【短編】天王星人が攻めてきて火星人と協力する日常もの

 高校三年生の夏休みというのは最悪の期間だと、綿谷なるは考える。
 辛くも楽しかった部活動も終わりを迎え、三年生はみな無闇に成長した後輩達に見送られ、涙と笑顔で地獄の受験戦争へと送りだされる。ああ、なんて破滅的な構図だろうか! なるはこれからの苦難を想像するだけで笑いが込み上げてきそうだった。
 勉強なんてしたくない。詰め込み教育大反対。そんな人格の尊重されない状態になるくらいなら寄生虫に耳から脳をぶち抜かれた方がマシだと多少大袈裟ながら思いつつも、それでも高校生として、受験生として、本分は勉学にある。決して世界を救うためだとか、誰かに薦めるために新しく出版される漫画や小説にやたらと詳しくなるために、貴重な高校三年生の時間を費やすべきではない。暗号のような数学の問題に割れそうな頭を抱えながらも、そう考えていた。
 だからこそ、彼女は扇風機もない部屋で、慣れない栄養剤を飲み干し夜を徹す決意をしてまで、解答の糸口も見えない問題の束に向かっていたのである。
 そう。
 あのメールが携帯に届く数分前までは。

     ・

「……もしもわたしが寝てたらどうするつもりだったんですか」
「その時は、まあ仕方がないと思っていたよ」
 全く気にしていない様子の声に、なるは呆れてため息をつく。
 夜風は生ぬるく、空は雲一つない割に星が見えない。新月なのか月も見当たらず、余計に辺りは薄暗く見える。いつも通りの夜空からはもちろん、星が落ちてくるような様子もないし、恐怖の大魔王が降ってくるような前兆も見当たらない。虫の音が騒々しい、となるは思う。それは異常のようにも思えたし、単にそういう地域なんだとも思えた。
 彼女は斜め前を行く女の人について歩いていた。今のなるは部屋着の上にパーカーを羽織っただけの格好で、履き古したサンダルをぺたぺたやっている。深夜の街を歩くには不安が残る装いだったが、それも仕方がない事だった。なにせ、時間がなかったのだ。
 不満げに眠気の堆積する瞼をこすりつつ、なるは前を歩く女性の背を眺める。
 すらりと伸びた手足は迷わずどこかを目指しているようだった。快活な動きに合わせて長い髪が揺れる。なると同じように家にいたのか、部屋着どころかパジャマにリュックサックという、まるで家出をしているかのような格好だった。
「実は大学のサークルで飲み会があってさあ。お酒って脳を侵す麻薬の一種だよね。おかげで正常になるまで時間がかかって、気付くのが遅れちゃった」
「だからこんなぎりぎりで呼び出してきたんですか。しかも理由がお酒って。まだ未成年のくせに」
「気にしない。私にそういうのを当てはめるのは無粋だよ」
 ふふ、と鼻にかかったような笑い声。なるは少しむっとして、よっぽど注意してやろうかと思ったが、やめる。この女にそんな常識を説いたところで意味がない事は、重々承知だった。
 なるはわざとらしくため息をつく。
「……それで、火星人さん。今回はどこに向かってるんでしょーか」
 なるが皮肉るように言うと、ぴたりと足を止め、女性――マナカは口元に笑みを貼り付け振り返った。
 作りものじみた、どこかちぐはくな笑顔で。
「どっかの丘だよ、チキュージン」
 わざとらしいイントネーションでいい加減な事を言うと、またすぐに前を向いてしまう。当てつけの一つでも言おうかともなるは考えたが、やっぱり黙っておく事にする。だって、今回はいつにも増して時間がない。
 足は止めずになるは空を見上げる。
 星さえ見えない夜の空。しかし何かが進行中。それはついさっき送られてきた、これまでと同じようなメールが正しければ、紛れもない事実である。
『何もしないと今夜中に人類滅びそうだけど、どうする?』
 送信時刻は午前一時半。
 夏の夜が明けるまで、あと三時間を切っていた。

