小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第29話

1月29日

朝ご飯はビスケットと水だった。
息子と夫が食べなさそうなビスケットだったが、水が欲しいので
二人分もらう。

ドラッグストアから買ってきたツナぱんがあったので、ビスケットは取っておき、ツナぱんと白湯にする。

お湯を汲みに行ったときに、テレビに高校の同級生が映っていた。
色白でほっそりとしていて、音楽の先生をしている。
S市で音楽祭があったときに受付にいたので、話したことがあった。
S市ではペットと一緒にいられる避難所がなく、やっとペット可の避難所ができたというニュースだった。
この避難所はペットと一緒にいられる。
本当にうれしいです、と彼女は言っていた。
雪がちらつく中で撮影され、髪はまとまらず、寒そうで、いつもよりも老けて見えた。
普段はもっときれいな人です、と私は言いたかった。
老けて見えるのは彼女だけではなかった。
地震になってから、皆、急に年を取ったようだった。

支援物資に冬用の靴下があったのでもらってきた。
セーターや毛糸のカーディガンもあったが、家にあるのでもらわなかった。

今日も自分の家と義父母の家で片づけをした。
義父母の台所は食器棚が2つもあって、割れたものを片付けるには
割れていないものも出さないといけないので、とても時間がかかる。

昼は小さなお稲荷さんと豚汁だった。
豚汁はやたらと具が大きく、それがいいと思っているのか
作る側の都合なのか、わからない。
火が通りにくいと思う。食べ慣れたものが食べたい。
息子の分も取っておこうとしたら、夫は冷めた豚汁は良くないだろうから
稲荷だけでいいと言って、少しもめた。
息子は豚汁が好きだから、冷めていても取っておいたほうがいいと思ったが
結局は夫の言うとおりにした。

トイレカーは水が流れなくなったので、バケツに汲んで水を流すように
という張り紙がしてあった。
トイレカーはペダルを踏むと、底がパカッとあく仕組みになっているので
最初に水なしで一度ペダルを踏んで、残った紙などがひたるくらいの
水を入れて、もう一度ペダルを踏んだ。

トイレカーはもう一台あって、E県のものだった。
イラストもかわいらしい。
ナンバーはみかんのゆるキャラでとてもかわいい。
ただ、人気なのか、私が入りたいときは使用中なので
まだ入ったことはない。

支援物資におやつがあったが、飴が多くて虫歯になりそうで、取らなかった。

夫に支援物資で靴下をもらってきた話をしたら、支援物資を見に行った。
なかったといって戻ってきたので、朝は男性用もあったはずだと思って
私も見に行った。
だけど、なかった。
欲しいときに取っておかないと、なくなってしまう。

夫は昼寝をし始めた。
夫はもともと不眠症で、地震前からよく昼寝はしていたので、普段通りといったところだ。

何か話し声がしていたので見てみると、少し離れた部屋の人が、荷物をもって場所を移動するようだった。
3階に移動するようなので、インフルかコロナのようだ。
今ではパーティションもあるから、以前よりも感染しにくくなっているとは思うが、まだ気を付けなくてはいけない。

息子が帰ってきて、お稲荷さんを渡したが、食べなかった。
豚汁がないことに腹をたてていた。
ほらね、と私は夫に言った。
カップ麺を食べるしかなかった。

保温調理鍋のレシピを見ていたら、普通のご飯が作りたいと思った。
母は二次避難に行く前、複雑な表情でこう言っていた。
「ずっとご飯を作らんといかんと思ってたのに、作らなくてよくなった。あーあ。」
父は昔気質で、特別な理由がなければ、弁当を買うのも嫌がるのだ。
しかし、手抜きを許さないわけではなかったので、母はその分、手抜きした料理を作った。レトルトカレーにカット野菜のサラダといった感じだ。
私や弟が小さい頃はもっとちゃんと作っていた。
年をとって、作れなくなってきたのだと思う。
私も料理が楽しいというほうではないから、作らなくても特に困りはしないが、もう一ヵ月になるかというのに、普通のご飯が食べられないのが、つらくなってきた。

夫が家電量販店に行きたいと言うので、車で一緒に行き、私は欲しいものがないので、車の中で待っていた。
向かいの街灯に、何か光を反射するものがあって、よく見たら防犯カメラだった。
防犯のため、カメラをたくさん設置しているとニュースで言っていたやつだろう。

