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島本理生『ファーストラブ』を読んで

レリジエンス・しなやかな回復力の物語

 臨床心理士真壁由紀は、女子アナ志望の大学生聖山還菜が父親の画家聖山那雄人を勤務先の美術学校の女子トイレに呼び出して持っていた包丁で刺殺した事件が話題になる中、出版社からの依頼でこの美人過ぎる殺人者の半生を執筆する事になった。刑務所の面接室で被告の還菜は「どうして私は親を殺すような人間に育ってしまったのだろう、私を治して」と由紀に切実に訴える。物語は還菜の殺人までの記憶と成育歴を探りながら、家庭の問題と性愛の問題に分け入っていく。それと重なるように由紀自身が自己分析を深めざるを得なくなる。法廷弁護人が義理の弟であり、学生時代に恋愛関係だった庵野迦葉、複雑な心理劇が立ち上がる。男と女、家族、親子、義理でも実でも自分と他者を認めるとはどういうことか。「愛は与えるものではなく、愛は見守り、本人の意思を尊重することにある」が主題だ。おそらくファーストラブとは初恋ではなく、こうした愛を識った初めての時の想いだろう。
 あら筋にしてしまうにはもったいないほど散りばめられたドラマのピースがぴちぴちと嵌っていく推理小説的展開の面白さと、背景に想起される人間の底知れぬ性のぬかるみ、愛から遠いその悲しさが拡がって来る。
 2022年に日本臨床心理学会で学会賞を受賞した信田さよ子氏は、40年にわたりカウンセリングに先駆的に取り組んで、依存症もⅮⅤも、子供虐待もすべて、家族のアディクション(嗜癖・はまること)の問題として捉えてきたと語る。問題を起こす本人ではなく周囲の家族をカウンセリングすることで本人が当事者として回復するという。信田氏の方法は精神科医や臨床心理学者からは異端とされていたが、それが評価される時代が来たことに氏自身驚いているという。(朝日新聞2023年11月6日文化欄「語る」)
 由紀の父親は児童買春をしていた、そうした男の眼で見られ、それを母親は黙認しながら娘を抑圧した。還菜の父親はデッサン教室で裸の男と背中合わせに娘を座らせて男たちの視線に曝し、母親は知らぬふりだった。父親は暴君で、母親は夫に隷属し子を犠牲に差し出す。娘は反抗も服従もせずに虚言、自傷に陥る。由紀は還菜に問う「自分の痛みを感じられてる?」(53頁)この問いがいい。自分のエゴを封じ込めるのではなく、どこかにある自分を探すのでもなく、あるがままの自分を、関係性の中の自分を知り認めること。
心と家族の問題に深刻な悩みを抱える人が増えている社会状況は、個人に寄り添う事で緩やかにレジリエンス(回復)をもたらすのかもしれない。
 「ちゃんと大事にされて愛されていることの安心感が全身を包み込むと、感覚はのびやかでどこに触れられても幸福感に満たされる」(223頁)、由紀が語るレリジエンスを信じたい。(2023年11月23日)
 

島本理生(しまもと りお)2020年2月10日文春文庫
第159回直木賞受賞作品

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