     ・

 人類が有人宇宙飛行に成功したのは一九六一年――つまり、今から数えて四十五年前のことである。
 それ以降からは特に宇宙へ向けての情熱が高まり、現在に至っては火星には文明が存在するだなんてものまで飛び出す始末だ。無論、まだまだ夢物語の域を出ない話である。しかし、そうした夢物語は多々あって、たとえばどこそこの隕石は実は宇宙船だっただの、宇宙人は人間に擬態してそこら中に潜んでいるだの、地球は卓越した技術と文明を持つ宇宙人によって監視されているだの、果てには二十世紀の終わりにはノストラダムスの大予言と勝手にリンクさせて『恐怖の大魔王は巨大宇宙船に乗った侵略者だったんだ!』などと騒ぐ人もちらほらいたりもした。
 もちろん、そんな話はでたらめだ。そんなことはみんなわかっている。しかし、子供にとってはそうではない。
 恐怖の大魔王がやってくると噂の世紀末、思春期真っ只中の綿谷なるは、そんな夢物語を信じていた。彼女は幻想を信じやすい少女だった。クラスの友人に避けられ、一つ年上の姉やその知り合いからからかわれても、宇宙人が侵略してくるのだと言ってはばからなかった。特に近所に住む姉のクラスメイトの一人、常田愛華(とこたまなか)は、顔を合わせるたびに整った顔を嘲りに歪め、なるの頬を羞恥に赤くさせた。
 宇宙人の侵略なんてものは子供の夢物語である。それは地球人類の一般常識であり、そして一面では恐らく正しい。
 火星にはいわゆる人間は住んでいないし、地球征服を目論む宇宙人は存在しないし、人間に擬態する名状し難い生物が闊歩している事も、恐らくない。
 あくまで、一面から見れば。
「やあやあそこ行くお嬢さん――」
 その日、なるの目の前に現れたのは、常田愛華と呼ばれる人だった。
 整った顔に長い手足。周りのみんなに愛想のいい笑顔を振りまき、なるに対しては苛烈な小学六年生の少女。
 で、あるはずだった。
「あと半日で地球人類が天王星人の手で絶滅させられるけど――君は、助けてあげた方がいいと思う?」
 まるで動かし慣れていない機械を動かしているかのようなぎこちなさで、火星人を名乗る彼女は、唇を歪めていた。

