見出し画像

映画界の皇帝陛下、黒澤明監督へのいくつかの質問状。

米国の映画監督フランス・コッポラ、ジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグ………、彼ら三人はかつてこう語った。

  我々は黒澤明の芸術的息子だ!!!!!!!!


   かれはそれほどまでに……偉大な
   映画界の神的な存在であった。ま
   た、これ程までに真っ当に映画の
   道を、真っ直ぐにかつ完璧にやり
   通せた映画監督は、いただろうか
   、どうだろうか?


昔みたことがあって……NHKの番組で、あのスタジオジブリの、ごう慢な宮崎駿が、御殿場の黒澤明のアトリエ訪問する番組冒頭のシーンを見て、当時の私はおもわず笑ってしまいました。
あのごう慢な、宮崎駿がカチンカチンに萎縮し緊張してうわずった言葉にならない喋り口調であの、あの、わ、わ、わたくし、みやざきはやお、と、と、と、と、申すものでございますが、と、ガチガチに緊張した宮崎に、アトリエからリラックスした黒澤が出てきて、お入りなさい。と言って招くシーン。いつ思い出しても、吹き出して笑ってしまい……絶対的に崇拝する黒澤に戦前のご立派な日本人を体現する姿を見、宮崎は、ガチガチに緊張したのだろう。

彼には兄である黒澤丙午がいて、活動弁士の徳川夢声が言うには、兄の丙午は陰であり、弟の明は陽であり、二極対立的であった。黒澤明と同格の力量を持ちながら、陰的であるがゆえに悪い方へ悪い方へ人生が流れていく
。映画の活動弁士の様な時代遅れの職に付き
、組合の重い職につき、全ての責任を背負い
最後には軽井沢の別荘でカミソリ自殺で亡くなられた。

兄、丙午は子供の頃から通学時に、剣道少年の明を言葉でからかいながらも世界各国の映画、文学の世界を弟の明に教えるのでした。

意外に知られていない、黒澤の映画会社の入社時、助監督時代の脚本|達磨寺のドイツ人|
は妙に明るいラテン的なドイツ人が、日本の寺に禅仏教を学びに来るという筋書き。字面から迫力が伝わってきます。映画化してませんが、機会があったら読んでみてください。
また、米国の作家ポーの原作である、黒澤の共同脚本の|赤き死の仮面| も機会があったら読んでみてください。

姿三四郎……醉いどれ天使……隠し砦の三悪人…等など、彼は様々な映画作品を若くして作り続けていきます。迫力のある画面映像。それは望遠レンズで撮ることで迫力を生み出そうとし、画面が暗くなるので物凄く強い証明でてらし、その結果目が悪くなり光に弱い目になってその為にサングラスをかけるようになり、決してカッコつけているわけではない。

映画|羅生門| で人の心の奥は闇の底の描写を
見事に描きます。都一の大盗賊、三船敏郎演じる多情丸が殺人をやったか、それとも京マチコ演ずる公家の女が嘘をついたか、登場人物全ての証言が食い違い曖昧になり、陰陽師による死者の口寄せでも、誰が殺人犯か分からずじまいのまま後半にさしかかり……
羅生門で雨宿りをする僧侶、百姓、浮浪者達
が人間の心の奥底なんて、誰もわかりゃあしねぇ、今までの話も全てが全て作り話じゃぁねぇか!、と見るものに謎掛けと衝撃を与える所は、まさしく世界映画屈指の名シーンと言えるでしょう。

この映画はイタリアのベネチア映画祭、金獅子賞を受賞し、世界各国の映画関係者に多大な影響を与えます。ですが黒澤本人はかなり後まで自分の影響力には、かなり鈍感だったみたいです。

また、未完に終わった東京オリンピックのドキュメント映画も、もしこれが完成していたのなら、黒澤の力量を考えても相当な大作。とんでもない制作費、何千億円のように、とんでもない予算の大作になっていたでしょう!!!!!!
そして日米開戦トラ・トラ・トラは日米合作
監督黒澤明でしたが、彼は降板します。おそらく前の戦争は日本が一方的に悪かった悪の
大日本帝国だったと、してくれと言われて、ムカッとしてのことでしょう。黒澤映画の顔、三船敏郎の様に米国の映画監督に日本は異常な敵国だったと、撮影の最後に言われて、イヤイヤ引き受けるような真似はしたくなかったのでしょう。ただ、昭和の軍神、山本五十六をど素人にやらせたりなど、実現していたらさぞかし凄い大作になっていたでしょう。

