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|評論集|村上春樹文学と豆腐のようなプルプルゆるい壁に取りかこまれユルイ世界に追い詰められた今の私達と世界のわれわれ民の状況、とりあえず今のところ。

  ボクは、最初に言っておきますが村上春樹作品にはあまり友好的ではありません。どちらかといえば村上文学調で、いまのユルくて豆腐のようなプルプルしたもので出来てしまった万里の長城のような壁に囲まれてしまった、内向きグローバルな世界の世界観について、ポツリポツリとテクテクと語っていきたいくちなのです。

ボクは村上春樹作品の、と言っても様々な特徴があって一概には、一括りには出来ない世界観ですが、部分部分、出てくる、あのミニマムにミニマムを追求したり、コツコツと積み上げていく文章、異世界の構築に、共感・学ぶことが多いと自己分析しています。

例えて言うなら豆腐のようなプニョプニョした内向きの世界感の中で、リトルマン、小さな小人たちがどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでも……、ときりがないので一旦留めますが……、基本、内向的に自己分析的に自己の内面の訴求を繰り返し続けたり、だらだらミニマムにミニマムにお話は続いたり、そこからけっして大団円へと行き着かない、デビュー作、風の歌を聴けからままに登場場面のあるナゾの存在、鼠などの謎めいた不思議な人間かどうかも怪しい存在が偏在したり……。終わりのない基本、ダークなファンタジーがある細かい細かい細かい……世界観を村上春樹氏は永遠にかつ、少しずつ少しずつ、世の趨勢に併せつつ繰り返していき続けたい方向性と気質なのでしょう!!

ここで、イキナリですがこの評論文はとある地方の座敷わらしの宿る民家で書いています。神がかった神通力がこの文章に宿ったりして…書いてる今この場でもフォロワー数異様に増殖していたり、様々なラップ音が部屋全体に鳴っているので、座敷わらしさんのご加護かも……。いきなりでドキュメント・タッチですが!!

村上春樹氏の世界観は基本、水平方向の文学空間であり垂直方向の上下浮遊落下文学空間では無いと私は観ています。水分がたゆとい横方向にすーっと広がっていくような、そんな感じ。それも、何故か二つの異話が並行したりしつつも、一角獣のユニコーンの頭蓋骨や、羊のシンボルの象徴で微妙にかすかに二話が接触したりしつつも、それでも、やはり基本は、内向的に方向性は微妙ですが向いていると想います。村上氏は、基本、理解不能な謎掛けをストーリーに仕掛けていきます。それはやはり、依然として謎のままということで………、こうして村上氏の物語世界を語り分析していると、村上ワールドに同調してしまいます。それは、村上春樹氏も自覚はしていると推測できます。

村上文学はデビュー作品から、一貫して外の世界を描いておりません。外部へと出ていく姿勢が見れないというか……、壁に閉ざされた内向きの世界でウダウダしている………、知っても知らなくてもいい様なマザコンの米国のSF作家、デレク・ハートフィールドの飛び降り自殺、羊をめぐる冒険のハッキリとした正体の解らぬ日本を裏で動かす異様で巨大な裏組織、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドの並行する暗いファンタジーストーリーの全てが終わってしまった世界、そして、やみくろと呼ばれる太古より東京の地下鉄に存在し続けた魚を神として崇める地下の暗闇の中の異常で異様な集団、岸辺のカフカに出てくる香川県のとある図書館司書達、表むき普通だが、違う側面を見せる普通じゃない異様な人々、そして宇宙を二分する一千年に一度の巨大な宇宙の意味不明な力の象徴である、幼少時からの知的障害のある猫と会話出来る老人の死体の口から這い出てくる大きくて白いオオサンショウウオの様な異様な生物。四国の香川県でポン引きやってるカーネル・サンダ?そっくりの存在は実在し無いが概念としてある、宇宙が創り出したズレとして存在し現れる上品な白人のジイサン。村上文学にはユーモアがありつつも、一種ハッキリ言って異様で異常なキャラが出てくる。村上春樹文学には最後までというより最初からその気がないといった感じの、正体を明かす気のないダークかつダーティーな概念を登場させ、屹立させています。そしてこれらは謎めいた不思議な不気味な、並行世界などの謎掛け、の対抗存在として刺激を与えるためとして、意味のない物として存在は必要なのでしょう。