     ・

「侵略の定義ってさ」
 ぽつりとマナカが口にする。
 なるは視線だけその横顔に向ける。
「昔から思ってたんだけど、地球人同士でしか適用されないじゃん。他国に攻め入るだの、領地を武力によって奪うだのって。その定義のまま考えるとさ、他の星のヒトが何らかの外的圧力を以てして、この星の主体的な人間の数を減らして武力による闘争を手段にいれずにそこに住みつこうとする場合ってさ、これ侵略になると思う?」
「えー……」
 なるは鬱陶しそうに首を傾げる。
 大抵、呼び出されての移動中は暇なので、マナカは色々と話を振ってくるのだが、また今回は妙に宇宙的だ。彼女は自称火星人のわりにSFちっくな話はあまりせず、特に最近はテレビで見た新作スイーツの話からの切り出しが多かったので面食らってしまう。というか、なるの寝不足の頭では、何が言いたいのか微妙にわからない。
「もっとわかりやすく言ってください」
「そう? じゃあ具体的に言うと、大量の火星人が、今火星であんまり人気のない星間移動方法の一つである精神交換法を使って地球にやってきて人間の体を奪って生活し始めたら、それって侵略になるかな? って事なんだけど。あ、例としては私みたいなのが大量に現れたらってことね」
「うげっ」
 なるは思わず顔をしかめるが、マナカは平然としたものだった。楽しそうなのかそうでないのか、口元に微笑みを絶やさず、前を向いて歩き続ける。その様子から彼女が地球外生命体だと考える人は頭がどうかしていると思うが、しかしマナカは正真正銘の火星人である。恐らくは、現在例に挙げたような方法を使って地球にやってきた。
 『ある日突然性格が豹変して取ってつけたような笑顔を浮かべるようになったら要注意だ。それはもしかしたら火星人かもしれない』だなんて笑えない冗談だが、なるの目の前の女がそう主張するのでとりあえずは事実なのだろう。真偽はともかく。
 なるはとりあえず真剣に考えてみて、これを否定すると次の瞬間『侵略じゃないなら別にいいよね!』と言われて今の自分がいなくなる可能性に思い当たり、慌てて「いやいやいや」と首を横に振る。
「侵略です侵略。それってもう地球人じゃないじゃないですか。火星人ですよ。だめですそれは」
「そうなのか。つまり、武力による弾圧ではなく、固有の知性を奪うようなやり方も侵略たりえるわけだね。では同様に意思決定能力を奪うようなやり方も好ましくないと。たとえばムシの走性みたいな感じの規則を強制的に植え付けて、それを侵略じゃないと感じるようにさせても駄目なんだね」
「駄目です全然駄目です。それ洗脳じゃないですか」
「なるほど。では、何らかの原因で現在地球に存在する人類以外の生物がちょっとした変化をきたして、結果的に現在の生態系が崩壊、更にその生物が親火星的なものだった場合に火星のヒトが武力を使わずに住み始めた場合はどうだろう。これは侵略?」
「む」
 言葉に詰まるなるに、マナカは横目をやる。
 今マナカが口にした例の場合、極論突然隕石が地球に降り注いで、かつての恐竜のように人類が滅亡し、そこに火星人が住み始めた場合に侵略とみなされるか、という話になる。これはどうなのだろう。住んでいるヒトがいないのなら侵略ではない? 理屈の上ではそれが正しい気がしていた。
 サンダルのぺたぺたという音が、草を踏みしめる音に変わる。マナカの言っていたどこかの丘とやらに近付いているのだろう。顔を上げると、そこは街の端にある大きな公園の入り口だった。
 答えを促すように立ち止まるマナカに、なるは目を逸らして返す。
「……侵略ではないのではないでしょうか。あんまり納得はできないですけれど」
「そうか。ちなみにどうして納得できないの?」
「理屈の上ではそうだと思うんですけど、感情的には嫌だというか。でも相手も生きるためなら仕方がないですし……そもそも生存競争が正しいんだとしたら侵略も仕方がない面が……」
「ああ、そこまで考えなくていいよ。ありがとう」
「どういたしまして。ちなみにどうしてそんな事を?」
 もしかしてそういう感じで地球乗っ取り計画でも立てている? と不安に思うが、マナカは珍しく満面の笑みを浮かべて言う。
「ああ。昨日の夜に、君が前に貸してくれた漫画を読んだんだ。人間っぽい女の子が地球を侵略するって息巻いてるやつ。すっげーつまらなかったんだけど、そういえば彼女は何をもって侵略完成と見るのかと思ってさあ。ていうか特撮とか漫画の悪の秘密組織が言う世界征服ってどういう事なんだろうね? 屈服させれば征服完了?」
「少しは真面目な話だと思ったらまたそれですか! しかも人の漫画をすっげーつまらないとは……」
 なんで火星人が日本のフィクションに夢中なんだ、となるは頭を抱えたくなる。原因に思い当たる節はあるが、それがマナカにそういった物を貸す何者かの存在、つまり今ここにいる自分である事はできれば考えたくないのである。
 真面目に考えて損した、となるが呟くと、マナカは一度真顔に戻り、再び口元に笑みを貼り付ける。
「帰り、ついでにあの漫画返すよ。良ければまた何か貸して」
「別にいいですけどね……」
「ありがとう。楽しみにしてる」
 暗がりに沈む公園の中心、小高い丘の上を指し示すと、マナカはそのまま歩いていってしまう。なるも小走りにそれを追う。
 彼女が足を止めた場所は丘の頂だった。
 街灯の明かりが届かなくとも、月が出ずとも、星明かりがあれば十分に明るい。空はよく晴れていて、星を隠す雲はない。けれどその場所はこれまでのどこよりも暗く、落ち窪んでいるように、なるは思った。
「よし、間に合った」
 マナカはリュックサックを下ろすと膝を抱えて屈みこみ、その先を指差す。なるも腰を折って、マナカの背中越しに、見た。
 それは小さな植物だった。
 丘の上、草もまばらな地に、幼木を思わせるような、細くて低い植物が生えていた。枝もまだほとんど分かれておらず、高さはなるの膝までも及ばない。生えている場所は少し変ではあるが、外見上、それ以外におかしな所はない。
 マナカは眼下の物を無表情に見下ろしている。
「『ムシ』だ。活動開始まであと四十分て所か」
「……うん」
 なるは、ぬめりを帯びた唾を飲み込む。
 目の前の植物を、マナカは『ムシ』と呼んでいた。