ほぼパーフェクト。映画|七人の侍|  では妥協を知らずに脚本、演出、細部に至るまで完成の密度を高めています。映画の骨組み、脚本を凄く練り上げて完成させています。そしてそれは映画|天国と地獄|   の誘拐物のよく造り込まれた脚本の完成度の高い映画にも表れています。

わたし的には黒澤明、ユーモアリスト説を持って語りたいと思います。映画|用心棒|でマッチョな三船敏郎に椿三十郎をやらせ、続く映画|椿三十郎|では駅前車掌シリーズのコメディアン、フランキー堺に椿三十郎をやらせる配役は、はっきり言ってお笑いです。真剣に真剣の真面目さを追求し続けた末に馬鹿みたいなお笑いへと行き着く、ガハハハと爆笑。俺が三船だ!!!! ガハハハハから、フランキー堺、ちゃいまんなぁ、そうやおまへん、そら、あんさんせっしょうでんがな!ってね…

それは映画|影武者| でも表れ、勝新太郎と若山富三郎は兄弟で双子のように似ている。武田信玄とその囮としての影武者やらせると面白いんじゃないかな……、とか。これもお笑い

また、黒澤自身、無類の餅好きで毎日毎日餅を食べていて、正月になると年の数だけ餅を食べていたが、さすがに五十過ぎるとあんまり食べなくなったとか。まぁ、推測ですが餅はネチョネチョしてしつこく離れない。また、餅は伸び縮みしながら、切れない。餅は焼くとふくらんでプクーッと大きくなりそれ自体笑えてユーモアな食べ物。九星気学でいうところの餅は六白金星、天、神、仏を表し、恐らく黒澤は餅を食べ続ける事で神がかった力を得て、餅のように粘り強く何処までも諦めない力を得て、粘り強い姿勢で細部にまでよく造り込まれ、なおかつ神、仏の力を得て、迫力のある大作を作れたのでしょう。まぁ、基本お笑いと真剣なマッチョな作風は、紙一重、というか……(笑)

ここで、ロシア、スラブ人的なユーモアと黒澤映画を繋ぐ広大なユーラシア的なユーモア
,ワールドを語ることをお許しください……。

名作|デルス・ウザーラ| は極東ロシアの人などほとんど会ったこともない森の猟師デルス
の自然とともに生き、吹雪の風、寒さ、などでこの吹雪は人を遭難させる風と読んだり、森の人の足跡から人の年齢を予測したり、森や自然とともに生きてきたデルスとロシア人の主人公との交流を描きます。最後に身体が弱り街での生活を余儀なくされたデルスは、水売りとのイザコザから銃で撃たれ亡くなります。黒澤自身、若き頃に読み感動し、いつか映画化したかったそうです。おそらくその頃から、ロシアスラブ的なユーモアと自分のユーモアとの類似を感覚化していたと想えます。

東の果ての田舎の国、極東日本から極東ロシアを経てスラブ、つまりスレイブ、奴隷人間
、ローマ帝国に奴隷として売り買いされた歴史は今のプーチン政権のロシアにも、これからもずっと続く。広大なロシアを横断し東欧バルカン半島ユーゴスラビアに行き着く……。
ロシアのニキータ・ミハルコフ映画の小うるさいペチャクチャ喋りまくる、うるさい世界
。それはしょせんおいら達は奴隷だ、夢も未来もありゃしない。だからこそ、騒ぎまくり憂さ晴らし。ロシア・スラブ人というのはそんなもの………。黒澤自身の笑いと、スラブ世界の共通を私は密かに推理します。

実際、徐々に力量が衰えていった黒澤自身であるからかも知れないが、よく言われるように、戦後の日本人のレベルがドンドン下がっていった、と。以前の様に映画がとれなくなってしまった。そして自身にイライラをつのらせて、風呂場でカミソリ自殺を計ってしまう。

