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テレビの存在と価値

僕は1992年の生まれである。つまりは90年代の前半にこの世に生を受けたのだったが、この32年間の人生はインターネットの発達と共に歩んできたという自覚がある。それは僕のように平成一桁前半生まれの人にとってはそうした意識があるのではないだろうか?

1995年の11月にWindows95が日本で発売され、翌1996年から本格的なインターネット元年に入ったとされるが、この1996年に僕は4歳であったので、当時の事は朧げながら未だ覚えている。当時の日本はテレビの情報が一番信用されていて、国民のほとんどがテレビに釘付けになって試聴していたように思う。例えば電波少年の猿岩石のヒッチハイクなどは正に1996年に放映されていたヒット番組だったはずだ。実際彼らはユーラシア大陸の全てをヒッチハイクで移動していた訳ではなく、紛争地帯などは飛行機で通過していたらしいが、当時はスマホなどもなかった為にSNSなども当然なく、それらのやらせがバラされる事はなかった。やはり1996年に限らず90年代のテレビはまだまだメディアの王であり、国民に対して情報を提供する、謂わば「洗脳装置」だった訳だ。

しかし2000年代に入ると、インターネットの常時接続が当たり前になった事もあって、情報を統御するメディアとしての立ち位置がテレビとインターネットでは逆転する現象が起こったように思う。つまりはテレビがインターネットより格下の存在になったと云う訳だ。そしてその天王山と云った状況を僕は2005年〜2009年に視る。

この2000年代後半とも言い換えていい時代にはYouTubeの誕生、X(旧Twitter)の日本上陸(2008年)、Facebookの日本上陸(2008年)、iPhoneの誕生(2007年)、ニコニコ動画の誕生(2006年)など、インターネット界において革命的な機具やサービスが誕生、普及しているからである。つまりはこれらのインターネットの台頭により、地上波テレビの価値は明らかに90年代以前に比べて下がったのである。

このテレビがメディアの王ではなくなり、娯楽の王でもなくなった時代をどう評価するべきなのか?僕はそれをとても良い事のように思う。勿論インターネットに欠点がない訳ではない。フェイクニュースもインターネット上には溢れているので注意が必要である。

それでも多くの国民が同じ時間に同じ番組を観ると云う行為が平然と行われていた90年代以前の時代と比べて、今の方がスマホでおのおのが好きな情報を調べて楽しんでいる故に、健全な印象を僕は感じてしまう。テレビはやはりどこまでいっても「洗脳装置」なのだ。人を映像によって支配し、画一化しようと云う試みは文化・文明の発達にとって害悪な気がする。今後はますますテレビが衰退するだろうから、より国民的なスターが芸能界で生まれにくくなるだろうが、それも国民一人一人の好みがスマホによって多様化したと云う証拠でもあるので、僕はむしろそれを喜びたいと思うのだ。


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