確証バイアスと陰謀論とインターネット

確証バイアスとは、認知バイアスの一つであり、先入観や思い込みにもとずく情報を集め自分のバイアスをより強固なものとしてしまう現象。
これが強い人は思い込みが激しかったり、負けず嫌いだったり、世間や社会への不満が強いとか。善悪二元論的であるとか、劣等感とかが強くて他人を見下したがるんで、とにかく自分の正当性を証明したい欲求が強かったりするとかまぁ悪口いっぱいですからね。
そして反対意見がでるとよけい頑固になり、事実を確かめようとはせずに己の意見をより強固にすると言われています。

ちなみに認知バイアスとは、いわば思い込みみたいなもんで、色んなことが原因で非合理的な判断をすることですね。これは誰でもありますね。

まぁ確証バイアスが強いひとって、一言でいったら「近くにいたらダルいな」って感じの人ですね。

なんかこう、政治的な話おおいなーとかね、文句多いなーとかね、なんか意味不明に他人けなして喜んでるなーとか。昔から一杯居るひとですよ。

まぁ若い頃はですね、掲示板にやたらいましたが、いまはSNSにいっぱい居ますよ。ネットが大好きだからね。

まぁ確証バイアスの話に戻りますが、これは心理学のお話らしいですが、心理学は好きですよ、なんかはっきりしてないし、ミステリアスだし、謎めいてる。

でも、確証バイアスは自分にはないね!と思っていてもある。
あるとおもっていても避けられない、認知とはつねに歪むし、バイアスとは常に強化されようとする。まぁ逆に言えば、バイアスが一切ないなんて人間こそ異常者ともいえるでしょう。

そもそも心理学とかは面白いけど、どこか嫌いなのは、いっつも社会というのを基軸に、そこから逸脱したやつを矯正してこようとしてくることですね。いや勘弁してくれ、病気扱いされるのが嫌なんじゃないんだ、もうなおらないから放っといてくれって話だよドクター。

しかしこうしたバイアスが強い人間というのは、差別的で、頑固で、おまけに陰謀論者にもなってしまうという。それもあってか最近目にすることが多い言葉ですね。バイアスバイアス。

とはいえバイスは無駄ではない。とくに人生において、危険を避ける、仕事をスムーズに行うなど、学習によって得た確率論によるスピーディーな判断が可能。

つまり「大手に頼めば大丈夫」「黒塗りの高級車は怖いので近づかない」「あの有名人が使ってるなら安心」「やつはオックスフォード卒だからこれくらい簡単だろう頼もう」「警察に頼めばなんとかしてくれる」「あいつは顔面にタトゥーがあるから近づかないでおこう」などなどですよね。

これらはすべて差別的であり、べつに確かめもしないで思い込みで判断してるのは間違いない。しかし確かめるというリスクや手間をはぶいてヤバイものは避け、信頼度を判断できる。間違ってたらごめんねだけど、とりあえず確率が高そうだからねっていう、ある意味合理的て動物的な部分。

例えば知り合いの猫ちゃんがランドセルの下敷きになった事件があって、あわてて助けたらしいけど、それ以降猫ちゃんはランドセルだけでなく、リュックなんかを見ても逃げるようになったんです。

これはバイアスが当然猫にもある証拠だし、それが野生の世界での正解なんですよ。ヤバイとおもったら逃げる。安全かどうか確かめている間にまた同じ目に合うかもしれない。とにかく、似たようなモノだったら考えるよりはやく逃げるが、生存率を上げる方法。

つまり動物はもともと確率こそ一番信頼しているし、確率が高いとおもったら逃げるし、信頼もする。だからこそバイアスがある。直感みたいなもんでもあるが、基本は「根拠を追求せずとも信頼するための機能」だと思ってます。

つまり信頼。これなくして人間社会などまずない。
ゆえにバイアスに気をつけろとはいいつも、人はバイアスにより進化してきたし、科学的進歩というのもバイアスなくては不可能であったと僕は思っています。

ところが、人間にはさらにやっかいな確証バイアスという代物がそなわっている。
つまり、認知バイアスにより自分が正しいと思ったことを、さらに正しいと思うよう、自分でもわからぬ内に情報を集め、さらに嘘をついているんですね。つまり猫ちゃんがしゃべり出してリュックを指差し「これはランドセルだ!ランドセルは危険なんだ!あれは猫をコロすんだ!この世から消せ!」と叫びだすってことですよ。

しかし危険についてだけでなく、確証バイアスはもっと幅広いもの。

例えば子どもの頃に欲しいおもちゃがあって、親にねだるとき
「みんなもってるよこれ!」と言う女の子がいますよ。
それ、本当にみんなもってるの?と聞くと、うんみんなもってる!と言ってくる。

でも、実際はクラスの内の一人がそれを持っているだけ。それが欲しくて無意識に嘘をつく。たった一人しか居なくても、おもちゃが欲しいからそれがみんなだという。でも本人はそれをわかっていない。みたいなね。

これが確証バイアス。
欲しいものだけでなく、正当性を証明する意見とか思想はもちろん。ようは「願望を叶えるために現実をねじまげる」という人間特有の代物。そして現実が願望通りになるよう、それにあった意見やモノばかりを集めるし、自分と同じ意見を持つ人を信頼というか、もはや信仰するレベルで盲目的にもてはやす。
つまり、脳みそが発達しすぎちゃったんですねヒューマンは。

