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タヒ

 文章を書き始めてから3日目になりましたが、やっぱり書くことは難しいですね。
 今日は少し触れづらくて、身近にあるものについてぽちぽち。

 小学生のとき、人生で拭えない出来事があった人は意外にも多いのではないだろうか。

 私の小学校の担任は少し変わっていた。
 小学校の先生にしてはまともだったので、私たち学生から他の先生と違う「先生」は変わり者のように映っていた。
 今思えば、「先生」の醸し出す雰囲気は教師というよりも官僚に似たものだった。博識で物腰が柔らかく、学生の夢をただ傍観するのでなく、叶えるための道筋をしっかりと示してくれた。
 常識的かつ命令的でない、「先生」は私の憧れであり、道しるべでもあった。
 一度、なぜ小学校の先生になったのか聞いたことがあった。その質問に「先生」は淡々と答えてくれた。「元々医師を志していましたが、血生臭い映像を見て、人間的な感情より先に単なる映像として処理する人にはなりたくなかったのでその夢を諦めました。それからは教育に興味を持ったので、教師になりました。」「先生」がなぜ医師を諦めたのかよくわからなかったが、「先生」がいうのならきっと意味のあることなのだと思った。
 そして、同時に「先生」が諦めた先の世界を見てみたいと思った。医者を目指すことを伝えると「先生」は道を示してくれた。
 「まずは方丈記、この本を読んでください。読み終わった後も医学を学びたいようでしたらまた私に言ってください。」
 小学生ながらに初めて死に触れた瞬間であった。図書室に並べてあるギリシャ神話やサイボーグの漫画よりも格段に面白く刺激的だった。たった数文字であっさりと人の生死を描写できる鴨長明に衝撃を受け、この本を薦めてくれた先生の英断にも震えた。生と死の概念に触れた私はやがて医大生になった。

 入学から一年、授業で学ぶ解剖に物足りなさを感じて屠殺場のアルバイトに応募した。
 そこで、あらためて医学は私にとって天職なのだと実感した。先生と違い、私は血は恐れなかった。

 「あんた、医学生なんだってなぁ。しっかし、おたくの学校は命っつうのがなんか分かってない奴ばかりが集まってんのかい?」
 働き始めてからしばらくした頃、タバコを吹かしていた工場長に気怠そうに聞かれた。
 耳を疑った。誰よりも医学に興味を持っていたし、医学上の倫理もよく理解していると自負していた。実際、テストの点だってよかった。
 「そんなことないですよ。医学というものはヒプラテスの誓いに則った倫理的学問です。私たち学生は授業でそれをしっかり理解したうえで患者さんにできることはないか日々模索しています。患者さんの命を救うことに全力を注いでいます。」
 その答えに工場長は一瞬、虚をつかれたような表情をしたが、すぐに愉快そうに笑い声を上げた。
 「ハハハ、そうか、そうか、ナンタラの誓いは知らんが。頭が良くてもダメだなあんた。命がなんなのかまるで分かってない。まぁ、細かいことはいいさ。」
 一人で納得したようにタバコの火を消してさっさと仕事に戻ってしまった。
 なんなんだ。命を分かってないって。屠殺場に来たのだって技術をみがくためだ。できることをこなすことで一人でも多くの患者さんが命を救える。なにもおかしいことなんてない。沸き上がる怒りを抑えつけながらその日は無言で仕事をした。
 教授のーー医学を学んでない普通の人には必要以上に説明するな。という言葉が頭をよぎった。

 大学での時間はあっという間に過ぎ、5年生になった。この時期になると就活を始めなければならなかったが、焦りはなかった。
 ガス抜きだと思って友人に誘わるままにアフリカへ渡った。無料でアフリカに行く代わりにタダで仕事を手伝う約束だ。


 「これから歓迎の儀式をしてくれるそうだ。楽しみだな。」 
 長時間の乗り継ぎで精神的に疲弊が溜まっていたが、疲れよりも興奮が勝っていた。
 降り立ったアフリカは乾いた土地で大地は痩せ細っていた。だが住民は皆、素朴で生き生きとしていた。何もかも日本と違い、新鮮だった。

 儀式までの間、持ち寄った資材を所々、友人にチェックしてもらいながらセットして回った。
 「いやーお前、意外に体力あるんだな。もっと時間かかると思って早めに来ちまったじゃんかよ。」
 せっせと日焼け止めを塗っている割には真っ赤に焼けた友人を見て、「医者は体力がないとやっていけないから鍛えているんだ。お前こそ、カメラマンのくせにひ弱じゃないか。」と軽口を叩く。通訳に儀式の準備を映像に納めて良いか聞くとすぐに許可が出た。
 儀式というのに彼らの準備は粗雑だった。友人と二人、カメラを抱えながら後をついていくとおそらく同年代の青年二人に村の端の畜産場へ案内された。カメラが珍しいのかジャパン、ジャパンと連呼しながらしきりにレンズを覗き込んできた。
 畜産場と言ってもなんてことはない。まばらな木の板で囲ってある柵の内側には数えるほどの畜生しかいなかった。なにをするつもりなのだろうかと思う間もなく、彼らはさっさと柵の中へ入っていって手慣れた手つきで暴れる山羊を外へ引きずり出した。友人と顔を見合わせ、慌てて村の外へ出ていった二人を追うと動物の叫び声が聞こえた。 

 力強い、命の声だった。

 瞬間、脳裏に工場長の言葉が浮かび、微動だせずに黙祷する小さな背中を思い出した。
 抑揚のない文章を書いた鴨長明も人間的な感情を失いたくないと言った先生もきっと命がなんであったのか知っていた。
 私、僕だけ、なにも知らなかった。ただ単語を鵜呑みにして、人の命を握る立場にいるという優越感に浸っていただけだった。

 夕刻、歓迎の儀式は滞りなく進み、ついさっきまで生きていた山羊を絞め殺した青年たちは嬉々と女子供たちに肉を分け与え、骨に残った肉を骨ごと持ち上げてかぶりついていた。女子供は手についた脂までを丁寧にねぶっていた。そんな彼らと対照に僕らの口の中の肉はどんなに咀嚼してもなくならなかった。

 日本に帰った後、休学届を出した。

 僕はなにも知らない。だから、知らなければならない。どれくらい時間がかかるかわからないが僕は僕なりの答えを探して、正しく命に向き合おう。それが医師になる、いや、人としての責務だ。

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