見出し画像

相撲との関わり合い 

私の趣味だと思う

 趣味と思うものに登山の他、相撲観戦があります。観戦は東京蔵前国技館と両国国技館の2回だけですが相撲競技そのものに若い時から関心があったのです。
 父は小さい頃から私を連れ県南地方の相撲大会、地区・県大会と国体の予選だったと思いますがよく連れていかれました。その頃から予備知識を植え付けられたと思います。秋田市、天王、森吉、仙南、高校総体の会場、大学選抜大会で青森県弘前市、青森県十和田市、ここでは高校、大学選抜と二日間開催され、サブ土俵も二ヶ所もあり大相撲の各親方も顔を見せていました。時期は8月13日と14日と連続になるので準備の関係者は「お盆休みもなく大変です」とぼやいていたのを覚えています。
 秋田県内でも大学選抜大会が湯沢市で第5回目まで開催され、その後鷹巣体育館で6回から平成9年7月27日の28回まで22回開催されたのです。私は19回観戦大きな収穫がありました。正面審判長の横が私の席に決まっていて、大学生の団体、個人、それぞれの優勝まで写真にバッチリ撮ることが出来たのです。それも19回連続ですからスナップ写真、何枚かの額が何枚もあります。
 昭和60年大相撲初場所、こけら落としの場所初日両国国技館に駆け付け、正面2階貴賓席横から三脚カメラを構え、十両幕内の土俵入り初日のため協会挨拶に続き、千代の富士、大乃国、北勝海の三横綱の土俵入りまでバッチリ写真に撮ることが出来、最高の思い出になっています。今思い浮かべると、力士の人気と魅力は雄姿と肌にあると思います。力士のそばに近づくとわかりますが、ほんのりと光り輝いているのです。この輝きは幕下、十両、幕内になるにつれ肌色、輝きが違ってくるのです。大関、横綱になるとまぶしい程の輝きです。大イチョウに化粧まわし、大相撲ならではの雄姿なのです。
 昭和46年10月3日、大鵬引退、曲げにお別れの写真が魁新聞に載ったその時から、相撲に関する記事、勿論本場所中も含め切り抜きが始まったのです。スクラップ帳も今では30冊になっていて私の宝物になっています。直近のスクラップ帳を手元に置いてテレビ相撲観戦、いつもの事ですが、ワクワクしてきます。日本人の横綱が早く誕生し東西の綱で締めてもらいたい、私の一番の願いです。
                    柳田 武男 83歳
 


こけら落としの千代の富士土俵入り


昭和60年初場所


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?