で、発達した頭脳が作り出したインターネットがさらに発達した現代はSNSの普及で自らの意見を補強する材料を集めやすくなり、ごく一部の意見でも「みんなそうなんだよ!」が可能になったし、インフルエンサーがいっつも商品の宣伝をしている。いやいや、おもちゃが欲しい子供にとっては最高の世界ですねぇ。
で、結果的に増えたのが子供用玩具の売上ではなく、陰謀論者というのが多くの人を興味を引くわけで。確証バイアスという言葉も広まった。あとフラットアースとかね。

ただ確証バイアスが強いと確実に陰謀論にハマる、というのは間違いでしょう。というかバイアスが強いからって良くある話だし、バイアスにより人は無駄に考えず、無駄に労力を使わず、安全を見極めたり、情報を信頼するという手段を手に入れている。

それならば他の事で確証バイアスを働かせている人だってたくさんいるんで、地球が平らだという陰謀論者と、そうじゃないと必死に言ってる人間の二人とも、めちゃくちゃ確証バイアスが強いってこともあるんですよね。

それに、僕らが地球が丸いと思えているのだって、確証バイアスとはいかなくても、普通にバイアスのおかげですよ。

ええ?なんでバイアスなんだよ、地球は丸いだろ?

と言いますがね、少なくとも僕が地球を丸いと信じているのは、より多くのひとがそうだと信じているからです。まじで親も先生も友達もみんなが全員地球は平だっていっていたら、ほな平だなあぁと思いますよ。

いやんなことたーないだろ。地球が丸いのは学校でもならったし、写真でも見た、それに海をみたらわかるだろ、船が水平線の向こうに沈んでいくのはあたりまえじゃないかと。

しかし、果たして実際にこの目で地球が丸いと確認した人間はどれくらい居るでしょうか?おそらく殆どいません。学校教育はすべて嘘であり、船が水平線の向こうに沈むのはホログラムによる映像によるトリックで地球を支配する闇の組織が僕らを騙しているのかもしれない。しかしもし、貴方が宇宙飛行士で、地球が丸いことをこの目でたしかに見たとしましょう。それが本当に確かに丸いといえるでしょうか?この世の現実は脳がつくりだした幻であり、世界はすべて嘘で今僕らはマトリクスの中おーーっと、ここから先はマジでこいつ陰謀論者といわれそうだ、あぶない。

まぁともかく、大多数の人が言ってること、信頼できる人間が教えてくれたことなどなど、とにかく「地球が丸い」というのがあたりまえであると感じることができるのは、頭が良いからじゃなくて、認知のバイアスのおかげです。それにより情報の信頼度を無意識に確認し、確率が高いほうを選んで信じている。親が言うこと、先生が言うこと、教科書にのってること、みんなが言ってること、これらをわざわざ、全て裏取りなどせず素直に学習し、大量の教育を施すことが可能なのは、認知バイアスによって信頼してるからです。

なので「先生!地球は本当に丸いんですか?実は楕円形とかじゃないんですか?」
とか先生に聞いたとしても「地球は丸です」以外かえってこなかったですからね、それでテストも正解。実際は真円ではないことが最近わかってきましたが、これができないと義務教育なんて終わらないです。

なぜなら、全ての教科書が本当かどうか?と疑っていたら、子どもたちには一体何を学ぶというのですか?考える力だけやしないましたで、義務教育終わってませんって本末転倒ですよ。

そして確証バイアスは基本的に推論にもとづき発生します。
つまりAとBは同じ、だからCはも同じ。こういう思い込み。類推と法則を見つけることで実態不明なCも同じもの思う。当然その確率が高いから。

しかし確証バイアスを無くしてしまうと、AとBが同じだからCも同じではない可能性までは考えられる。
だが、Cの答えは一種類では無いこともわかってしまう。そして一体なんなのか確かめられない、おまけに正解がいくら考えても調べても出てこないってのが、現実における類推の問題。
だからバイアス低い子どもは考えすぎてテストで正解が書けなくなるし、社会や常識において間違っている答えを書く可能性が高まるんです。

だから学校のテストの正解とは、教科書に出ていることであり、それが正しいかどうか怪しかろうが疑おうが、教科書どおりにおぼえてもらうし、それが正解ってことで教えるしかない。ティラノサウルスだって昔は毛なんて生えてなかったけど、今は生えてます。しかし昔テストに「生えてるかもしれない」とか書いても間違いですよ。そして、そんな考古学に詳しい人間ばかりを教育者にすること不可能というか、無意味ですよ。

つまり、認知のバイアス、そして確証バイアスもあるので、僕らは変な陰謀論を唱えないし、義務教育もウケられるし、常識もみにつける。
つまり確証バイアスも認知のバイアスも、この世界を「正常」と認識し「正解」を覚えるためには必要不可欠なんですよ。
しかしバイアスが減ると、全ては疑わしく、疑念だらけであり、何も信じられないので、逆に陰謀論者みたいこと言いだしますよね?おかしい、なぜ確証バイアスが強いと陰謀論者とか世間は言ってるのに、認知のバイアスそのものが減ると陰謀論者の空気が出るのか?

