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友人が逝くという事 Ⅱ         「ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駆けて帰らん」Yよ、帰りたかったのか

初夏だった。
朝、スマホでSNSをチェックすると、近くの同級生で女友達のKちゃんから、Yが昨夜亡くなり、実家に帰ってきている、と連絡があった。
KちゃんとY宅は近所で、闘病しているYの事を、近くに住むYの姉を通じて教えてくれていた。

すでに両親なき彼の実家は空き家だが、実姉が管理をしており、しばらく前、大工が入り工事をしていた。
誰も住むあてもないのに何故だろう、まさか。
このことも近くにいる彼女が教えてくれた。Yが帰りたいと言っているのだ、と。

子供の頃よく遊びに行ったYの実家におくやみにいった。
新しくなった部屋にYが寝かされていた。
Yよ、ここに帰ってきたかったのか、思わず感情が込み上げてきた。

小学校、中学校と勉強もスポーツもやつには叶わなかった。
おまけに背が高くハンサムで女の子にもてた。
高校時代はカワサキのバイクに彼女をのせ、ブリブリ言わしていた。
いつも前向きで、社交的で強い男だと思っていた。

ところが大学受験に失敗し、弱音を吐き、人生を語り出した時があった。「これでも読みなよ」と、丸山健二の青春論的なエッセイを貸したことがあった。
「イヌワシ讃歌」「君の血は騒いでいるか-告白的肉体論」だったか。
あの傲慢と思えるほどの強さをもった彼も、人並みに悩み沈んでいた。
まぁ、青春とは誰でもそんなものだが。

一昨年の初夏、麦わら帽子を被って突然やってきた。
「親父の墓を移動するので来たんだ、実はガンが見つかった、早期で心配ない、抗がん治療の後手術をする」
場所はどこだ、と尋ねると、「膵臓だ」と。

お盆に、幼馴染のNに会い、彼の事を伝えた。
医者のNは間を置き「膵臓か・・・」小さくつぶやいた。

術後の経過はどうだ、とSNSで問い合わせると、
大手術をし、その後コロナにかかり三途の川を見たが、生き返ったよ。
仕事にも行き始めた、三途の川の絵を描いた、又見てくれ、と答えた。
Nにも伝えてくれ、「俺はまだまだ死なない」と。

半年後、調子が悪くなって又入院した、とKちゃんに聞いた。
病院は北摂、緩和ケア病棟・・・。
2日後の日曜に車を走らせ、兵庫に住むNと病院前で待ち合わせた。
痛み止めで朦朧しているYと昔のバカ話をした。未来の話はできない、面会の1時間はあっという間に過ぎた。
帰りNに、緩和ケアにいると言う事は、そういう事か、と尋ねると、そういう事だ、と返ってきた。



僕たち3人が育った田舎町の高台に、通称「ギオンさん」といわれる無人の祠がある。毎年7月の中旬、近所の方々と参道をきれいにし、下の街道からいくつもの提灯を吊り下げ1週間の地元のギオン祭りを行っていた。
お世話をする地元住民の高齢化とコロナによって、今は鳥居の周りをお祀りするだけになってしまったが。

さて、このギオンさんに行くには急な坂道を登らなければならない、ある年の梅雨明けの準備の日、被っていた麦わら帽子を汗を拭くときに落としてしまった。つばの小さい麦わら帽子は坂道を転がり落ちた。
「ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駆けて帰らん」
寺山修司の歌が思いだされた。

地元に離れ、しばらくご無沙汰していても、親が鬼籍に入ると、寺行事で実家に帰る事が多くなる。ふるさとの良さを再確認するのだろうか。
ずいぶん前に地元に戻り、この地に溶け込んでいる者からみるとわからない。歳だなぁ、と言いつつ望郷の思いは強くなるようだ。

麦わら帽子を被ったYも帰ってきたかったようだ。
「ふるさとの道駆けて帰らん」

待っていたが、残念だった。





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