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季語「七夕」を詠んだ句より一句

七夕の紙の音して唇ひらく   飯島晴子


 仙台の七夕を見たことがある。豪華絢爛という言葉の当てはまる七夕飾りである。道の両脇から大きな竹に趣向を凝らした飾り付けの七夕飾りが長々と続く。
 この句の七夕飾りは、そうした七夕飾りと異なる。笹竹に願いごとをしるした短冊や紙で作った飾りを施した七夕飾りであろう。しかし、この句は七夕飾りを言うでなく、七夕に託した願いごとを詠んだ句でもない。
 ただ笹竹に吊るされた紙が風にそよいで立てる音を詠んでいる。この句を読むと風に擦れ合って立てる「紙の音」が確かに聞こえる。その音に聞き入り閉じた唇を微かに開ける。そんな女性の姿が見えてくる。
 笹竹に吊られた紙の立てる小さな音に、官能を感じているという句意はなかなか理解しづらい人もいるかもしれないが、「何かわかる気がする」と僕は思う。乾いた抒情という言い回しがあるが「乾いた官能」かな。
 この不思議で魅力ある句を詠んだ飯島晴子は、1921年(大正10年)に京都で生まれた。服飾関係の専門学校卒業後、服飾関係に仕事に従事していた。その彼女に運命的な機会が訪れた。夫の趣味とする俳句の集まりに、都合でいけなかった夫の代理で出席。その句会が気に入ったのか、そこから俳句を始めたのだ。そのとき彼女は38歳だった。
 これが後世に残る俳人となるきっかけだから、「何ごとも人の代理を断ってはいけない」という教訓のような話だ(笑)。

 飯島晴子は言葉の使い方に独特な雰囲気があり、記憶に残る句も多い。僕の好きな句を挙げると「泉の底に一本の匙夏了る」「春の蔵でからすのはんこ押してゐる」「きつねのかみそり一人前と思ふなよ」。
2000年に享年79歳で亡くなられたが、句は長く生きるだろう、(丸亀丸)




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