村上春樹文学は、初期から、今までのなかで時代と共に一定のスタンスを取り、それらと微妙な左右するバランス感覚を維持しつつも妙にフラットな乾いた感覚を保っています。
そしてそれらは彼がスタートした1979年から、それはまるで初期文章の、おもに気だるい締まりの無い文体から、スタートしていきます。やがて彼は文學界からズレる位置から流れていき、二重異話を変わらず繰り返しつつ同心円状の世界を流れていきます。それは知っても知らなくてもいい物事の来歴を巡るきりのない繰り返す言及、ハッキリ言ってぬけたどうでもいい様なお話、ときおり謎、それ自体無意味で必要としての無用なキャラ、先の読めない行動、羊をめぐる冒険の北海道のどうでもいい様な村の来歴を延々と述べたり、冷えたビールをゴクゴクと飲む、等の妙な生々しさのある日常生活の艶めいた80年代初期から末期までの雰囲気を伝える描写。ほっこりとしたユーモア、現実には存在しようのない不気味で森の中のような何処だかわからない不思議な場所、謎めいていてそれ自体無意味な謎の二人の言葉のやり取り………、彼は繰り返し続けます。グローバル世界などを通り越した外がなくなってしまったが故に、内外があやふやな現在のわれわれが接触している柔らかいおぼろ豆腐のようなフワフワした現実の世の中に対応する感覚的な文学世界を創り上げたのでしょう。

遠い太鼓………という笑いを少し取り入れた旅行記があります。彼こと村上春樹氏はバブル経済や資本のダイナミズムから、ついていけなくなり日本から逃げ出すようにも見える旅行行動。文字通り日本国内で回転木馬のデッド・ヒートを起こし、凄まじい円運動、回転のスピードで飛ばし、それが故、日本から遠すぎるくらい離れた遠い太鼓の主な舞台のギリシャを中心とした地中海周辺へと飛び出しての80年代後半のドキュメントらしき旅行記を残し行き着いたのでしょう。それはちょうど世紀末の20世紀末の、まいどまいどの世紀末に表れてくる、あの……風光明媚でありながら様々な紛争、血で血を洗うユーゴスラビアの民族紛争、どうしようもない地中海の何処かの政治政権の腐敗。世紀末の恐怖感が一気に吹き出てきてしまう地中海での戦争やそれらを引き起こす事象、それなのにが故の世にも美しいエーゲ海の、世紀末の地中海世界が表れていきます。それは彼にとってみれば、みそぎの様なものなのかも……、サナギの脱皮なのかも……意外にリニューアルであったかもしれません。

本題に戻りましょう!!

ハッキリ言ってSNS、IT、人工知能、量子コンピュータなどがここまで我々をゆるく壁の様に取り囲んでしてしまった現時点、未来やその先の計画、ビジョンはもう描けないでしょう………村上氏の複雑なスピーチ、壁に叩きつけられる卵の立場、弱者の立場にたちながら壁という管理者に立ち向かい歯向かうというスタンス………それは私にはよく解らないが、結果、巨大に広がった平面世界の中にあるレンガ一個の小さなかけらの中にある架空の小人の国や、人影、物陰の中に行き続ける異様な数多くの人々の日常………。豆腐やグミ、トコロテン、トロトロと流れ続ける粘液、のように生きていくリアリティを喪いながらも、現実世界を生き続ける事しかないわれわれ普通の人々の日常生活の雑事を自意識文学としてコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツと小さく細かく描きつつも、外がなくなってしまった現在、世界的に世界中の人々が国籍問わず、直面せざるを得ない目の前の現実世界に対して………。時に内省的に、時に凄い異様な効果や、無意味を巡る無意味な問いかけ、軽いユーモアを混じえながら自意識をコツコツと刻んでいくことになっていくのでしょう。

村上春樹文学を否定もしなければ肯定も称賛も致しませんけど…………若干、彼の作品は好感は持てます……。日本中に存在する毎年11月にノーベル賞受賞を待ち受けるハルキスト達の内の一人ではありませんが、ボブ・ディランの様な文学的な歌詞を作れるミュージシャンでもノーベル文学賞とれたんだから村上春樹さん、ノーベル文学賞、いつかとれたら良いですね………。日本中のみんなの希望を少しばかり全集中しながら……。

               

      五月皐月吉日にて…以上敬具。

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