見出し画像

ブスは黙って教祖を目指せ

「美人になりたい」
多くの女性が思っていることだろう。私自身も中学から自分の顔面に悩まされ、現在でも容姿コンプレックスから抜け出せていない。東京に住んでいると、目を見張るような美人がごろごろいる。表参道に行くから気合いを入れようとせっかくおしゃれをしていっても、日が暮れるころには自分を鏡で見るとひどくくすんで見える。少ない小遣いの中から買ったデパコスで作った顔面も、前日から考えていたコーデも、全てが無意味でチープな二流品のように思えてくる。「やっぱり美人には敵わないよな」そんな敗北感を胸に、電車に揺られ、自己肯定感がごっそり抜け落ちた体で帰宅する。
どう考えても美人は得だと思う。シンデレラが見初められたのは彼女が容姿端麗だったからであって、顔が彼女の姉たちのようにブスだったら見向きもされなかったはずだ。ある統計によると、美人はブスに比べて3600万円も生涯賃金が多いらしい。ほら、ブスが美人より得する場面なんてないじゃないか。でも、果たして本当にそうだろうか。

あるとき、大学の講演会に、卒業生のフリーアナウンサーが来た。つまらなかったらすぐ帰ろうと思って何気なく参加した私は、結局講演会が終わるまで彼女の話を聞き続けることとなった。彼女の話の内容が面白かったかと言われればそうではない。さすがに、アナウンサーなだけあって滑舌もよく聞き取りやすい日本語を話していたが、その内容と言えば、自身の就活の話、夫との日常、今取り組んでいる自然派生活など、まさに「フリーアナ」的な、内容無き啓蒙であった。しかし、1時間半、私は彼女の話を聞き続けられた。聞いていたいと思った。なぜか。彼女が決して美人の部類ではなかったからだ。数々の美人がその座を狙う女子アナという枠を勝ち取り、有名人の夫とともにお金に不自由しない暮らしを手に入れた。
「いつだって美人が得をする」
そんな世の常に対し、ブスの番狂わせを起こした女性の話はたとえ内容が面白くなくても聞いていたいと思えた。

ブスが美人に勝るもの、それは「説得力」だ。たとえ話の内容が面白くなくても、私に聞いていたいと思わせた上述のフリーアナ、それは私が彼女の人生に勝手に「説得力」を付与していたからである。同じ話を田中みな実がしていたとしたら、私は話ではなく彼女の顔面に神経を集中させていただろう。それは彼女が美人であり、美人のアドバイスほどあてにならないものはなく、それなら彼女の骨格の美しさを見ていたほうがよっぼど有意義な時間になるからだ。ブスが話すとき、そこには意図せず深みが生まれる。
証明しよう。今、あなたの頭の中に誰か一人ブスを思い浮かべてみてほしい。その人に「人生、生きてればなんとかなるよ」と言われると、「ああそうかもな」と思えてくるのではないだろうか。反対に橋本環奈に「生きてれば何とかなる」と言われても、「そりゃお前はな」とツッコみたくなるのではないだろうか。
ブスの人生はハードモードが初期設定である。他者からの恩恵に授かる機会は美人に比べて少なく、それゆえに自分の足で踏ん張り続けるしかない。その重荷を背負って生き抜いてきた人間が話す言葉には含蓄がある(ように見える)。
思い返してみてほしい。麻原〇晃も、大川〇法も、みんなお世辞にもイケメンとは言えない。でも、だからこそあれだけの巨大組織を統率するカリスマ性をもちえたのだ。あったことないけどキリストもブッダもみんなブサイクだったと思う。だから、人生が厳しいと嘆くブスたちに私は言いたい。
「ブスは黙って教祖を目指せ」


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?