あの頃の私。
「あ〜、面倒くさ!」
せっかくの休日だというのに、朝から何度もこの言葉を発している。
いったい何を面倒くさがっているかというと、メイクである。近所の業務スーパーへ行く程度ならスッピンで全然平気だけど、今日はマイカー点検の予約を入れている。車のディーラーは私的にはノーメイクで行けない場所である。
自分で予約したくせに面倒もくそもないのだが、せっかくスッピンでいられる日に肌にストレスをかけるのは勿体無いとさえ思ってしまう。
前の職場の同僚で、仕事がある日だろうが休日だろうが関係なく毎朝ご主人とお子さん(男の子三人)が起きる前にメイクを済ませておくという人がいた。とても綺麗な人だったので「なるほど〜美人は自分をより美しくする手間を省かないんだな」と、己との美意識の違いを痛感した。
こんな私だが、二十年以上前に某大手化粧品メーカーで美容部員をしていたことがある。その会社では七年働いた。転職回数の多い私にしては結構長いほうである。
じゃあ昔はメイクに興味があったのかというと、全くそうではない。たまたま求人広告でパートの募集を見つけて、時給も悪くなかったので応募してみた、ただそれだけである。
私の応募動機も安易だったが、この会社の採用基準もちょっと変だった。(お世話になっておいて、この言い草)
面接当日、私は白シャツの上にジャケット、そしてパンツという格好で指定された場所へ向かった(業種によるが、パートの面接の場合あえてスーツを着ない事が多い。もちろんキチンとした服装は心掛ける)。しかし面接会場に到着すると私以外は全員スーツ姿であった。応募者はざっと二、三十人はいたであろうか。しかも面接だけかと思いきや筆記試験まであった。(よく覚えていないけれど、さして良い点じゃなかったと思う)
パートの求人だと気軽に考えていたが、こりゃ完全に落ちたなと思った。なので結果の連絡が来る前に他の求人を探していた。だが、まさかの採用だったので驚いた。
新規の採用は私を含めて三人。あとの二人はというと、一人はちょっとオタクっぽいというか独特の雰囲気を持った人だった。正直、なぜ美容部員に?と思ったけれど(お前が言うな)まあ、やりたい仕事は人それぞれだろう。彼女は一年ほど働いて結局退職した。もう一人は明るくてやる気があるように見えたのだが、最初の研修の段階でさっさと辞めてしまった。
あれほど沢山の応募者がいたのに、なぜこの三人だったのだろう。この会社の採用基準がよく分からない。それとも、よほど担当者に見る目がなかったのか……今だに謎である。
実際に働いてみると美容部員というのは、見た目は華やかだが実に大変な仕事だった。
特に毎月の売り上げ目標のプレッシャーは半端ない。今はどうか知らないが、当時は売り上げが足りなければ自腹で購入するのが当たり前だった。我が家にも一本五千円の美白クリームやら、三千円の美容液やらがゴロゴロしていた。
加えて、季節ごとにどんどん入れ替わる新商品の特徴を完璧に頭に入れなければならないし、それが口紅やアイシャドウだった場合はメイクのやり方も微妙に変わったりするので、お客様にメイクをする前にしっかり練習しておかなければならない。それと、肌の解剖学的な基礎知識も必要である。覚える事だらけだ。
あとはやはり女性が多い職場なので、人間関係もそれなりに面倒だった。(私はあまり関わらないようにしていたが)
いろんな意味で強くなければ、この仕事を続けていくのは難しい。そう感じていた。
化粧品メーカーには資生堂やカネボウなどの国内ブランド、ディオールやシャネルといった海外ブランドなど色々あるが、だいたいどのメーカーにも「先生」と呼ばれるトップクラスの美容部員がいた。
長年に渡り化粧品業界を生き抜いてきた彼女達は美しさだけじゃなく、強さと厳しさを併せ持ち、さらには人を惹きつける強烈なオーラというかカリスマ的な魅力があった。だからこそ顧客は離れず、先生がいる日にわざわざやって来て何万円分も化粧品を買っていく。
そんな先生レベルにはほど遠いが、私も途中から正社員として登用され、
『高い化粧品は、顔に塗って心につけるものである』(高い商品は満足度が高いということ)
『良い商品をご紹介しないのは、お客様にとって損失になる』
そんな言葉に洗脳(?)されながら、必死で化粧品を売り続けた。今考えると、ちょっと狂気的な感じがしなくもない。
今、私の化粧ポーチには美容部員時代に購入したアイブロウブラシが入っている。すっかり手に馴染んだそのブラシを使う時、ふと、あの華やかで狂気的な世界を思い出す。
そして、本当にあそこにいたのかなぁ?と不思議な気持ちにあるのである。
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