 火星よりも遥か遠く、宇宙の遥か彼方にある天王星からやってくる生命体。宇宙を航行する事もままならない地球の技術や生命体とは別の性質で存在する、他の星の生命体の構成を書き換えるだけの寄生体だ。こいつらが、いわゆる天王星のヒトである。
 彼らは一定の法則に基づいて宇宙を漂い、そして着いた星の何かに感染する。感染を終えてから定着するまでに多少の時間を要するが、準備が終わると勢いよく変異物質を噴出し、届く限りの全ての生命体のデータを書き換える。書き換えにも法則があるらしいが、少なくとも現在の在り方からは大きく変わってしまう。一度噴出すると止めようもなく、あまりにも微細であるため封じ込める事もできない。それが、目の前にある植物の、今の性質らしかった。
 なるがそれを思い、ほんの少しの緊張に顔を強張らせた時。
「よし、花火をしよう」
「えっ」
 マナカはうなずくと、リュックサックから花火セットを取り出していた。何を持って来ているかと思えばそんな物を入れてきていたのかとなるは驚く。
「実は不肖私、この星に来てから一度も花火というものを目にした事がないんだ。せっかくだから一緒にやろう」
「……いやいやいや、花火はいいですけど先にこれどうにかしましょうよ。人類の危機ですよ。間に合わなかったらどうするんですか」
「え、だって君もこれの事よく知っているでしょう。それにまだ夜明けまで時間はあるじゃない」
「まあ……そうですけど」
 なるはむすっとした調子で応える。
 天王星人の侵略、あるいは天王星からの攻撃。これに対処するのは実はとても簡単である。
 活動を開始してしまうと凄まじくまずいのだが、その分、活動開始前は楽に処理する事ができる。
 降り立つごとに植物に憑くこの天王星人は、植物故によく燃える。寄生先の大部分が燃えてしまうと生存ができなくなるらしく、為す術もなく風に流され飛んでいく。燃えカスに凶悪な物質も含まれないというなんともエコな侵略者らしいのだ。燃やすのに一分もかからないとすれば、確かにマナカの言うように、時間は有り余っている。その余った時間を使って花火をしても十分間に合うだろう。
 それにしたって先に憂いを片付けたいのが人情というものだ。しかしマナカは笑みを少しだけ深くし、鼻歌を歌いながら花火セットを広げていく。スーパーで買ってきたようなビニールに包まれたお徳用のセットに、木箱に入ったマッチ。火災に気をつけるつもりは全くないのか、火消し用の水は見当たらない。
 これ以上何か言おうとこの火星人はどうせ花火をするのだろう。というか、これが目的だったに違いない。さっきまでの緊迫感は一体なんだったというのか。
 諦めて、なるも隣に屈みこむ。
 マナカは手近なものを手に取ると、マッチを擦り火を移した。花火は勢いよく紫色の火を噴き出す。おお、とマナカは目を見開く。そのままぐるぐる回したり、逃げるなるの方に向けて振り回したりしている内に火は消え、燃えカスを残すだけになった。マナカは何度か頷くとそれをぽいと捨てる。
「いやあ、すっげー微妙だねこれ。楽しいの?」
「さっさと燃やして帰ります?」
「いや、せっかくだから全部やる。君も、ほら」
「ああ、はいはい」
 結局、邪悪な雰囲気を醸し出す植物を挟んで花火をした。
 マナカは途中から明らかに飽きていて、花火をまとめて着火したり振り回したりと適当の限りを尽くしていた。対するなるはひたすら線香花火が地に落ちて一瞬大きく光るのを見届けていた。
 辺りに毒々しい臭いを放つ火薬の煙が蔓延し始めた頃、マナカが「やあやあそこなお嬢さん」と芝居がかった風に声を発した。
 なるは火を点けてすぐに落ちた明かりを見届け、再び新たな一本に火を点ける。
「昨今は勉強が忙しそうだけど、どうだい調子は。毎日が楽しいかい」
「最悪の気分です。このままだと浪人ですね」
「それはまたひどい話だ。漫画ばかり読んでいるからそうなるんだよ」
「近所の大学生が事あるごとにお薦めの漫画を教えてくれとせがむのです。迷惑極まりないのですが仕方がないのです。だって、貸さないと次に地球が危ない時に教えてあげないと言うのですから」
「それはひどい。それならその人に勉強を教えてもらえばいいんじゃないか? 相手が大学生ならさ」
「それもいいかもしれません。今度からはそうします」
 細長く変形した線香花火の先端がまた一つ落ちる。新しい物を手で探るも、袋の中にはもう花火はなかった。対面に座るマナカが遠くへ回転するねずみ花火を放り投げると、それで袋の中身はお終いだった。
 さて、とマナカは言う。
「そろそろ時間だ。幕を引かなくちゃね。でも、その前に一つきくよ。最初の話の続き。そう、侵略についてのお話だ」
 裾をぱぱっと払ってマナカは立ち上がる。なるは屈んだまま見上げた。パジャマのマナカは相変わらずちぐはぐな笑顔を作っている。
「目の前の植物は単なる外的要因によって変質した、知性のない存在だ。もしかしたら生物を進化か滅亡させる不思議なガスを噴出するかもしれない。それはわからない。でも少なくとも侵略者ではない。知性はなくとも痛みに身もだえするのかもしれない。彼らは別に悪さをしたいわけではない。もしかすると彼らは超常的な意志が人類を救うために派遣した不細工な天使かもしれないし、もしかしたら私はそれを妨害する悪意ある火星人かもしれないし、そうでなくともこの植物は君の鬱屈した苦行のような生活を変質させてくれるかもしれないし、しかしそもそも私は君をからかって楽しむ嘘つき女かもしれない」
 ポケットからマッチ箱を取り出すと、マナカはそれをなるに放る。なるはキャッチすると、じっとマナカの目を見返す。
 マナカはそれ以上を言葉にしなかった。なるもその先の質問は既に推測できている。
 それは、初めて『マナカ』が彼女に投げかけた問と、同じ。
 なるは立ち上がると、答えの代わりにマッチを箱の側面に擦りつける。
「そんなの、言うまでもないでしょう」
「ふむ」
 火は勢いよく膨らみ、ちりちりと爪の先を炙る。
 それをため息と一緒に植物へと放り捨てた。
 マッチを包む小さな火は植物へ着地し、木とも呼べない幼い草はゆっくりと、静かに炎に浸食されていく。爆ぜる音を小さく響かせ、白い煙を上げながら。
「正しくなかろうが、嫌な可能性は摘んだ方が楽ですから」
「ごもっともだ」
 二人は示し合わすように笑うと、ムシが燃え終わるのを確認して、片付けもせずに丘を後にした。