しかし殆どの人はそうではない。それに貴方もキリスト教会に迫害受けてまで本気で確かめたことは無いだろうけど、疑わずにすんでますよね?地球が丸いこと。

で、仮に僕がそういったとして、ムキになった人がいたとします。
「なにがバイアスだ、地球は丸いに間違いないだろ」
とかいってネットで情報をあさりだして「ホラ見ろ!地球は丸いって証拠はこんなにあるんだ!いいか!コレも!これも!地球は丸い!言い返して見ろよ!」

とか言い出すとしますが、こっちが確証バイアスってやつかもしれませんね。つまりムキになる。普段の生活だとあんまり良いことが無いし、おもいこみが相手を悪にするし、バカにもするし、ナメてしまうし、他の可能性を排除してしまい、結果失敗を生むというのが普通のことなんです。

まぁ現実でそこまで多くないとしても、ネットにそんなアカウントは一杯いますよ。陰謀論にやたらつっかかって行くテキスト。バカにして喜んでいる絵、地球は丸いことをなぜか証明したがってる情報達はまぁまぁ結構いる。そして、だからといって困らない。リアルじゃ困りますけどね。

で、これと同じことが、なんと地球平面説を唱えるサイドにも起きているんですね。もちろん年齢、環境、体調、脳の状態など様々な要因が重なる必要はあれど、インターネットを通じて地球が平という情報と多く接触し、間違いないと断定する意見を聞いていく。

そしてなぜか多くの人が信頼しているウィキペディアで「地球平面説」について調べてみると、なんと地球は平なのが一般論と書いてあるじゃないか。じゃあ平だな!まちがいない!
となっちゃうんですねぇ、不思議で面白いですね。ほんとウィキペディアって面白いし

地球平面説は、ネイティブ・アメリカンの文化でも受容されており、逆さにした鉢のような形状の天蓋がかぶさった平面状の大地という存在論は、現在でも一般的である[1]

っていう冒頭の文章って読み方をヒネってみると、たしかに地球平面説を信じたがってる人から見れば、それが一般論みたいに見えちゃうんですもんね。確証バイアスが強い人間ならなおのこと見えるでしょう。

おまけに『ウィキペディアなんか信用するな』といわれたら、あれを文字通り読んで地球平面説って過去の説なんだなーとうっすら思ったけど「ウィキペディアは信用ならん!じゃあ嘘だな!今も地球は丸い!」と思い出すんですよね。うーんまぁそんなもん。

ただ同じ地球が丸いと、地球が平では、どっちを「真実」と呼ぶ人が多いかというと、はっきりいって平な方が多いですね。

いやいや、地球が丸いほうが真実だろ!と言うでしょうがね、違うんですよ。まず地球が丸いのは大多数の人類にとっての常識であり、謎なんてないし、もうただの事実でしかないんです。科学的な根拠を示されており、科学を信じる僕らにとってあたりまえすぎること。地球の外には宇宙があるくらいの普通の話。宇宙に言ったことないけど大半の人間にとって科学は神より信用できるんだから、そりゃ宇宙はありますよ。それに真実なんて価値すら感じない。

一方の地球平面論者はかつては神を信じていましたが、僕らとおなじく神はあまり信じていない。じゃあ科学の信者であるはずだが、そこで地球が丸いという常識が世間に蔓延していることに異を唱えている「実は地球は平なのだ!」という事を支持してるんです。
つまり、ただ地球が平なことを支持しているわけではない。
この科学的で物理的な世界には政治と陰謀という謎があって、その先にあるのが地球が平ということ。だからこそ「真実」と言うんですね、地球が平なのは真実なんだ!とね。それに謎があってはじめて真実なんて言葉が出るんで、一般論にわざわざ使いたいと思うひとは居ないでしょう。

なので、地球平面説は科学的にありえない。しかし真実を求めている人にとっては最高の説でしょう。科学的な謎の先にある真実ではなくて、社会への疑念という謎の先にある真実を求める人には。世界は腐ってるし、政府は嘘をついていると思っている人はとくに。特に陰謀論のメッカ、アメリカなんかは政府を信用できるような状況にあるとはいいがたい。911以降は特に。

そして、陰謀論者は「地球球体説を支持するやつは確証バイアスが強い」「あいつらみんなアホ!ぶわあああ!!」を開始。

そうですね、地球が丸いってのも、たしかに多くの人間は実際に確認して確かめてるわけではなく、ある種類のバイアスだし、なかには確証バイアスが強い人もいる。ただそれが社会だし、常識で、そのおかげで僕らは疑念の渦に巻き込まれていない。

で、それを見て「地球は丸いに決まってんだろ!丸しかねぇ!丸が真実!証拠はこれとこれとこれえ!あいつらみんなアホ!ぶわあああ」もはじまる。
もう、おんなじ人がアカウント2種類持って別のこと書いてんのかってレベルに似通った人間たちがレスバしてる光景たまにみますね。

というわけで、どうにもこうにも陰謀論に関しては似たもの同士が結局集まる傾向が強い。もちろん言ってることは違うし、内容も違う。多数派である地球球体説のほうが良識的であったり普通な感じの人が多いはもちろん。しかし頻繁にレスバしている連中の態度というか、考え方や行動があまりに似すぎている。

しかし、こんな人が何かの間違いで、陰謀論についてや、それにまつわる事件や、陰謀論者の発言などを自分でネットで調べてしまう。

そして、うっかり共感してしまった時が、確証バイアス陰謀論者誕生の瞬間でしょうね。

陰謀論者はバイアスが強いもの同士の共感により生まれる


陰謀論者がなぜ生まれるのか?

