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谷あり谷あり 後編

…..つづき…..


亡くなった彼の奥さんと 翌月 駅で会った

近くの喫茶店に入り コーヒー☕️を頼んだ


遺骨を渡し、奥さんからは お土産をいただいた


『これが別れた2回目の嫁』と、彼から
写真を見せてもらった事があり顔は知っていたが
小柄で 若々しく見える オシャレで可愛らしい素敵な女性だった

奥さんは 私を見て 主人が好きになるタイプの女性だ🤣 と言っていた

あまり時間もなく 30分くらいで
別れたけど…   電話で散々 喋り倒してきたからか
古くからの友人みたいな(笑)
不思議な 時間だった

同じ男性を好きになった者同士?
同じ男性から惚れられた者同士?

今ごろ 彼は 空の上から どんな自分の悪口が2人から 出るだろう ってヒヤヒヤして見てるかもしれないね🤣 と…


笑顔で別れた 電話ももうこれで多分
ひと段落と 言う事で ^_^



彼とは 私が昼間 働いていたカーテン屋さんで初めて会い、遮光カーテンを私が売った

1週間後 たまたま私の働く熟キャバに
彼が同僚と やってきて

お互い、あれっ? どこかで会った事あるよね

と盛り上がり 指名をもらった

3回目の時に 彼が
『このバイトでいくら稼いでるんだ?
5万か?10万か? それくらい俺が払ってやるから こんなバイト辞めろ』と言われ

辞めた

私より9歳上だった彼は 40代から
バイ@グラなしでは Hできない と…

私と初めての夜も あらかじめ飲んでいたが

心臓もバクバクするし 身体に良くないから 
やめなよ 飲まなくても絶対、大丈夫だから

と、私が言って

実際、2回目は 飲まなくても普通に
大丈夫だった😂

彼は リアルに感動🥹してくれて
嬉しい 嬉しい もう絶対に飲まないと
出来ないかと思っていたけど

本当に嬉しい と 本当に泣いていた

その日に 一緒に暮らそう と
アパートを探そう と 言ってくれて

翌月から同棲を始めた

中編で 書いたように 過去の武勇伝は
ほとんどが嘘だったけど

騙されやすい(消火器を買う🤣)女だから

色んな話を信じ 4年間 楽しく仲良く
暮らしていた

その彼が まさか 末期のガンで
あんなに早く亡くなるなんて…


原発性肺がん が 肺からリンパ、腎臓や肝臓、胃、膀胱、脳まで 全身に転移していて
見つかった時は 手遅れだった


おそらく 1年くらい前から 不調や異変を本人は感じていたと思う

背中が痛い、腰が痛い、とよく言っていたから
マッサージをしてあげたり

今日はなんか だるいから 1日寝ていたとか
頭が割れるように痛い とか
胃が痛い、胃の辺りが痛い と胃薬を乱用していたが多分あれは胃じゃなくて胸だったんだろうな

寝たきりになる前は 血尿や血便で
トイレが真っ赤になる事も

頭と腹部は ガンが 外に飛び出して
異臭も 出していた

俗に言う ガンの花が咲いた状態…

身長182cm 体重98kgくらいある
大きな彼だったから 158cmの私が

寝たきりの彼のオムツを替えるのは
かなり 大変だった

尿瓶も 人生で初めて買った

酸素も吸入させ 39度台の高熱が
毎晩だったから 寝汗が凄くて 夜中
2回は シャツを着替えさせた

ひたすら アイスノン4つを冷やして交換
冷やしてまた交換 脱水になるからポカリや
アクエリアスを飲ませていたが

のちに ガン細胞は 糖分が大好きだから
腫瘍熱が続いたのは ガンが増殖したせいだと

水かお茶を飲ませるべきだった と知った

両肺が真っ白だったから 酸素濃度が90を下回り 呼吸が苦しくなり 3回救急車を呼んだ

寝たきりになる前は 通院や検査の度
手を取り ゆっくり立ち上がり 本当にゆっくり、ゆっくり、やっと玄関まで行き 車に乗せて

病院では車椅子を借り 私が押して 雨の日などは 傘をさして 荷物を持ち 大変だった

片腕が動かないから 自分ではタイヤを回せない


PETーCTの画像は 保存してあるが
貼り付け方がわからない σ^_^;

全身に200個くらい黒い丸がある
想像を絶する 画像だ

医師たちも 驚いていた

舌もガンで真っ赤になりツルツルになり
味覚が変になった 何を口にしても
ピリピリして辛い と言って

もっとも 自宅での最後は 食欲もなく
ひと口、ふた口 がやっとで
ヴィダーインゼリーや プリンやアイスなど
噛まなくて良いものしか口にできなかった

目も 光が眩しく感じるようになり
視界も かなり狭くなり 横の物はあまり見えなくなっていた

グレー?黒っぽい痰が ひどく
紙コップにビニール袋をかぶせて痰壺にしていた

乾いた咳は止まらず 咳をする度に体力を
消耗していた

胸が痛いから 押さえながら咳をする

本当に 壮絶な自宅介護だった

オムツの値段の高さにも驚いた
別にパットも必要だったり
粗相したらいけないから と
ペットシートを敷いたりした

98kgあった体重が86kgくらいになった

髪の毛も抜けた 目に段々 力もなくなり

ついに 首から下が全て動かなくなった

人間、死亡率は100%
早かれ、遅かれ、必ず死は訪れる

医師から余命1ヶ月(本人には3ヶ月)と
言われたけど 

食べれない、高熱にうなされる、寝たきり、身体中が痛くて眠れない、咳がひたすら続く、

着替えやタオルで毎日、洗濯、犬や猫の世話、買い出し、夜は付きっきりで眠れない 頭が痛い
フラフラする 私も体力が奪われていった

大学病院から 緩和ケア病院に紹介状を書いてもらい 終末期の痛みを和らげる道を選んだ

自宅での介護にも限界を感じたし
鎮痛剤のオキノームの間隔が短くなり
もう 痛みを抑えるにはモルヒネしかない
と、思ったからだ

しかし この選択が 彼を最期に辛い目に遭わせる事になった 

親ガチャならぬ 緩和ケア病院ガチャに
失敗したからだ…

その話しは また いつか改めて

奥さんから 久しぶりに 電話があった

しばらく遺骨を自宅に置いていたけど
やっと、納骨が終わりました と言う報告だった

お身体に気をつけて、お元気で と
終わった。

長い文章を読んでいただきありがとうございました。

61歳と言う若さで亡くなった彼
若いから進行も早かったのかもしれない

自営業だったから 定期検診などもしてなかった

早期発見なら 延命治療もできてもっと長く
生きられたのかな? 

異変を感じたら まずは 病院へ!!です。

 

あ! 忘れていた 谷あり谷あり は

彼が亡くなった事が谷だったのに
その彼に奥さんがいて また谷に落ちた気分に
なったから こんなタイトルでした(^_^;)





#ガン
#終末期
#緩和ケア
#これは不倫


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