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らもと猫猫(マオマオ) ☆52

昨日の記事は、『薬屋のひとりごと』の主人公猫猫(マオマオ)と中島らもが共通して毒オタクであるという結論になってしまった。

私はつい、猫猫をヘンタイだと書いてしまったが、調べたら原作者の日向夏(ひゅうがなつ)も猫猫をヘンタイにして楽しんでいるらしく、やはり確信犯なのであった。

なにがヘンタイかと言えば、猫猫は毒の効果を自分で試して、身体に起こる変化を楽しんでいるのだ。それは、夢見心地になる幻覚作用から、死に至る程の苦痛まで、苦痛でうっとりしたら、それは立派な変態と言えると思う。

一方、中島らもも、あらゆる薬を自分の身体で試して、その効果を記述した人である。

※人は何故「酩酊」(苦痛も含まれる)を求めるのか?

という問いに対して、らもさんの出した答えは、

「それが気持ちいいからだ」というなんだか身も蓋もないような、当たり前な結論を出すのである。

でも、らもさんの偉大な(或いは愚かな?)ところは、それらを口先で述べるだけなら誰でもできるところを、あくまで実践してみせたところだ。

で、結局は「気持ちイイ」にたどり着くのだが、真実味がぜんぜん違う。

だって、イケナイ薬をやった言い訳なのだから、もっとそれらしい理屈を付けたくなるところを、潔くそのまま白状しているのだから。

私達は、誰もが常識として薬の中毒はダメな事を知っている。それは、常識を知っているからだが、

それをなんの疑問も持たずに信じるのは、本当にそれで良いのだろうか?

やはり、らもさんの体験は貴重なのだ。

いろいろ試して、実際にこのような現象が起こると探求するのは科学的である。猫猫も、根っこはそこにあるのだろう。

ただ、これは本当に危ない。

以前『不条理 ㉞』で『裸のランチ』に少し触れたが、あれは正に

>15年間に渡って麻薬中毒だったウィリアム・バロウズは「病とその譫妄状態について詳しい記録」を取っておいたというが、その文学的あるいは反文学的記述、

なのだという。
私にとって『裸のランチ』はあまり楽しい作品ではなかったが、ああなっては帰って来られなくなる方が普通だろう。
【※不快になるかも知れません↓裸のランチ】

もちろん、「酩酊」したくなるのは、猫猫やらもさんだけでなく、一般人にもその願望はある。

私は、鈴木清順の『陽炎座』は好きな映画だし、以前は酒でよく酩酊していた。もっと刺激を求める人がいても不思議とは思わないし。

考えてみれば、ミステリーファンなら大抵はご存知の通り、かのシャーロック・ホームズはコカインの中毒患者なのであるから、

猫猫の嗜好は、それほど突飛でもないのかも知れない。

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