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誰もが、ハートの奥に思い出の写真を持っている


桜が咲くと記憶のアルバムを開く。そしてまたシャッターを押す。

街と呼べるほど人はいないが、以前この町にも電車が走っていた。 自宅の前のなだらかな坂道を下りると、中学校があり、 その少し先に、小さな私鉄の始発駅があった。 学校と自宅の坂の途中には、桜の木で囲まれた寺がある。 昨日は蕾だった桜の花が、今朝の光の中、昼過ぎには八分咲きになっていた。 明日風で、咲いたばかりの花びらが散ってしまうかもしれない。
この桜が咲くと、思い出す事がある。 

駅に行くには、この寺の桜の木の下をいつも歩いた。 学校に行くときは、この木の下を駆け下りた。 この町で生まれこの地で育った。
いつも春の節目で、この桜の花びらが散っていた。

18歳の春、桜の散る坂道を、デニムの大きいかばんを持って駅に向かった。 電車に乗れば、すばらしい未来が待っている、なんとも言えない高揚した気分。 ジーンズにデザートブーツ、薄地のマウンテンパーカーに花びらが舞い落ちる。

その姿を今でも覚えている。
きっと、ハートのカメラがシャッターを押したのだ。

5年後の春、この坂を上り、とぼとぼ帰ってきた。
もう少しで、花が咲く頃だった。 4月に入ると、道に迫り出した枝に蕾がついた。

なだらかな坂のこの木は、何事もなかったように、 4月を迎えると蕾をつけ、ある時は咲誇り、ある時は嵐に花びらを舞わす。 春のワクワクした気分や、別れの悲しさ、新たな出会いのトキメキ。

熱い思いは花びらと共に散ってしまったが、この老木が蕾をつけるとわが身を顧みて、今年もハートのシャッターを押す。

坂道を登ったり、下ったり、時は流れる。

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