外のなにものでもないよなぁ。(遠い目…)

一方、魅力があるを極めるには、自分を磨く事だと記事にはある。自分の中に既にあるものを発見し、それをいかに表現するかだと。

他人ひとに合わせて生きるのか、自分のままで生きるのか、「役に立つ人」と「魅力がある人」どちらを目指すかによって全く違う生き方になる。

私はやはりこれからの人生、後者を目指したいなぁ。そっちの方が、なんだかワクワクするし。

車は急に止まれないし、ねこ子も急に変われないけれども、今後もし自分が役立たずのダメ人間に思えて深く深く落ち込んでしまった時は、「いや私が目指しているのは、そっちの方向じゃないし!」と自分に言い聞かせていこうと思っている。

そして、自分の中の「こうでなければならない」をいかにして無くすか、その努力をしていくつもりだ。

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