反出生主義者と優生主義者

反出生主義と優生主義はよく間違われる。ツイッターで明らかな優生主義者が反出生主義を名乗っているのをしばしば見かける。しかし両者は全く異なるものであり、反出生主義の基礎的な主張を聞いたことがあるならば反出生主義においては人の優劣は全く考慮されていない、ということがすぐわかるはずだ。なぜ優生主義を反出生主義と混同してしまう人がいるのだろうか。私が思うにこれはその人が「人類の存続は善である」と強く信じているからだろう。この信念はかなり広く根付いており、「生まれてこなければよかった」と思う人のなかにも「人類は存続すべきだ」と信じている人はかなり多く存在するように思われる。そしてそのような人の中では「すべての人は生まれてこないほうが良い」という考えはその信念に反しあまりに受け入れがたいがゆえに、無意識に「劣った人は生まれてこないほうが良い」という主義に変換されてしまっているのだろう。

「人類は存続すべきだ」という考えがなぜここまでありふれているのかという疑問が残るが、人間の幸福とか偉大さとかを賛美するようなコンテンツが世の中にあふれているから、というのがあり得そうな理由である。ニュース、小説、映画などであまりに多くの"幸せな人間"が提示されているので、それに影響を受けた人は例え自分がどんなにつらい思いをしていても、人類が滅びたほうが良いという考えは理解することすらできないのだろう。そう考えるとある意味様々な感動的なコンテンツは一種の洗脳として機能している、ということもできるかもしれない。

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