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【1】人間 寿命 38歳

池田清彦先生をフォローしているのですが、先生の作品の中で「人間は本来寿命が38歳で、それ以降はおまけである」という話があります。

我が家は毎週1回奥さんと「1つのテーマ」または「最近気になる事」を軸に「相談室」と名を掲げ1時間程度話、対話、議論する時間があります。
(前後もいれると2.3時間)

少し前に奥さんが「40歳になって景色や体感が大きく変わった」と話していました。すると周りの40歳超えの友人たちも「40歳って大きく変わるよねえ」と話していました。

僕は現在32歳、40歳になったことはないので、その気持ちはわかりません。

しかし僕の小学校からの夢は「40歳になること」だったのです。

確かそう思ったきっかけは大好きな「所ジョージ」さんが「40歳から人生楽しいぞー!」と声高々に言っていたのが出発点だった気がします。

それからの人生というもの、ある種「神」をあがめる信者のように「40歳になる」ことを目標・目的に一生懸命生きています。

一方で「自分はなんでこんなに40歳になりたいのかな」という内なる声に対する不思議な気持ちもありました。

そして先日の奥さんの「40歳から大きく変わった」発言。

本能は何故「40歳という数字を意識させる?」

そんな悩めるタイミング(ポジティブ)で池田先生の本に出合います。

二人して「え!?じゃあ40歳(38歳)になるって生物学上も本能的にもある種一つのゴールじゃないか!」と妙に腑に落ちました。


そんな訳で奥さんは一足先に「おまけの人生」スタート。

僕はあと8年(または6年)で「おまけの人生」スタート。

何が言いたいかと言うと「おまけ感チョー大事」です。

僕が関心の高いトピックとして「自殺」があります。

自殺率が高いこの国(世界一)で僕が日々思うことは、そんなに「生きる意味や理由を探さなくていいんじゃないか」ということです。これは完全に自戒で過去の自分に対しても強く思う事です。

「生きる目的」と「生きがい」をしっかり楽しむ。

「生きる目的」は内なる自分がどうしたいか、どうするべきか常識やルールに縛られず達成する事だとして、「生きがい」は趣味や嗜好でしょうか。
※もちろん犯罪を助長している訳ではありません



自己肯定感を持ちつつ、自己効力感を持ちつつ、「適当に」

心が疲弊すると回復するのに時間がかかりますので、ゆるく、ゆるく。

確かに寿命上は38歳以降は「おまけ」だとしても、それ以上に社会は時に冷酷に切れ味を持って突き刺してきます。それも時に思いがけない角度から。

クソ真面目に真正面から突き刺さってしまったらダメージは大きいですよね。ひょうひょうと風の様に生きていきたいものです。

そもそも「おまけなんだ」と思えれば、少し楽になりませんか。

もう僕は1歳でも15歳でも「おまけモード」でいいんじゃないかと思っています。

そのくらいの気持ちで生きるくらいが「人間が生物でいられるのではないか」と日々思うのです。

なにより「おまけ」って嬉しいですよね。

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