1-2_4歳〜6歳(幼稚園)②私は猫に育てられたらしい
なぜか、とてつもない孤独感・寂しさがあった幼少期ですが、面倒を見てくれる人と猫(!?)がいました。
面倒を見てくれた人①(近所の友達の家族)
住んでいた家の側に、たまたま同じ幼稚園に通い、同じ組のSちゃんがいました。
Sちゃんのお母さんは、私が一人でいる状況を知って見かねたのか、幼稚園の後、よく私を預かってくれました。
温かい記憶
Sちゃんの家では夕方の早い段階で、子供におやつ(夕飯?)が出て、お風呂に入っていたりと、子供中心の生活で温かいものでした。
私にも、よく卵かけご飯をご馳走になったのを覚えています。
Sちゃんも面倒見の良い子で、言語の発達が遅れていたり色々不思議なところがあった私に色んなことを教えてくれたり、遊んでくれたりしました。
クラスに一人はいる、お姉さん気質で面倒見の良い女の子だったんだと思います。
思えば、私がディズニーが好きになったきっかけは、このSちゃんの影響によるものでした。
Sちゃんの家に行けば、よくディズニーのビデオ(ただしプリンセスものではない)を見せてもらいました。
出窓があったのですが、その窓の半ばの高さくらいまで、ディズニーのキャラクターのぬいぐるみがうず高く積まれていたのが印象に残ってます。
私の家では、ディズニーが好きなんて言える雰囲気ではなかったので、ディズニーのぬいぐるみがたくさんあったり、ビデオを見れたりするのが、羨ましかったです。
Sちゃんとの別れ
Sちゃんと遊ぶのは、本当に楽しくて、とても大好きだったのですが、Sちゃんは小学校に上がると同時に、隣の小学校の学区へ引っ越してしまいました。
とても懐かしんで、小学校に上がっても文通をしたのを覚えています。
当時は寂しかったですが、今思えば、もし、Sちゃんが私と同じ小学校に行っていれば、間違いなく私はSちゃんに依存していたと思いますし、また、私の小学校での状況をSちゃんに見られずに済んだという意味では、この形になったのは良かったのかなと思います。
でも、私の家族と対比して温かい、この時の記憶が、この後の人生の支えになっていました。最近気づいたことです。
もうSちゃんとは繋がりがありませんが、SちゃんとSちゃんのお母さんにも、心からお礼を言いたいですね。
面倒を見てくれた人②(一番上の兄)
親が3人
上の兄弟の中で、一番年上の兄は、私にとって3人目の「親」でした。
母が忙しく、私の面倒を見られないことが多かったので、よく一番上の兄に面倒を見てもらいました。
学生の頃は、ふざけて「私には親が3人いる!お母さんとお兄ちゃんと、あとお父さん!」と言っており、それを聞いてたうちの数人が「親が3人いるって聞いた時は、離婚再婚の話かと思ったが、その3人の中に兄が出てくるとは、どういう状況かと思った。離婚再婚と考えた流れで、お母さんとお兄さんが出来てるのかとか余計なことを深く考えてしまった」と、色々深掘りさせてしまったこともあります。
父の立ち位置
だいぶ大きくなってから気付いたことですが、父親は3人の中でも最後ですね^^;
ちなみに、父に面倒を見てもらうなんて発想は、当時4、5歳の私にはありませんでした。
覚えているのは、スーパーとかで父と一緒にいた時のことです。
小さい頃の自分は、好きなままに商品を見てフラフラしてしまい、そこに母か兄が一緒に行動していれば、幼児であった私を見失わないようにすぐに探しに来るか、目の届く範囲で見守ってくれる安心感がありました。
ところが、父と一緒の時、私はいつも通りにフラフラしてたのですが、一向に探しにくる様子もないまま、私は父の目の届かないところに行ってしまいました。その時、逆に私が、「これでは私は迷子になる」と自覚し、父の方に戻って行きましたが、なんと、父は私がいなくなったことに気づいてない様子でした笑
その瞬間私は、「この人に私の面倒を見させちゃダメだ」と、分かった記憶があります笑
それ以降、私の面倒を見れるのは母と一番上の兄だけとなりました。
今も思いますが、父の話をするとどうしてもネタっぽくなりますが、ずっと私にとって父の存在は不透明で、3人の親の中でも、「遺伝子上では本当の親だし、一応ランクインしておくか、最後に」と、申し訳程度に3人に数えてました。
