~卑弥呼共立前後の時代~ 弥生円形墓から萩原墳墓群・讃岐型前方後円墳への変遷 (更新:2024.6.11)
あくまで、考古学資料を調べ始めて間もない私の今の年代推定メモなので、調べながら随時仮説を更新していきます。
Ⅰ.弥生終末期には、吉備・播磨・讃岐・阿波の交流が深かったことがわかる考古学資料
弥生円形墓の拡散「古墳出現期の播磨」 岸本道昭
岸本道昭氏の『図:弥生円形墓の拡散』(2002「古墳出現期の土師器と実年代」資料「古墳出現期の播磨」)からは、 備讃播から阿波北東部→畿内への広がりが感じられる。
讃岐を核として、弥生円形墓から讃岐型前方後円墳に変えていった職人集団(讃岐忌部?)がいたのでしょうか。
前方後円墳発祥の地は播磨である? 岸本道昭(kawakatu氏ブログより)
前方後円墳の成立 讃岐型前方後円墳の提唱 北條芳隆
国家形成のモニュメントとしての古墳 河野一隆
東瀬戸内から大和の地域に円形原理墓、神仙思想の共通性がある。
近畿地方における黥面の消長 設楽博己
弥生時代後期には、吉備・讃岐・愛知で黥面の共通要素が顕著になる。
海人族の密な交流がうかがわれる。
近畿地方の弥生勾玉 小山雅人
蛇紋岩勾玉の分布域は、弥生終末期の卑弥呼共立した地域とも関係しているのでしょうか。
弧帯文の変遷 菅原康夫
阿波(黒谷川郡頭遺跡)、吉備の間には早くから弧帯文に象徴される祭祀が共有されていた。
Ⅱ.【仮説考え中です】私の想像する年代観
~弥生時代~
1世紀~
・57 倭奴国王、後漢に遣使 (阿波東南部、長国の前身となるクニ?)
2世紀~
・107 倭国王帥升、後漢に朝貢 (どこか一国の王。山陰? 中四国? 九州? このころには複数の国が大陸と独自に交流していた。)
・2世紀末 倭国大乱、卑弥呼共立 (吉備・讃岐・播磨・丹後が阿讃山脈南麓の黒谷川郡頭遺跡の盟主・卑弥呼を共立)
3世紀~
・239 卑弥呼、魏に遣使
・248 卑弥呼、没す(阿讃山脈東南麓の萩原1号墓に埋葬)
・266 倭の女王(台与)、晋へ使者を送る
・1代 神武??? 謎です。
・2代 綏靖
・3代 安寧
・4代 懿徳
・5代 孝昭
・6代 孝安
・7代 孝霊(倭迹迹日百襲姫命、吉備・出雲平定)
・8代 孝元
・9代 開化
~欠史8代(参考:神社ねこさんのnoteと動画)
4世紀~
~古墳時代~
・10代 崇神天皇(任那、四道将軍)
・11代 垂仁天皇
・12代 景行天皇、日本武命の遠征(西日本の統一過程)
・13代 成務天皇、初代竹内宿禰(長國造がおかれた)
・14代 仲哀天皇、神功皇后の遠征
・15代 応神天皇(弓月国から秦氏の渡来)(粟國造、讃岐國造がおかれた)
5世紀~
・16代 仁徳天皇(淡路國造がおかれた)
・17代 履中天皇
・18代 反正天皇
・19代 允恭天皇
・20代 安康天皇
・21代 雄略天皇
(ここまで倭の五王、讃・珍・済・興・武を含む)
・22代 清寧天皇
・23代 顕宗天皇
6世紀~
・24代 仁賢天皇
・25代 武烈天皇
・26代 継体天皇
(このころ、まだ奈良は渡来系氏族の支配が強いので、奈良に入ったのは晩年になった)
・27代 安閑天皇
・28代 宣化天皇
・29代 欽明天皇(百済から仏法が入る)
・30代 敏達天皇
・31代 用明天皇
・32代 崇峻天皇
~飛鳥時代~
・33代 推古天皇(593年 聖徳太子が摂政となる)
7世紀~
・34代 舒明天皇(663年、白村江の戦い)
・35代 皇極天皇
・645 乙巳の変(大化の改新)
・38代 天智天皇(鳴門市大津に宮をおく)
・39代 天武天皇(阿波小松島市の飛鳥に宮をおく)
・41代 持統天皇(阿波、藤原宮に遷都。阿波西部の吉野宮=加茂野宮城跡に多数回行幸。)
・42代 文武天皇
8世紀~
・43代 元明天皇(奈良、新益京へ遷都検討)
・710 平城京遷都(新益京と平城京へ遷都)
・45代 聖武天皇
・794 平安京遷都
当時を推しはかるための参考地図
(参考)弥生土器編年
(参考)畿内の古墳群編年一覧図と氏族の推定 kawakatu ブログ
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