そう考えた僕は、様々な事例を見て、なんかテキトウなデータを見て、テキトウに見た様々なお話を聞いた結果の結論。つまり僕の確証バイアスにもとずいて出したド偏見としての意見は「共感」が最大の原因だなと思いました。しかも政治的な部分での共感。

つまり、陰謀論へのゲートは、今やSNSというより政治に関する話題ですね。

まず確証バイアスが強い人、すなわち直感的に考え、行動しがちな思い込みの強いタイプが陰謀論にハマりやすいという実験結果があるのは間違いないんですが、そうでない人もけっこういる。ただ、それよりも政治などに強い関心を示している人がとても多かった。

そこに政治的な思想の左右はあまり関係がないというか、唱える陰謀論の種類で政治的な左右は関係しそうだけど、陰謀論そのものにはまるのに思想はもはや関係ないような気すらしました。極左人間だろうが極右人間だろうが陰謀論を唱える人はいる。そして左右関係なくはまれる陰謀論は今や多数ああるが、すべて政治的なバックボーンを持つ。懐かしの宇宙人陰謀論はどこへ消えたのやら。

そしてネットに不慣れかどうかもあまり関係がない。年齢もかなり幅があり、男女差も決定的な差を確認できたわけではないが、かなり中年層から上が多い。しかし学歴も、所得もバラバラすぎる。高学歴で、高所得者でも陰謀論者はどうやら多数いる。

ただやはり、職業年齢性別関係なく、かならずといって良いほど政治への関心が強く、世の中は悪くなっている、世間が悪いとおもっている。

というか政治への関心なんて、世の中悪くなってるとか、政治家くさってる以外にあります?そうじゃない人が珍しすぎるんで、もう政治への関心が高いって言ったほうがいいですね。

でもまぁ、そういう意味では中年層より上が陰謀論にはまりやすい説ってのもまぁアリだなと思うところ。若い人間は今を生きるのに必死なので、とくに政治への興味が薄いのが普通だしね。

そして陰謀論者はかなり我が強い。
目覚めていない人達を愚かな人々と認識しており、話などいっさい聞かない。自分たちは選ばれた側と思っている傾向もあるし、ソウではない人を徹底的にバカにしている。

ただ、そういった人はネットにたくさんいるし、さっき言ったとおり陰謀論者に噛みつきに行っている人にも似た傾向が多数見られるのも事実。

やたら政治の話をする、不満が多い、週刊文集の記事がやたら好きで、直感的かつ世間や他人をバカにすることで自らの正当性やら力を誇示したがる。もしくはそれでストレス発散してるとかね。

こんな人間はネットに一体どれだけいるか。物心ついた時からずっと見ている風景。
そして僕と一緒にTwitterはじめた同級生だって、昔はネタついばっかだったけど、きがつけば政治、世間への不満、世の中間違ってる、あいつはアホしか言わなくなりました。それが歳を取るってこととは思いたくないものの、まぁいずれ僕もそうなるかもしれない。ただ幸い彼はいまのところ陰謀論を信じてはおらず、むしろ陰謀論者はアホ!と毎日言っておりますね。

確証バイアスが強い人はそもそも陰謀論たたきにまわる

というか、確証バイアスが強い人の大半は陰謀論者ではない。
むしろ「そのとおりだ!陰謀論者はクズ!あいつらアホのド低脳の貧乏人だぁ!」といってやりだすのが普通だと思ってます.

だって確証バイアスって結局は自分と似た側の意見を無条件で受け入れるし、似てる思想を持つ人の意見を鵜呑みににする。頑固なのに、自分で求めて見た情報や、信じてる人にはとても流されやすいんですね。

でもって、確証バイアスが強い人はべつにベジタリアンでもないし、街宣車で駅前で叫んでもないし、陰謀論に興味は元々ないし、フラットアースって何にそれ聞いたこともない、地球は丸いって学校で習ってますし、幽霊だって居ないって言いますよ。

なので、基本は多数派意見の方へとまわって、少数派を叩く側へと行くはずですし、そもそも現在の陰謀論は政治との結びつきがかなり強いとはいえ、昔っからのトンデモ理論ですからね、確証バイアスが強い=理論が理解できない人間はない。ただ無視する傾向が強い。

そして確証バイアスが強から頭が悪いというのも嘘ですね。
そもそも自分の持つ確証バイアスが「思い込みがつよく直情的な発言が多いやつは頭がわるそう」と感じているだけで、その実態を詳しく調べたこともないし、だいぶ確証バイアス強めの過激な陰謀論者は医者、学者、有名な政治家、元自衛隊の偉い人、有名なエンジニアなどなど、知識は経歴はもちろんながら、そもそも頭を普段からだいぶ使って仕事してきた人達ですね。僕なんか足元にもおよばない位頭よさそう。

ただ確証バイアスが強いと「アホみたいなことをネットで言いがちになる」んじゃないかと思ってますね。頭わるいわけじゃないんですよ。なんか口から出てくることば、ひいては頭の中がかなり直情的になりがちというか。

しかし陰謀論を唱えている時はアホっぽく見える、そりゃ地球は平と必死にいってるし、その根拠もどうみてもおかしいから。
ただ理論的思考そのものは失っていない、むしろなんでそんな複雑な推論をたてた?みたいな感じなんですよね。

それに頭良さそうなこと書いてるけどアホじゃないか?みたいな陰謀論者の文章も一杯ありますよ。頭よさそうに見える言葉を使ったりとか、そういう文法つかったりしている人のほうがむしろ多い。
そして確証バイアスが強いとツッコまれるのを嫌う。
ああすいませんね適当なんでとも、それが美味しいとも思っていなそうなのだ。まじだから普通にキレる。
なのでできるだけ下ネタとか言わないようにする人が多い。文章に権威性みたいのを持たせたがる人も多い。あとクソとか言わないようにするとか。僕の文章よかあたまよさそうに見えますよね。

