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088. シャレ・むだ口・ナゾときを楽しむ知的社会

 話芸・言葉あそびはそれぞれの国に特有な文化がありますが、特に日本では、とんち、ダジャレ、地口、ナゾかけ、川柳、むだ口、判じ物・・・など、庶民も楽しむものとしてさまざまなものがあります。
「おやじギャグ」など、周囲の迷惑を顧みない、独りよがりの悪ノリ・・・のように言われることが多いのですが、「おやじギャグ」という表現の中にも、「面白くも何ともないのに、一人でよろこんでいる困った人」などといわれる半面、けなしながらも周囲を和やかにすると大目に見て許している周囲の温かい目があります。こうしたお年寄りの存在をゆるす、あるいは期待する文化も、日本独特のものでしょう。
日本は、漫才や落語といった芸が盛んです。どこの国でもこうした笑いを芸にする芸人はいますが、その多さ、日常的に笑いの文化が芸として受け入れられている世界でも珍しい国といっていいのではないかと思います。こうした文化は、三河万歳などがご祝儀の現場などでもてはやされてきた伝統にのっとったものでしょうが、特に言葉遊びは、世界でも珍しい文化といってもいいのではないかと思います。
 日本には多様な言葉遊びがあります。
 やさしいところでは、「隣の家に囲いが出来たんだってな――へえ(塀)、」「カッコイイ(囲い)」といったところから、「このはしとおるべからず」といわれた一休さん、「はし(端)ではなく、真ん中を渡った」・・・などのトンチなどがあります。
「たいしたもんだよ蛙のションベン、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、結構毛だらけ猫灰だらけ・・・」など、寅さんの香具師の口上でおなじみのむだ口、地口あそびなど、日本人のことば遊びは実に多様です。
アリがとうなら、ミミズははたち・・・
きたかちょうさん、待ってたホイ
飛んで火にいる夏の虫
…などおなじみのむだ口もかつてはよく聞かれたものでした。
『ことばあそび辞典』(東京堂出版)という本があります。なぞ・考え物・地口・むだ口・無理問答・回文・舌もじりなどユーモアとしゃれにあふれた江戸時代の言語遊戯を集大成したものですが、これを見ると、いかに日本人が、言葉遊びを多様に楽しんでいたかが分かります。
なかに、なぞかけ、「判じ物」というのがあります。
絵や文字、飾りなどを掲げておいて、その意味を問うものですが、江戸時代には、人の多いところでそれらを掲げて、通行人に答えを求めたようです。なぞかけです。
例えばこんな図をかかげます。

図8-1 ナゾかけ

問題はこの「一」はなにかというもので、上の「僧、壱人」はヒントです。
答えを知りたい人間は、なにがしかの金を払って、答えを教えてもらう、というわけです。

答えは「お寺の小僧」。その心は、一にしんぼうを加える(タテに1本加える)と十字(住持)になる、しんぼうを辛抱と心棒にかけ、十字を住持にかけているのです(⑨『ことばあそび辞典』(鈴木 棠三 東京堂出版(「守貞漫稿」より)。
海外でも、マザーグースなど、ことば遊びを扱う書籍などもよく知られていますが、こんなことに金をかけて遊ぶというのは知的な証拠です。しかも、こうした言葉遊びを楽しんでいたのが一部の上流社会だけでなく、往来で通りすがりの庶民を相手にやっていたというのは、日本の社会がそれだけ識字率も高く、広範囲な層がこうしたことを楽しめる知的好奇心をもっていたことを物語っています。
江戸時代の庶民の文化素養・教養の高さ、いまでいうリベラルアーツ力の高さを物語ると言っていいでしょう。
江戸時代は封建時代で、武士以外は虐げられていた、という通説とはまるで無縁の、知的な質の高い社会があったということがわかります。

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