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パレスチナに旅行した時のこと

この記事は、私が旅行者として実際に行った場所などの経験について書かれています。イスラエル/パレスチナいずれかの立場に与するものではありません。

はじめに

会社から有休を消化するように言われて、どこかに旅行しようかとぼんやり考えていたときのことです。2023年のはじめのことでした。
もともとなんとなく歴史に興味がありました。世界史の教科書に出てくるような場所に行ってみたいと思っていました。そんな中、パレスチナにはキリスト教の新約聖書に出てくるような場所がいくつもあることに気づき、調べてみるとまあ行けないこともないことが分かり、思い切って行ってみました。


行ってみた場所

行った場所は次のようなところです。ヨルダン川西岸地区だけです。全部で一週間でした。すべて地元の交通機関で動きました。

  • エルサレム

  • ベツレヘム

  • エリコ

それぞれの場所には、キリスト教由来のいろいろな歴史的なものも残っていたり、キリスト教以外の歴史的なものもありました。聖書に出てくる場所が実際に存在するのを見てくるのは興味深かったです。そんな場所についても改めて書いてみたいと思っていますが、今回はそれ以外のことを書き留めておきます。

ヨルダン川西岸地区の構成

よく誤解されるのですが、ヨルダン川西岸地区は、そのすべてがパレスチナ自治区領なのではありません。次の3つに分かれています。

  • パレスチナ人しか入れない地域
    パレスチナの主な都市はこの範疇に入ります。イスラエル人は入れません。パレスチナ自治区政府が管理するのはこの地域です。面積でみるとヨルダン川西岸地域の2割ですが、人口では8割強を占めています。

  • イスラエル人しか入れない地域
    ヨルダン川西岸には、ユダヤ人の入植地(エルサレムに通勤している人とかもいます)やイスラエルにとって重要な遺跡や観光地があります。そういう場所にはパレスチナ人は入れません。じつはけっこうな面積を占めています。

  • 両方が入れる地域
    幹線道路とかは両者どちらも使えます。ただイスラエル軍の管理下なので、パレスチナ人地区からここに入るときには検問があります。

交通手段

タクシーかセルビスです。
セルビスというのは、乗り合いタクシーというか、ワゴン車で走るバスのような乗り物です。車にいっぱいになるまで乗客が集まってから出発します。なので、早くいっぱいになるよう乗客も客引きのサポートをします。私もしました。
けっこう詰めさせられるうえ、途中で客を拾って乗せたりすらします。ただ座席は男女分かれています。一つの列に男性だけ/女性だけが並ぶように調整します。

セルビス。どれも黄色い。こんな風にドア全開にしてお客さんが来るのを待つ。
乗客たちは適当におしゃべりしたりたばこを吸ったりして焦らず出発を待つ。

バスはありません。正確に言うとあるのですが、パレスチナ人が乗れるバスはありません。イスラエル当局により規制されているからです。
幹線道路にはイスラエルのバスもパレスチナのセルビスも走っています。イスラエルのバスは日本の高速バスのような50人乗りの大型なもので、一方のセルビスは10人乗りワゴン車。並走すると力の差を感じさせられます。
ところで、グーグルマップの行先検索でパレスチナの目的地を調べるとバスの案内が出てきます。ヨルダン川西岸地区にもバスネットワークが網羅されているのが見て取れます。ただ、グーグルマップが案内するのはイスラエルのバスです。パレスチナの目的地に行くのには使えません。パレスチナ人地区にイスラエルのバスは入らないからです。また、セルビスはバスではないですし、決まったダイヤがあるわけでもないので、グーグルマップの案内には出てきません。
観光客はよそ者なので、イスラエルのバスもパレスチナのセルビスも使えます。私も旅行中にイスラエルのバスに乗ってみました。エリコ郊外の遺跡や教会を回るのに使いました。運賃を払うのにお金も使えますが、ラプカプカード(エルサレムのトラムに乗るためのスイカみたいなやつ)も使えます。なぜかロシア語っぽい会話がうしろから聞こえてきました。ロシアから入植した人たちなのかもしれません。
エルサレムのバスターミナルからパレスチナの各都市の近くまでイスラエルの直行バスで行くことすら可能です。が、都市の近くにあるそのバス停から街に行く手段がありません。セルビスはそのバス停には止まりません。

エリコ郊外にあるバス停。
砂漠の真ん中の何もないような場所にあるが、エルサレム直行バスがどんどん来る。
ただ、このバス停に来るためにはバスに乗るか歩くしかない。

出会った人とか

日本人とみると、珍しがられて話しかけられることが多くありました。言われることが多かった言葉は次の2つ。

  • パレスチナにようこそ
    あまり観光客が訪れるような国ではありません。キリスト教巡礼ツアーのような人たちも見ましたが、団体ツアーで拠点を回るだけで地元の人に会う機会はなさそうです。なので個人でふらふら旅行している人はめずらしいですし、地元の人的には外国人から自分の国に関心を持ってもらって純粋にうれしいのでしょう。道を聞くだけのつもりが、けっこうな長話になったりすることがしばしばでした。
    道端にはパレスチナ警察のチェックポイントがよくあるのですが、二言目には「パレスチナにようこそ」でした。

  • ありがとうジャイカ
    日本さすがです。パレスチナの人の視点的には、いろいろと役立つことをしてくれたのでしょう。日本人と分かると、ジャイカがどれだけパレスチナのためにいろいろしてくれたかを力説してくれます。ジャイカはここのインフラ整備から遺跡保存まで広く関わっています。
    ジャイカ付きのドライバーだった人にも会いました。ジャイカの日本人職員の方たちと一緒に写った写真を見せてくれて、ジャイカのだれそれさんがどれだけいい飲み友達だったかを話してくれました。あなた飲んでいいの?とかちょっと思いましたが。
    私自身はジャイカに何かかかわりが特にあるわけではないですが、自分の国が他の国の誰かの生活の役に立っていることを知ることは、思ってもみないうれしく誇らしい経験でした。

「この遺跡の保護事業は、パレスチナと日本の友情のしるしです。」

会った人でちょっと印象深かった人のことを書きます。

  • タクシードライバー
    ベツレヘムでタクシーに乗りました。ぼったくり価格でしたが、自分の交渉下手を責めるよりありません。(値段交渉はドライバーとではなく元締めのヤンキー兄ちゃんとしました。)
    ドライバーさんは新婚で、まだ小さい子供の写真が車内のあちこちに飾られています。お子さんの名前やら何やらを聞いたり話したりして、うれしそうに返事したりしてくれていました。そんな中、ドライバーさんに似た人の写真があったので、何気なく、これはお兄さんか誰か?と聞いたのです。すると、目から涙をスーッと流して「兄さんは3か月前イスラエルの兵隊に撃たれて亡くなった」。堪えました。
    もっとも、お兄さんに何があったのか、この返事以上のことは何も分かりませんし、聞くこともできませんでした。
    パレスチナと聞いて思い出すのは、いろいろと回った教会とか遺跡とかもですが、このドライバーさんのことです。ニュースで見聞きすることは、実際にどこかで起こっていることで、その裏には私たちとおなじように日々ふつうに生活する人たちがいるのだなと感じさせられました。

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