そしてクソ・インターネットに触れてると政治や思想つよめな人間の意見なんて、だいたい陰謀論への反対意見が圧倒的じゃないですか。

とくれば、そりゃ確証バイアス強め人間がSNSをはじめて政治関係の情報を集めようとしたら、まず陰謀論に反対する側に接触するし、彼らを自分の代弁者と思うはずです。なにせ今や陰謀論が左右関係ないのと同じく、陰謀論に反対する人も左右関係ない。そしてそちらの方が数が多いんですから。

じゃあ確証バイアスが強い人間は必ずしも頭も悪くないし、高い教育も受けている可能性があるとして、なぜ陰謀論にハマりやすいのか?

というのは、やはり社会や世の中への不満が強く政治的な話を追いがちであり、普通の人より陰謀論者のアカウントや情報と接触しやすい。

そして共感してしまう、それが一番の原因。

確証バイアスを持つ人間は、共感をやたらしてしまうはずです。僕の考えでは特に「自分と同じだ」と感じてしまうと止まらない。

その相手が多くの場合は陰謀論に反対している人間になるってだけで、一定数は陰謀論を唱えている側になる。なんせ同じく「世の中くそ、政治家はくそ、みんな間違ってる!」と言ってるやつがやってるんですよ、どっちも。

そして、陰謀論を唱えていなかった人が、突然陰謀論めいたことを言い出しても「あの人がいってるんだから本当だ!」と言うでしょうよ。
てかね、そもそも陰謀論とか思ってないです。
陰謀論を唱えている人は陰謀論とおもってませんし、それはその信者だって一緒。そして共感して「自分と同じだ」と思った人のことはなんでも素直に聞いちゃうだけなんですよ、カワイイじゃないですか確証バイアスが強い人間ってのは。それに一途ですしね。自分をふくめて何も信られない上に、共感性も低い僕みたいな性悪人間より、そっちのほうが面白い人間だと思いますよ。

ネットのみんなは、本当にみんななのか?

というのは、やはりインターネット、ひいてはSNSというものが何が多数派かわかりにくいのが原因かもしれない。

確証バイアスは多数派を支持する傾向にあるというのは先ほど言ったとおり、そもそも頑固なようで流されやすく共感しやすいので、当然多数派の意見への同調する人間が多くなる。

しかし、稀に信じている人間が多数派の意見を言いつつ、マトモなことなどもまじえ、その先で陰謀論を唱えていたりするからはまる。
確証バイアスは自分と同じ意見を集めるし、その意見を強く唱える人のことをめちゃくちゃ共感し崇拝する傾向にあるので、最初から陰謀論が頭にあった人など恐らくいない。

例えばある人間はアメリカ大統領選でトランプを支持していた。なぜなら移民問題やアメリカ国内の多くの問題に加え、ハイスクールで黒人などにイビられた自身の劣等感などもある白人男性であったこともあって、強いアメリカの復活を唱え国境に壁を作るという意見にも強く賛同した。おまけにオバマ大統領時代に保険料がアホほど値上がりしたのをおかしいと思っているとしましょう。

ここに何の問題があるかといわれれば、まったく無いですね。反対意見の人にとっては問題でしょうが、すくなくとも僕はないです。ある政治家やその政策を応援するための自然な流れと感じます。

ところがそこでトランプ氏が「ディープステートと戦う!」と言い出した。それから調べるうちにQアノンなどの情報を得る。そして彼らもまたトランプ派であり、アメリカ保守の極右思想をもってはいるが、べつに政治についての発言はトンデモといえるほどおかしくはなく、トランプ支持をした人間にとっては「そうだ!そのとおりだ!」といえる内容なのだ。

だからこそ陰謀論にはまる。
確証バイアスが強いからといっても、カルトにはハマらないだろうが陰謀論には楽勝ではまる。なにせ共感が強すぎるし、政府に疑いを持つという政治的意見さえ合致してしまえばいいし、リーダーがいればさらに共感と信奉により陰謀論をたやすく信じる。
そして戦争やテロ問題が多数あり数々の失態を繰り返したアメリカ政府は、トランプ氏よりはるか前から多くの人間に疑われ続けてきたのだから、これは時間の問題であった。

さらに彼らは「みんなそう言ってるならそうだ!」といって、科学的にありえない「絶対」を信じはじめる。そう、100%などない世界で、100%を信じて過激な行動に出ていく。そして逮捕され、己の発言を反省し、陰謀論から抜け出したという人も「みんなそうだといっていた」と言いい「みんなで多くの人達を目覚めさせなくては」とか言うのだ。

さて、みんなって、一体なんだろうか?

というか、僕らはそもそも本当に「みんな」や「多数派」なるものが確実にそうだと思って言っているのか?

