抽象と写実 ソウルメイト (2023年製作の映画)
1988年生まれの二人の女性、アン・ミソ(キム・ダミ)とゴ・ハウン(チョン・ソニ)。
仲良しだった幼年時代を経て、互いに屈曲しながら成長していく行程が描かれる。
二人の性格は描く絵に象徴されている。
ハウンは写実的な絵を描く。ミソは抽象的な絵を描く。
写実的な絵が好きな人もいるし、抽象的な絵が好きな人もいるが、個人的には写実的な絵が好きではない。なぜなら写実を目指すならばそれは写真でいい──と思えてしまうから。
とりわけ昨今は超写実が流行っていて高細密な顔貌や静物を鉛筆だけで描いてあるものが「凄い」ともてはやされる。もちろんそれは「凄い」技量だが、たとえばその超写実の絵が飾ってあるのを、見る人が「へえ、いい写真だな」と感じてしまったら、技量も形無しである。すなわち写真を飾ってあることと、超写実絵画が飾ってあることの懸隔がなくなってしまう──という話である。
つまり、それが超写実の絵であることを自慢したいならば、誰かが「これはぜんぶ鉛筆で書かれているのですよ」と案内しなければならない。そこではじめて超写実の絵は鑑賞者によって「へえ、これって鉛筆画なんですか、すごいですねえ」と感興することができる。その案内がなければたんに写真が飾ってあることと変わりがなく、それならば写真でその空間装飾は充分にまかなえることになる──という話である。
けっきょく超写実は「すごい技量」以外の美術的価値がない。(と個人的には思えてしまう。)それを見て、楽しくなったり悲しくなったりしない。総ての芸術がそういうものであるとは言わないが、おそらく芸術というものはそれを見て心が動かされることが望ましい、ならば「写実的である」ことは二の次でもいい、という気がしてくる。
銀板(写真)の発明を経てAIが開発された現代であればなおさらそうだ。機械が一瞬でやれることを人間がやってみせることに意味を見いだせない。
ただし一般に世間で「絵がうまい」とは写実的な絵を描けることを言う。──のは知っているし解っている。それを否定するつもりはない。ただわたしが言っているのは、自分の居間に飾る小品は写実的な写真のような絵ではなく、抽象的なものがいい──ということに過ぎない。
絵の好みに是非はない。わたしもあなたも好きな絵を好きであっていい──という話である。
映画ソウルメイトでは二人の性格が、写実的な描き手のハウンと印象的(抽象的)な描き手のミソによって解りやすい対照をなしている。──と、言うために写実と抽象の話を前置きした。
幼年期、拾った小猫を描いたときにそれが顕現した。
ハウンは高細密な猫を描き、ミソはパステルをつかってざっくりと色を置き猫の「心」も描いた。ハウンはその絵を見て「心も描けるのだ、型破りな発想に感動した」とナレーションで述べる。
こういった感慨は写実派から見た印象派の定番である。たとえば写実を身上とする人間がゲルニカのような絵を見たとき、こんなデタラメがあるもんかと憤りを覚える人だっているのではなかろうか。
言いたいのは、絵の好みやセンスというものは頑な(かたくな)なものであって相容れにくい、ということ。
すなわち描く絵に所以している二人の写実的性格と印象的性格(とでも言うべきもの)が成長とともに徐々にズレを生じさせていく──のが映画ソウルメイトの骨子である。
写実派のハウンは几帳面で繊細だ。印象派のミソは、エネルギッシュで野生で逞しい。それはふたりが描く絵の見た目そのものだ。
まったく違う二人が惹かれあい、時には憎んだりもするが、離れていてもつねにお互いを思いやっている様子が描かれている。
それは抽象画が好きなひとが、それでもなんとなく写実画が気になること、あるいは写実画が好きなひとが、それでもなんとなく抽象画が気になること、に似ているのかもしれない。
中国の映画監督デレク・ツァンのSoulMate(七月與安生)(2016年)のリメイクで、その元は寧波生まれの小説家李傑(Anni Baobei)が2000年に書いた短編小説にもとづいている──とのこと。
SoulMate(七月與安生)もU-Nextにあったので併せて見たが(私見だが)本作のほうができがいい。しかも二人の特性を絵画に特化させているのは韓国版のオリジナル脚色である。青は藍より出でて藍より青し。はるかにズシリとくるし、演出演者ともに一枚上手だった。
ミン・ヨングン監督はこれが初監督作品だが未熟さはなかった。
幼少から学生期は岩井俊二風な女子の活写。蜜月だった二人の関係が、男や距離や時間を介して崩れていく。でもどこかで魂は通っている。dodieの名曲Sick of Losing Soulmatesみたいな。韓国映画が得意とする狂おしい心象・愛憎描写と魅力的な女優。どう見てもこっちがオリジナルと思えるできばえだったが、IMdbでは僅差でデレクツァン版が7.3で本作が7.4だった。
演技ではハウンを演じたチョン・ソニにひかれた。寂しそうな感じが庇護本能をとらえる。現在(2024年)岩明均の寄生獣の韓国版実写スピンオフドラマで主演をつとめている女優でもある。韓国ノワールに相応しい蠱惑的な暗さもあるし、30過ぎなのにJK演技に可憐さもあった。
本作が潔いのはLGBTQ値がまったくないから──でもある。知ってのとおり同性どうしの友情がLGBTQを介して描かれがちなのは時代性である。
当然、世の同性の友情がLGBTQ値を介しているわけではなく、それをLGBTQ値を交えて世間から虐げられた者どうしのように描くことを婉曲ながらクイアベイティングというのではなかろうか。
個人的にはそれがなくてよかったが、それを含有したなら二つ三つ余計に映画賞をとったのかもしれない。
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