その少し前から、ホントは最初から、山本周五郎的な小市民的な日々是日常的な映画を創りたかった。それは自殺未遂のあとで、映画|どですかでん| で夢は叶うも興行的には失敗します。

かなり前に指摘された説を私も理解します。
観客の為に映画を作ることに疑問を感じ、自分や制作スタッフ達と楽しみながら映画を作る、そう舵を切った、と。どですかでん以降は以前の様な迫力が無くなったと。それは、
やはり、客の要望に応えることが馬鹿馬鹿しくなったのだと想います。

それでいながらも映画自体の、よく造り込まれた手の入れ込み様は映画|影武者| 、|乱|、以降にも見受けられます。

黒澤自身、映画の資金繰りに詰まった頃、米国から七人の侍ならぬ三人の男が現れてきました。それが、コッポラであり、ルーカスであり、スピルバーグだったのです。彼らは米国で映画|天国と地獄| 等の黒澤映画を見続け
影響を受け、映画造りの全てを学んだのでしょう。プロデューサーとして黒澤をバック・アップします。また、アメリカのアカデミー賞受賞式に呼ばれ賞をとった監督の名前を呼ぶ役をやったり、賞を取った監督自身から、アカデミーとった事より黒澤監督さんから名前を読んでもらった事のほうが感激、と言わしめる程の存在である事を自覚したのでしょう。

モンテカルロ映画祭では、世界各国のそうそうたる名監督、大俳優を前にして、映画祭委員長を努めた、イタリアの映画監督ベルナルド・ベルトリッチから、カタコトの日本語で「ミンナ、ミンナ、シェンシェガ、スキデス!!」と、言わしめる程の存在になり自身も自覚したのではないのでしょうか?

特に印象を残すものとして映画|夢| を挙げます。スピルバーグのプロデュースによる、こんな夢を見た、の連続話のなかに二つほど印象に残る話があります。

トンネルの中を自分達の死を自覚しないまま
、行進を続ける日本軍兵士の群れを、あなた達は死んだのだと、伝えトンネルの中へ帰っていく話は、ストーリー、映像美、全てにおいて世界の映画史に遺る屈指の名シーンでしょう。

そして最終話。笠智衆演じる不思議な世界の老人が幼なじみの老婆の葬式に行く話。いわく、死は消滅なのではない。新しい再生であり、旅立ちなのであると。不思議なパレード
の様な葬儀の行進、これも、世界の映画の歴史に刻まれる不朽の名作でしょう。

最後に………

遺作となった映画|まああだだよ| では作家、内田百間の師匠と弟子の屈折しつつもユーモア溢れる師弟愛を描きます。意外にそれは観客達に共感してこない。それは他人の幸せは、いまいち共感出来ない、という黒澤の皮肉が読み取れます。

何かの偶然か、必然か、この映画が映画監督
、黒澤明の遺作となってしまいます。彼は1998年に88歳で亡くなられます。8の三並びで縁起が良いですね。映画のエンディングに内田百間が眠りにつく描写は黒澤明の最後をシンボライズさせます。

また、没後、すぐにフランスの権威ある映画雑誌|リュベラシオン|では異例の増量ページ数で大特集を組まれるなど、その映画人生の世界的影響力がうかがい知れます。

こうやって黒澤映画を眺めていくと、まるで
一つの文明の栄枯盛衰を見ていく様な錯覚にとらわれていきます。マヤ文明、黄河文明、チグリス・ユーフラテス文明………等など。

黒澤明の言葉で印象に残っている言葉があります。

既存のモノ作りの作家。周りと違うものを創ろうとして歪んで駄目になってしまう。自分の、のぞむままに赴くままやればいいのに……

以上、黒澤映画の自分なりの質問状を書き溜めてみました。皆さんはどう思われるでしょうか。

皆さんも黒澤明映画を良く見ると良いかもしれません………

世界的巨匠の大作の余韻に浸れますよ………。

映画造りの基礎、応用、変化、発展等の動きがよく見て取れますよ……………。


               終劇



            

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?