それも、確実なことは調べなければわからない。しかし、調べなくても人も僕も言う「みんなが言ってるんだよ」と。眼の前にいる反対意見の人間を無視して、勝手にそいつを少数派にしようとする。

つまり確証バイアスとは「自己の正当性を主張する」という時に、それいがいの情報を脳内から排除することができる人間の機能の一つです。

その結果、おもちゃを欲しがる女の子はクラスにたった一人しかいない女の子のことを「みんな」という。なぜなら、その時には頭の中にはもっていない子の顔がうかんでこないから。意識して消してるわけではなく、確証バイアスが消してしまう。つまり見たいものだけを見るとは、意識してやっていることではない。だれもが無意識にやる。陰謀論者じゃなくとも誰でも自分の意見の正当性を主張したいと思えば発生するのであり、これと戦わなければならないが、それは言ってしまえば生理現象を耐えるようなもの。僕もどうしても欲しいPCパーツがある時は自分に嘘をつく事がある「これは絶対に必要なものなんだ」と。べつになくても困らないのにね。

つまり、みんなとか、多数派ってのはだいたい統計以外では正確性が高くはない。そして、自分が「みんな」とおもった時の状況ですら違うし、目にした情報でしかないし、ネットで目撃したアカウントの文章や画像や映像でしかないなら、ネットをみて言う「みんな」とは幻みたいなもの。労力を割いて正確な統計を取らないとわかりませんし、せめてできる限りランダムに意見を拾い集め、どんな意見のほうが多いのかを確認する必要がある。
とはいえ、なんの情報も無い多数派、つまりSNSをやっていなかったり、発言をしない、検索避けなどもやってるサイレントマジョリティーなんてものは確かめようがない。

ならば誰かが集計したデータはどうでしょうか?
これならある程度信用できそうですが、ちょっとまてよ、Xで見るデータって信用できるの?間違ってたり捏造さたりしてない?偏ったアンケートしてない?

と思うんですが、実際はそうはなりません。
たとえばあるデータをみて「多数派の意見」と言われれば、そうかコレが多数派だな!となる。時間がたって冷静になることはありますが、まず最初っから疑う人間はとても少ない。
で、それを最初から半信半疑で見れる人間は、そもそも自分の確証バイアスが危険だと経験で学習している必要がある。
つまり幾度も情報に裏切られ失敗し、データを信用してはミスし、自分の思い込みのせいでピンチに陥ってきた。もしくはソレを使って人を騙してきた人間。
つまり確証バイアスが恐ろしいという認知バイアスを持っている変わった人。
それか、表向きはどうあれ、心の底で自分を含めた世界の何もかもが無意味で信用できないと思ってるやつ。ああ、僕みたいに嫌なやつですよ。

でも最初っからデータを疑える人間がいます。
それが、そのデータの結果が、自分の意見とは違った時の、確証バイアスが異様に強い人間じゃないですかね。

だから別に、疑おうと思えば疑える、けど疑わない時は徹底して疑わない。それだけですよね、確証バイアスって。

口が悪かろうが、態度も悪かろうが、発言はシンプルだし、世界を信じていなくても思想を信じられるし、人も信じられるし、仲間だって信じてることが多い。確率的に考えても強盗致傷で逮捕されるやつの大半は地球が丸いと言う可能性が高い。まぁそいつらとて、生まれた環境が違えばと思うことが多い。しかし犯罪者は思い込みが強いことが多いのが難点であり、人がいうことすぐ信じる上に、頑固で、かつへんなデータを簡単に信じていたりする。例えば「強盗は誰でもできるし簡単だ、オレは今まで10件以上やったが一度も逮捕されてない、パチンコで儲けるより楽だぞ」とかいう、そいつは信じているがハタからみたらフカシばかりの先輩の言葉を信じて、金ほしさに犯行におよぶ。1/300のパチンコで借金を作るのをやめ、強盗検挙率88%を誇るこの日本で強盗をやるのだ。

確証バイアスが強い人は悪い人じゃない?


僕はどうしても確証バイアスを悪いものと思えないふしがあるんですよね。
というか、良いも悪いもないんですけど、なんかみんな確証バイアスがあるから陰謀論になるとか言ってるから「んなわけなくね?」って気持ちのほうが強いんです。

で思うに、そして僕の予想だと、確証バイアスは僕もふくめて全員もっているが、それが強く発生しやすいのは意見や行動を否定された時ですね。

たとえば僕は幽霊なんか居ないって思ってますよ。でも幽霊はいるかもしれませんね軽ーいトーク言ったら、なんか絡まれて「おまえ幽霊いるとかまじで思ってんの?幽霊にないにきまってるだろ、このアンポンタンポンドポンポン、プギョアア!」とあおられて、その日しかも機嫌がクソ悪かったとしましょうよ。

そしたら「うるせぇ!いるよ!いるんだよ!いねぇとかおもってるやつは全員アホのド低脳の愚民どもだよクソガキがあおおらああ!」と言って、椅子もって暴れだすかもしれないじゃないですか。

で「いや結局ヒトコワやないか」

というツッコミが来ればいいんですけど、たぶん「あの人まじで幽霊いるって信じてる」とか思われて誰もツッコんではくれないですね。
そしてその時、僕の頭は幽霊を信じているというより、なんか否定されたことが無償に腹立って何がなんでも幽霊いるって思わせたくなってるし、頭の中はなぜか「幽霊はいる」以外の説がまったく消えている。もともと信じてもいないのに。

だからもう、口論に発展しただけで確証バイアスって出ると思うんですよね。なんか調子悪いときとかね。

あと「みんなが言ってるけどそれ根拠なくね?」って思っちゃうと、だんだんそれを否定する説を出したくなる。これを書いてる僕みたいなもんですよ、強い確証バイアスとはいえなくても、確証バイアスが働いているのは間違いないと思う。