     ・

「夜が明けてしまうね」
 帰り道でマナカが言った。
「高校生から朝帰りか。君、生活が乱れてるんじゃない?」
「誰のせいですか誰の。ああ、でもこれじゃあ漫画持って来れないですね。さすがに誰か起きちゃいます」
「いいよ別に。明日起きたら借りてた漫画を持っていくから、その時に貸してくれれば」
「はいはい」
 たびたびすれ違うジョギングをする人に不審な顔をされながらも、マナカの家に着いた。少し歩けばなるの家だ。あくびを噛み殺す彼女に、マナカはふにゃふにゃと敬礼を真似てみせる。
「それじゃあまた。きちんと寝なよ」
「大きなお世話です」
 マナカは小さく笑むと、家に入る。それを見届けたなるは大きく伸びをして、明るくなり始めている街路をゆるゆると歩いていく。
 帰ったらすぐに寝て、お昼頃に起きて、そしたらマナカがやってくるだろう。そしたら漫画を貸す代わりに数学を教えてもらって、それが終わったら、息抜きに買ってからまだ読んでいない小説を読んで、そしたら別な教科でも勉強しよう。しばらくはマナカの呼び出しはないはずだ。これまでの頻度から考えても、マナカの性格から考えても。
「……わたしは、けっこう、現状に満足していますから」
 眠気で緩くなった口が思考を垂れ流す。
 選択肢は恐らくこうだっただろう。「それでもこれを燃やすのか、否か」。独善と偽善の選択肢。燃やせば変化の可能性を否定し、燃やさなければそれは破滅への、あるいは新たな非日常への切符となる。
 しかしながら、これ以上の新たな要素を、なるは特に求めていなかった。苦しかろうが、それも含めて楽しんでいる。
 一面から見れば火星人に付き合わされる不憫な少女。
 一面から見れば、先輩と一緒に息抜きに遊ぶ後輩だ。
「ああ、次はどこに行くんだろ……」
 もう一度あくびをし、なるはこっそりと自分の家に入った。

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