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小説を読まなかった頃は・・・

今でこそ小説の虫と言っていい程の小説中毒者(特に近代文学の私小説だが)となった僕だが、二十三歳になるまでほとんど小説というものを読んだ事がなかった。勿論、小学生の頃はズッコケ三人組やハリーポッター、中学生の頃は「一瞬の風になれ」という陸上小説が、高校生の頃は村上春樹の「1Q84」が流行ったのだったが、いずれも僕は読む事はなく、歳を重ねていた。

それでも学校の夏休みや春休みの課題として夏目漱石の「坊ちゃん」だったり「こころ」だったりを読まされた記憶があるのだが、いずれの作品も僕の小説熱をくすぐる作品ではなかったので、その当時の僕は小説にハマる事はなかった。しかし当時の僕は小説は読まなくても活字には割と親しんでいた方だったと思う。何せ僕は中学校の時は大相撲の、高校の時はプロレスの大ファンで、前者の頃は大相撲雑誌を、後者の頃はプロレス雑誌やレスラーの自伝を幅広く読んでいたのである。当時も(今もだが)僕は目が疲れてしまうからゲームが嫌いであったので、大相撲やプロレスが好きだったとしても、相撲ゲームやプロレスゲームをして相撲熱やプロレス熱を解消するというやり方は取らずに、もっぱらその分野の活字を読むことによって興味を深めていったのだった。

2006年の朝青龍
2009年の三沢光晴

当時の僕は国語が苦手科目だったが、相撲雑誌やプロレス雑誌の文章はすんなりと頭に入ってくるので、不思議だったものだ。特に高校時代の僕は帰宅部であったので、放課後は予備校等には行かずに、本屋でプロレス雑誌やレスラーの自伝を読んで時間を潰していたのである。今になって考えてみれば、何故あれだけ大相撲やプロレスに情熱を注ぎ、その関係の雑誌や本を乱読していたのか謎でもある。そのエネルギーを恋愛や受験勉強に向けていたらどうなっていたのだろうという後悔の気持ちさえある程だ。まぁ今後悔しても詮無い事には違いないが。

そして高校を卒業した後もプロレス雑誌を読み込む習慣は続いたが、決定的な変化が起きたのは専門学校を中退した後の二十三歳の頃の事だった。偶々親父に勧められて苦役列車を初めて読んだのである。それは衝撃的な出来事だった。当時の僕は専門学校中退という学歴コンプレックスに悩んでいたが、それを吹っ飛ばすような中卒と性犯罪者の倅というコンプレックスと日々闘っている北町貫多の強烈な個性に抱腹絶倒し、且つ感動してしまったのである。それでそれからの僕は苦役列車の作者の西村賢太氏の作品を余す事なく集めて、読み込む事がライフワークとなった。

苦役列車の文庫本

ただどの作品もそれなりに面白かったものの、苦役列車に感じたちょっと異質な面白さは感じられなかったのも事実だった。故に僕はあくまでも苦役列車によって間違いなく小説(特に私小説)の面白さに開眼させられたのである。そして今ではその苦役列車の文学史における意義を個人的に解き明かしたくて、僕は西村さんが若い頃に読んできたであろう日本の近代小説を読み込む毎日を送っているのだ。

こうして僕の読書歴を振り返ってみると、大相撲雑誌を出発点とし、プロレス雑誌を経て、私小説、日本の近代文学を読むまでに進化したのだからとても面白いし、我ながら成長したと思う。けれどもそもそも近代文学のような長い文章を読めるだけの脳の容量が出来たのは、それこそ大量の大相撲雑誌やプロレス雑誌を読んできたお陰なのは間違いない事だろう。

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