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乗代雄介『それは誠』を読んで

ほんとうの修学旅行の思い出

 この作品のタイトルは学校に提出する「高校二年の東京修学旅行の思い出」だったはずだ。修学旅行から帰った翌日、学校を休んで書き始め作品は、書き終わるまで学校行かない決意で「あの修学旅行で取り込まれた水分が体から抜けないうちに、あの日のことが一生分からないままにならないよう」に書くという。
 「水分」と表象される高校生の友情、または意外な体験と初恋、大人になるためのイニシエーション、修学旅行にはこの枠組みがある。けれど、小説とは枠の外を豊かに想像させる力がないと成立しないものだ。だから高校二年の思い出は、より大切な何かを物語られているはず。
 主人公佐多誠は修学旅行の自由行動日に、幼い時に亡くなった母親がタイガー立石のファンでトップレスの写真なんか残した文化的な人だったらしいが、そのタイガー立石の展覧会がうらわ美術館で開催されているから見に行きたいという。そして班から抜けて、単独で生き別れになったおじさんに会いに行きたいと言い出す。結局、班員7人は巻き込まれる決意をする。男子4人は誠についていく、女子3人はアリバイ作りに協力する。
 誠の旅行からの脱走には、亡き母親の影が付きまとうし、おじさんに会いに行きたい理由もそれに関わるようだが、なぜか、なかなか謎解きされない。でも、親しくなかった7人がその誠の説明抜きの気持ちに寄り添う。仲間になって、それぞれが人格を持ち始める。
 仲間の情が深まるなかで、おじさんの家の前で帰宅を待ち、やっと会えたところが友情つながりの頂点になる。水分があふれる。
「別れて二年しかたっていないからすぐにおじさんと分かって、小さな声で「おじさん」と言う。」「おじさんは動きを止めて、ゆっくり、おびえるようにこっちを見た。そして、首を前にして目を凝らした。僕は前に出ることもなく、それをじっと待った。「ま」とおじさんは小さな声で言った。」
その場面はつきにくい蛍光灯がパラパラと音をたてたり、カンと音を立てて点くなど、心理と交錯する。おじさんと一緒にいた女の人のおびえたような感じも書いてある。
 これが書ける高校生は観察力と判断力がすごいと思うが、問題はおじさんとの会話だ。「何も言わなくていいよ」と誠、で、「貰った思い出のパソコン」のこと、「それだけ伝えに来たんだ」と。「だから心配いらない、僕もおじさんのことを心配していない」と書かれている。それだけ言って、誠は立ち去る。後から追いかけて来た仲間に、おじさんは誠への言葉を伝える。
 誠は仲間たちからその後を聞く、おじさんは「それは誠」「強い男」と言った、それが伝言だと。
 それは奥田民生の『花になる』の歌詞だ。
「闇を切り裂け 拳で切り裂け それは誠 強い男  心無にして 光を背にして それが誠 すごい男」「愛がないと それがないと 生きていけないぜ」
 母親を亡くした誠に、ギターを弾いて歌って聞かせて、ともに元気になろうとしたその歌。おじさんは「君たちは、誠の友人か」と仲間たちに聞いた、それをどもりながら再現し、誠に伝える友人。答えは、そう、わかってる。
 誠はNHKの街角ピアノで、この曲を引いているのを聞いて、おじさんに会いたくなった。街角ピアノの人は子どものころから吃音でいじめられて何度も自殺を考えた、でも、運転手という職に就き家庭を持って、62歳になってピアノをはじめ初めて引く曲が「TSUNAMI」だったと言う。その姿が、おじさんを思い出させた。
 心配し合うという心のつながりは、「みつめあうと素直になれない」のだろうから。それを自分の「悍ましさ」と感じる誠の感性が、この高2男子の心の誠実さだと腑に落ちた。
 公園で落ち葉を放り上げて遊ぶ子供たち、最初に始めた子は集団から遠くへ去る。子どもの遊びはすぐ覚める、覚めて見ると重要なのは始めた時の発想だとわかるのが伏線で、誠とその仲間と位置づけされた者たちの距離感だろう。
 女子の一人、小川楓と誠は心が通じたような結末になっているが、男子のリーダー大日向と小川楓は以前から情報を交換している。誠も、クラスの中で存在感のある小川楓に似合いは大日向と思っている。この旅の中で、実はそれがはっきりしてくる。それに気付くのはまさに、この文章を書いている時の誠なのだろう。それは、書くことで様々を確認しているというこの文章の成立そのものを語っている。青春は気付いた時には終わっている。
 というわけで結末に青春の輝きを見て感動したとのレビューには、青春小説と銘打てば、そうとしかとらえぬ読後パターンを感じる。本を売る側はそうだろうが、書く側はもう少し巧妙だ。だから、修学旅行を抜け出した物語のすべてを書いて、自分の気持ちも仲間となった7人の気持ちも解かりたいのが、「ほんとうの修学旅行」だったし、この書き手の書く理由なのだ。

『それは誠』乗代雄介(のしろ ゆうすけ)
2023年6月30日文芸春秋刊 第169回芥川賞候補作品


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