夫は電源タップを買ってきた。
近くにコンビニがあり、地震前はごほうびスイーツを買ったりもしていたが
今は食べたいと思えなかった。

家で洗濯をして、脱水は洗濯機を使った。
脱水が使えるとだいぶ楽だ。

袋のインスタントラーメンの賞味期限が切れかけていたが、
作ることができないので、弟にあげることにした。
弟の家はオール電化なので作れる。
他にも賞味期限の切れたお菓子を見つけたので、鞄に入れる。

片付けをしていたら、義母からもらったカセットコンロが出てきた。
結婚したときに便利だからといって、プレゼントしてくれたのだ。
私はカセットコンロが好きではないので、ずっと使わずにしまっていた。
新品のままだった。
見ていたら、いつも義母に押し付けられてきたことを思い出して
イライラしてきた。
精神が乱れたせいで片づけが進まなかった。
夫に今日はもう帰ろうと言った。

夜ごはんは白米とかきたま汁だった。
家から持ってきた賞味期限切れのお菓子も食べる。

疲れて何がしたいのか、わからなくなってきた。

放送があった。
「明日の朝は炊き立てご飯のおにぎりです、7時から配るので
仕事の人も食べてってください。」
炊き出しの人、頑張るねぇ、と夫と話す。

お菓子の詰め合わせがもらえたので、三人分を一度全部出して
それぞれの好きなものに分ける。
ミニサラミなどは息子に渡す。
ちょっと酸っぱいこんぶのお菓子が入っていて、息子は食べたことがないので、これを機会に食べさせようと思って、おいしいよと渡す。
夫はチョコと飴だ。
虫歯に気を付けて、と注意する。
診察している歯医者さんもあるが、断水のためすごく少ない。
いつも私たちが言っていた歯医者さんは二次避難していて、休診になっている。
私は種無し梅とミニラスクと指輪型キャンディをもらう。
食べると手がべたべたになるやつだ。懐かしい。
手を洗いづらいので、断水が解消してから食べようと取っておく。

夜にも白湯を飲んだ。
朝と夜に白湯を飲んでいた習慣が戻ってきた。
二次避難にいって人数が減ったことで、ポットの待ち時間がなく、使いやすくなった。

プール教室の先生とすれ違って挨拶をした。
息子は小さいとき、プール教室に通っていた。
プールの先生は教え子とそのお母さんと話していた。
プールの建物は自衛隊が使っているので、一般の人は中に入れないと言っていた。
大きなロビーや休憩室で自衛隊員が寝泊まりしているらしい。
泳ぐのが好きな人にとって、断水はまた違った意味を持つに違いない。

消灯前にトイレカーに行く。
まだバケツを使わないといけない。
工事現場によくある仮設トイレも一つが使用禁止になっている。
長期の使用に耐えられないのだろうか。

家の隣のビルが倒壊して家族が亡くなり、思い出の品を探している男性がテレビに出ていた。
毎日夢を見ているようで、何かせずにはいられないといっていた。
夢を見ているような気分というのは、私もわかる。
現実を受け入れられないというか、飲み込めないというか、そんな気持ちだ。
地震にあった人はあの日から二つの人生を抱えていくのだと思う。
一つは地震が起こらなかった人生。もう一つは地震が起こった現実の人生。
私の場合は、今は二つの人生が離れているように見えるけれど、10年単位でみれば、同じようなところに戻っていくのではないかと思う。
家が少し壊れて、仕事は変わらず、年老いた親の世話をしていく。
家が壊れた人や、家族が亡くなった人はそうはいかない。
ずっと二つの人生が離れたままになっていくのだろう。
もちろんそれは天災だけに限らない。
交通事故やヘリコプターの墜落だってある。そのほうがつらい場合もあるだろう。
地震がなくても、世の中はつらいことであふれている。

そのあともテレビを見ていたら、ピアノ教師が殺害されたというニュースがあった。
人は必ず死んでいくのに、どうして殺さなければならなかったのだろう。
この人にとっては、海外の2か所の戦争も、能登半島地震も
心に響かなかったのだと思うとさみしかった。

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