イスタンブールの猫たち 猫が教えてくれたこと (2016年製作の映画)

獣を擬人化させてしゃべるやつではなく、かわいいで釣るペット映画でもない。猫の視点にカメラを下げると、その肩越しに人間界の雑踏が見える。

オスマン朝が興隆したとき下水道が配備されたがそこへネズミが繁殖し地上へ出ては民家を荒らすようになり、対策のため人々は猫を飼うようになった。
その時からイスタンブールは人間と猫が共存する街になった。そうだ。

街の人々は透明グラスに入った赤茶色の飲み物=チャイをしきりに飲む。必ずソーサーに載り、必ずスプーンが付いている。座るとチャイが出てくる──くらいの頻度で飲む。チャイの頻度に負けず劣らず猫がいて、猫たちは街のそこかしこに警戒心なく寝そべっている。
地元民が給餌することもあるし観光客がなでていくこともある。
野良とペットの中間にあり、放任されてもいるが、世話を焼かれてもいる。市民の猫対応は懇篤で老成しており、商い物を狙われても決して怒らず邪険にもしない。結果猫はやんちゃ子のように街のいたるところを闊歩している。

その性格から特徴あるあだ名をつけられた猫がでてくる。ハスラー、愛人、サイコ、社交家、ハンター、紳士、遊び人。みんないい顔をしていて街に溶け込んでいる。

文明発祥の地、戦略の要所、シルクロードの終着地点、アジアとヨーロッパが混交するイスタンブールの古い街並み。そして猫。
「様様なものを介して神は存在をしめすと言われているが、きっとこの猫たちが神の使いなんだろう」と街の人は言う。

人々は猫を飼い慣らしはせず、猫はどこへでも自由にでかけ猫生を満喫しながら、人生に幾ばくかの彩りを与える。
猫の尊厳を守りつつ、つかず離れずの位置から、いつも気にかける──そんな人と猫の関係が描かれた、感傷や誇張のないさわやかなドキュメンタリーだった。

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トルコというと親日だとか言う人がいる。日本人は何かにつけ親日かそうでないかを気にする。日本人にはコーカソイドに関わると気持ちよくなってしまうという島国根性回路が備わっているからだ。世界に親日の人はいるのかもしれないが親日国というものは存在しない。と個人的には思っている。

今日本でトルコから連想されるのはクルド人問題である。どんな映画も一種のプロパガンダであり、好ましさを感じてもいいが考えをインフルエンスされるのは情けない。と、好印象なこの映画を見ながら思ったが、猫映画から想像したよりもずっと大人っぽい佳品だった。

imdb7.6、RottenTomatoes98%と85%。

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