というか、自説を展開する時は誰でも起きてるはずなんですよね、確証バイアスってのが。自分の説は正しいと思いたいし、思っても欲しいみたいな感情が必ずどっかにあるんですよ。

逆にまったく起きないのが興味がないとき。
例えば今確証バイアスとか陰謀論とか興味があるから書いてますけど、これまったく興味無い時のほうが多いですからね。今タマタマってだけ。
で、その時はもう何言われても。

「あーそうかもしれないっすね、知らんけど」

ですよ。確証バイアス回避最強ワード「知らんけど」を駆使して、まぁ適当なこと言ってます。確証バイアスが強いと自覚した人はけっこう使ってるんじゃないですかね。いやー自分よく考えもせず適当なこと言うんですよがははは、知らんけど!といってウザがられる方がまだマシかもです。そうだ!日本政府は核兵器を隠し持ってるんだ!知らんけど!みたいなね。

そして、ボクは人間全員に確証バイアスはそなわっており、それは状況により強弱が変化すると考えているし、年齢も当然影響すると思っている。

そして人間の機能にまったく無駄なものとして男の乳首と言われても、気持ちいという機能があると思っている人間。

つまり人間の機能に無駄など無い説を信じている。

つまり確証バイアスは無駄ではない。いや、むしろ有利になることが多いとボクは思う。

それは「確率を無視する」という行為のためにあると思う。

先ほど僕は動物は確率を最も信頼していると言った。
しかし、認知のバイアスにばかり頼っていては、絶対に出来ないことがあるとすれば、それは「大穴」を当てるということである。

そのために確証バイアスがあり、生存という仮定においてだけでなく、人間社会が発展したのちも、その「大穴」を当てることが進化の条件であったと僕は思うからこそ、確証バイアスは全ての人間に備わったと考えています。

すごく単純な例をあげれば、それは「夢を追いかける」という、冷静に考えてバカげた行動を人にとらせることです。

例えばすっごい有名なミュージシャンになった人。
きっと若い頃から親に「おまえは無理だ」「才能ない」とか言われたり、客に罵られたりするるたびに、いいや自分は絶対大物になるみたいな意味不明の自信をやしなっていった人は大勢います。反骨精神ってやつですね。尖ってるとも言われるコレ、なんか確証バイアスの現象とかなり似てませんか?

つまり根拠なき自信ってやつ
これが人間にはとても重要な場面がある

そしてこれも僕の持つ確証バイアスにもとずく意見として、伝説のボクシングチャンピオンたちはひたすら強いきがしますね。
ボクシングって才能はもちろんですけど、まず大前提として並はずれた努力や苦痛、狂気ともいえる継続力を発揮させる必要がある。
で、これを達成した人たちは、みな恐らく確証バイアスが異様に高いと思います。チャンピオンになることを疑わない。それに意味があることを疑わない。確率的に考えないよう努力するし、自分がチャンピオンになれるという人のことを徹底的に信じようとするし、努力に意味があるとか無いとかもなるべく考えない。で、僕は普通に考えて、そもそもボクシングしないですね。危険すぎるスポーツですから。

しかし彼らはそれすら無視する。なぜなら、彼らは「夢の実現」を疑いそうになる自分と常に戦い、自分はできる、必ず成し遂げられるという確証バイアスを強めることで、そもそも恐怖に打ち勝ち、辛いトレーニングや、数多くの挫折や失敗を乗り越えてきている可能性がある。

そして、絶体絶命のような窮地で生き残るためにも、やはり確証バイアスは効果的だったのでは?と思います。

危険をいち早く察知し、危険にあわないようにするのは認知のバイアスで可能だと仮定します。しかし、偶然の遭遇。たとえば猫の前に突然巨大な熊が出現したとして、脳は瞬時にファイトorフライトを選択しないとならない時、生存確率を正確に判断することは猫には難しすぎるので、単純な確率として機敏な猫はクマから逃げたほうが生存率が高そうです。

しかしここでアドレナリンが増加し、熊にむかって威嚇をし、飛びついてひっかき、突然攻撃を仕掛ける。おい猫あぶないぞ!とおもったら、熊がびっくりして逃げる。稀にみる光景です。

この時、確率的に逃げたほうが安全であったと普通は思う。人間もそうだ。眼の前に銃を持った人間がいて、素手で立ち向かおうとするなど確率的に危険すぎる。でも現実では戦うことで生存した。そして実は逃げたら最後、その熊は一撃で猫を仕留める準備をしていたかもしれない。銃を持った素人で、逃げたら撃ったが向かってくることは想定してなく引き金を引けなかったかもしれない。つまり認知できる単純な確率論だけで生き残れるほど、自然界は単純ではない。一瞬で判断することなど出来ない、認知できないトラップが山程あるのだ。

つまり、常に逃げれば生き残れるわけではないし、戦わなければ生き残れない以上、危険という恐怖を克服する必要がある自然界では、無謀ともいえる行動や、普通ではないものを疑いなく、確信し、迷いなく実行することも必要ですよね。

そのために、人間は認知のバイアスだけでなく、時として常識や一般論とは違うものすら信じ込めるような能力、つまり認知のバイアスを強化し、そもそも確率や常識すら無視し、その考えを強化するよう行動する確証バイアスを手に入れたのではと

そして一見して危険と思われる場所に避難したら命が助かる、倒せそうもない巨大な獲物を仕留める勇気、遠くにある水場を信じて命がけの移動を行うこと、逆張り大逆転の伝説、無謀ともいえる武勇などの数々。そして、それらを称え、一発逆転を狙い、ヒーローになりたいという願望と信仰・・・いや、神や宗教ができたのも確証バイアスのおかげかもしれない。

