蟻地獄のごとく泣かす 余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。 (2024年製作の映画)

原作は30万部突破の小説でその後漫画化されNetflixでの映像化へ至った、とのこと。しぬしぬで同情させる方法を推し進めたハイパーなお涙頂戴ものだが、しつこいほど泣かせる曲線が周到すぎてむしろ感心した。なにしろタイトルが「余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話」であり、ほぼそのとおりのことが起こる。露命で釣る日本ならではの設定だが、泣かすトラップが二重三重四重に張り巡らされた蟻地獄のようであり、斬新なホラーとして見ることもできなくはない。──と思った。

この話が過激で個性的なのはふたりともしぬところ。
予測だと「僕」である秋人は生き延びて春奈との蜜月において交わされたフラグを回収していくんだろうな──と思っていたし、概してそれが日本的予定調和の方法だが、けっきょくどっちもしぬ。
秋人が心臓腫瘍の先進医療手術をうけるという伏線もあったので、てっきり生き延びて、うららかな日に春奈の墓参りをしながら終幕するんだと思っていた予測が外れたことは「なかなかやるじゃねえか」と思わせた。

映画の脈所を担っているのは木村文乃が演じる花屋が売っているガーベラ。ガーベラは本数により違う花言葉を伝えるそうで、そのことを涙腺への刺激に変えながら巧くあやつってみせた。

『ガーベラの花束に3本の花を贈る場合、「あなたを愛しています」という意味になります。ガーベラは本数によって花言葉が異なり、1本は「あなたが私の運命の人です」、4本は「あなたを一生の愛を捧げます」、6本は「あなたに夢中です」、8本は「あなたの思いやりに感謝します」、9本は「いつまでも一緒にいてほしい」、11本は「あなたは私の最愛の人」、12本は「私の恋人(妻)になってください」、40本は「あなたに永遠の愛を誓います」、100本は「私と結婚してください」という意味があります。』
(Search Labs | 生成AI による回答の概要)

春奈も秋人もしんでから、ガーベラと絡ませたメッセージを残してあり、それが更なる涙をさそう仕掛けになっていて出来すぎ感はあったが、嫌味はなかった。

じぶんは荻上直子や「湯を沸かすほどの熱い愛」などの所謂「お涙頂戴もの」をけなすので、それらとの違いを述べておきたい。
荻上直子のばあいは絵に自己顕示が載ってくる。「彼らが本気で編むときは、」も「川っぺりムコリッタ」も「波紋」も「わたしはこんなにすごい問題意識をもった作家なんです」という感じがつねに映像にあり且つ泣かそうとしてくるのがいやだし、そもそもの作家性が幼稚すぎて恥ずかしくて見ていられない。(にもかかわらず日本の映画監督は年功序列制なので女性監督第一人者とみなされ監督賞をとったりもする。)

「湯を沸かすほどの熱い愛」は不幸自慢になっているのがダメ。
以前じぶんはレビューに『主人公双葉は薄命、娘の安澄はいじめられっ子、探偵さんは亡妻の子連れ、拓海くんは継親から逃げ出したヒッチハイカー、酒巻さんは唖者。
右も左も不遇の免罪符を背負っている人物だらけ。かれらが不幸自慢を繰り広げるさまはモンティパイソンの4人のヨークシャー男も顔負けで、エジプト行きたいを伏線とする人間ピラミッドなんか、全身鳥肌の恥ずかしさだった。』と書いている。

それらに比べるとしぬしぬで釣っているとはいえ本作はおしつけがましさのないお涙頂戴だった。美男美女を使い綺麗でソフトな絵面を主体としながら、愁嘆場もサクッと切り上げている。本作では春奈の死がパッと葬儀場面に変わったことだけで伝えられているが、以前の日本映画にはそういう潔い機転はなかった。(と思う。日本映画では死は常に劇的に語られる一大事だった。)

演者では綾香を演じた横田真悠という人がよかった。ツンな態度が崩れおちるのがじょうずだったし、水道のように涙が流れてくるのには驚いた。

国内レビューサイトは採点が甘いとはいえ映画コムが4.8というすごい値をつけていた。imdbは1Kに達していないものの7.4がついていて悪くなかった。良質なお涙頂戴もの映画だと思う。

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