兄との記憶
そんな兄からは、歯の磨き方や体の洗い方を教えてもらった記憶があります。
兄に面倒を見てもらい、よく遊んでもらいました。母に遊んでもらった記憶はありません。実は父には、小学の時に1度だけ、男友達と一緒に遊んでもらった記憶があります。何故か笑
まぁ、両親に遊んでもらったことが全くなかった訳では無いと思いますが、あまり記憶になく、遊んでもらったり面倒を見てもらったのは、主に兄弟たち、とりわけ1番上の兄でした。
あの歳にしては、兄は子煩悩というか小さい子に愛情深く、すごくお世話になりました。
きっと面倒をみてもらってなかったら、私はどうなっていたか分かりません。本当に感謝しかありません。
面倒を見てくれた猫
私は猫に育てられた
突然ですが、母親いわく、私は猫に育てられたそうです^^;
祖母の庭でよく1人でいた私を心配してなのか、野良猫が一匹、私のそばに来て一緒に過ごしてくれてたそうなのです。
当時4、5歳の私の面倒を見るのは、体格的に猫の身では大変だったこともあったと思うのですが、引っ掻きもせず穏やかな猫だったようです。
動物のテレビ番組で観たことがありますが、子育て経験のあるメスが、他の動物でも、親を亡くした子どもの面倒をみることがあるようですが、きっとそれに該当したのでしょう。
私が笑
「猫の手も借りたい」とは聞きますが、これぞまさに、私は猫の手も借りてたのです笑
いなくなった猫
しかし、その猫は私の記憶にはありません。
というのも、私が5歳くらいになった頃には、その猫は私の元から去ってしまったためです。母親と一緒にいるのを見て、「なんだ親いるじゃん」と思ったのかもしれません。
私も大きくなってくれば、猫の身では面倒は見れなくなってくるでしょうし、まぁ理由は分かりません。
でも時々、祖母の家の周りでその猫を家族が目撃してたので、しばらくは生きていたのだと思います。
しかし、数年経ち小学校に通う頃になると、姿は見えなくなりました。
代わりに、その猫に似てる若い猫(おそらく、その猫の子供)を見かけるようになりました。
上の兄弟たちは、私の面倒を見てくれた猫を覚えてたようで、「艶葉木を面倒見てくれてた猫が今日いたよ」とか「あの猫の子供かな、すごく似てる猫がいたよ」とか、教えてくれました。
猫への想い
一緒にいる時間は短いものでしたが、私にとってはこの猫に恩を感じています。
しかし、この猫はおそらく、しばらくしてから亡くなってしまったので、今私が恩返しができないことが悲しいです。
動物に恩返しというのは、なんとも変な気分ですが^^;
一瞬、何匹かの猫を私の手で、幸せにできないかとか思いましたが、しかし、その恩返しの行為が、彼らにとって本当に良いものかは分かりませんし、かつ、私は猫アレルギーなので、実際に近くで、手で触れて世話をすることはできません。
何かしらの形で猫に関わることができる方法を、探していきたいと思います。
この経験から得たもの
今まで、私は幼少時はとても孤独だったという意識がありましたが、案外、その中でも面倒を見てくれた人(と猫)がいたんだと発見がありました。
Sちゃん家での温かい記憶から、優しい子になれた
この記憶があったから、家族以外の人の温かさを知れたと思います
父はネタである
私の家が「機能不全家庭」と気づくのはずっと後で、父はその典型の「無関心(無干渉)の父親」でしたが、こうやって書いてみるとネタになる人だと分かりました笑
兄、そして上の兄弟たちに面倒を見てもらってた
今回の記事では、一番上の兄の話を主に書きましたが、他の上の兄弟たちにも面倒は見てもらってました。上の兄弟たちがいなかったら、私はどうなっていたんでしょうね…
猫の手を借りる天才かもしれない
人は一人では生きていけない。記事を書いていて痛感しました。今の自分の状態を見ても、色んな人のお世話になって生きています。
猫の手も借りられたんだから、人の手も借りられるのではないか。今まで「一人でなんとかしよう」としてましたが、もう少し周りを頼っても良いかなと思いました。
次回も、よろしくお願いします(^^)
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