なので、夢を追うこと、野望を達成させること。
いや、そもそも敵や、現実と戦うということ、生存確率が著しく低い状況で生き残ること事態、もはや確証バイアスなくして不可能といえる。つまり確率を無視し、わずかな可能性であろうとも自分を信じるということ。
つまり「自分の願望どおりに現実をねじまげる」ことは、正常な判断が難しく、多くの情報を集めることもできない窮地になればなるほどプラスに働いてきた可能性が高い。

それは文明が開けたあとも続く。親の意見に逆らうこと、多くの人の意見に逆らうことで野望を達成したもの。バカにされていた人間が努力で見返したこと。根拠なき自信、逆張り、無計画な行動、ロマンチシズムなどいろんな言葉で表すことができるだろうが、これらはみんなもやること。
そして、多くの人間はそんな確証バイアスは高くはない。才能がなくても続けられる程のイカれた狂人でもない。成功率は万分の1の夢もざらにある。
だけどみんな証明したい、自分が正しいということを。
陰謀論者に限らず自分が見ているもの、信じているものが「間違ってなかった!」を証明したい。強烈なマインドセットを持つものは最後まで諦めない。

けれど、そこには少なくとも、不安や恐怖が隠れて居ることが多い。怖いからこそ信じ、頑なに意見を変えない。自分にはそれしか無いという恐れすらある。

そして政府が嘘をついている!と陰謀論者がいうのかって、そりゃ怖いからですよ。裏切っていると感じている。わけのわからん税金の値上げ、自分を優遇しない政策、白人として生まれたアメリカがやたら黒人ばかり優遇していると感じたら不安を感じるでしょう。

そして信じられる陰謀を見つける。すると安心するし、間違いないと確信する。それはまるで夢みたいなもので、昔ならムー大陸を信じて全財産つっこんで調査してるイカレた富豪かもしれなかった。

そして、陰謀論に興味なんてない人でも確証バイアスが強いと自分と同じ意見ばかりを集めていき、反対となる意見を見つけては「陰謀論はアホ!」という。まぁ自己の正当性を主張する手段として、わざわざ噛みつきにいくんですね。放置しておけなくなる。元は確証バイアスが弱い人でも、それが強化されることは環境や手にする情報が偏り続けることで起きる。

そして、まったく同じ確証バイアスが強い人間でも、ネットをただよった先で出会った情報がどっちサイドが多いかという運次第で正反対の立場を取るし、互いに罵り合いをはじめるし、それが原因でよけいにバイアスを強めていくという現象が起きる。自分と意見のあう政治的思想の引用リツイートを鬼のように連発し、それを見た確証バイアス強め人間がまた共感してしまい、「そうかこんなに同じ意見が一杯あるんだな!そして自分の考えに似てる!間違ってない!」となり、さらにそのアカウントの陰謀論に影響され「なるほどそうか!てことは政府は嘘をついてるんだ!」とおっぱじめるのだ。

こうして今日もまた、陰謀論にまつわるインターネットが活発に動きまわる。しかし、彼らはきっと本当の意味で確証バイアスを上手く使ってはいないし、あるいみそれから逃げている。

おそらく、この世で最も信じるのが難しいのは、辛い環境、努力、継続、それらを疑いなく実行するために、自分の夢や、主張や、正当性を信じ続けること。スポーツ。勉強。ビジネス。つまり現実で戦うということである。

なんせ現実で戦うということは、常に打ちのめされる。そして賛同してくれる人間は少ない。そうだそうだ!に乗っかるわけではない。はっきりいって最初の味方は自分だけだ。
そして多くの人はつねにお前にはできないというし、肉体的疲労、集中力の低下、そして敗北により、自信の才能に限界を感じる。好きだから続けられるレベルの話ではない。精神的にも、肉体的にも過酷な環境にさらされ続けるということは、いくら好きなことだろうが、夢だろうが、誰もが自分を信じられなくなり、諦めるだろう。

だが、そういう場面こそ確証バイアスが必要だ。
理論的な破綻、根拠のない主張。それを平然と言えるような傲慢ぐらいがちょうどいい。笑うやつを無視し、だからなんだとつっぱね、自分はできる。必ずやれると言い聞かせるしかないからだ。
そして「おまえはできる」という、なんとも都合の良い人の事だけを信じ、夢を信じて誰にホメられるでもない努力を繰り返すイカレたやつになる。
まるで玩具をクラスのみんなが持っているといった子供みたいに。今まで出会ったたった一人が言った「おまえならできる」が、世界中のみんなの意見と感じるレベルに。

そして、自分の正当性を実現するために効果的な意見なら、どんな批判にも耐えるだろう。特に信じている人間に「おまえのフォームは間違っている!」と言われた時、表面上どれほど頑固で自己中心的な人間であっても、それが夢を実現する近道と感じるなら、必ずその意見を誰よりも素直に聞き、まずはやってみるだろう。

そして派手に負けようとも、負けてない、まだやれる、次は勝つと言うくらいの頑固モノだけが、最後に残っているような場所がある。

その傲慢さ、自己中心的な考え、そして信じたいものだけをみて、見たいものだけを見るという、一見して頭わるいし性格もわるいしイイ事なんて無いと言われがちな確証バイアスという能力は、きっとこういう事のために必要なのだ。

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