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季語「月」を詠んだ句より一句

突とめた鯨や眠る峯の月  与謝蕪村


 日本の捕鯨は、鯨を余すとところなく生かした。欧米人が鯨油やコルセットのために捕鯨をし、鯨の多くの部分を廃棄したのとまったく異なる。
 細かに区分された鯨は食用の他、さまざまな用途に使われてきた。
 その鯨を食ってはいけないという主張を繰り返し、日本の捕鯨をやめさせようとしているのは、簡単に言うと日本に牛肉を売りたい国。
 鯨は図体は大きいが可愛い生き物で、牛はどんどん食べるための生き物という洗脳で、日本の食料自給率はますます下がっていく。でも、牛も豚も可愛いではないか(笑)。生き物は親しめば可愛いが、必要があれば有難く食物にさせていただく、だが命をいただく以上余すところなくいただく、それが本来の日本人の姿勢だった。
 戦後の食糧不足を支えるため船団を組んで、南氷洋まで出掛け捕鯨に従事していた男たちの活躍は、過去のものにされてしまった。

 日本では古来、勢子舟を使い銛で鯨を仕留める捕鯨を生業とした浦も各地にあった。そうした地域でなくても、海岸の浅瀬や岩場に迷い込んだ鯨を「寄り鯨」と称して、無駄なく使わせてもらってきた。
 一頭の迷い鯨が近在の家々を潤したのだ。このように海神の贈り物であった鯨に感謝の気持ちを込めて造られた鯨塚も各地に残っている。
 そういえば、2020年に亡くなった英国出身の作家、C・W・ニコルの「勇魚」は、こうした鯨と日本人との関わり合いをテーマにした時代小説。江戸時代末期を舞台に鯨獲りの男たちを描いたもので、日本人と鯨との関りを共感と情愛を持って描いている。自然保護に努めた思想家で文筆家であったが、捕鯨にも深い理解を持った人物でその死が惜しまれる。

 余談が長くなったが、取り上げた鯨の句は各地を放浪した与謝蕪村らしい句で、日本人と鯨の関係がよく出ている。
 漁師たちの手で獲えられた鯨が浜に横たわり、湾を囲むような背後の山並みに月が上がって、その光景を照らし出している情景を詠んだ句かもしれない。しかし、そんな現場に居合わせて詠んだ句にしては実に静かだ。
 そこで、これは月が鯨塚を照らす景と解釈したい。浦に迷い込み、それが故に命を落とし、人々への恵みとなった鯨たちへ思いをはせた句とみると、この句の持つ現代に通じる意識が浮き上がってくる。
 やっぱり蕪村はすごいのだ。(黒川俊郎丸亀丸)

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