どうする成人式
こんにちは、はるせです。
ご覧いただきありがとうございます。
今回は私が抱えている悩みをつらつらと綴っていきます。
私は現在、19歳。
成人式を再来年に控えているが(つまり約一年後のことを悩んでいる)、主にふたつのことが引っ掛かって躊躇している。
➀振袖を着るべきなのか
・振袖はとても高いぞ
冷静に考えていただきたい
振袖は買うにしろレンタルにしろ、相場は20~30万である。
いや、高すぎるだろ!!!!!!!!
たった一日の装備にかける額じゃない。
もう一度言います。冷静に考えていただきたい。
時代とか物価とかいろいろ云々あるかもしれないけれど、普通に考えて、一般家庭が出せる費用じゃないと思う。
ひどい。
私の場合、親には「お金出すよ、着なよ」と言ってもらっているが、どうしてもそんな大金を払わせることに罪悪感がある。(私がケチで貧乏性なせいもある)
世の中には母親の振袖を着る、通称「ママ袖」なんてものもあるらしいが、我が家の場合だとほぼ確実にレンタルを選ぶことになる。
たしかに、私は綺麗なものが好きだ。
振袖なんて、成人式を逃すと一生着ない可能性の方が高い。
でも、だからといって親に20~30万を払わせてまで満たしたい欲というわけでもない。
そこまでして…という気持ちが強い。
・女子=振袖の感じ
先ほど述べたように「これだと女子ばかりがお金をかけなくてはならないじゃないか」という不満感もあるのだが、
ここでいいたいのは、そうじゃなくて。
”女の子なら当然、振袖を着るよね!”
という風潮?時代の流れ?がとてもとても嫌だと思う。
振袖を着るとして、それは私が振袖を着たいからであって、女子だからという理由のもと当然のことではないのだ。
私は私自身のことをだいたい女性だと思っている。
性自認に違和感を持ったこともあまり多くなく、一般的なラインだと思う。
けれど、もっと性別や性愛に縛られずに生きられたら、とも願っている。
だから、特に何の違和感も躊躇もなく「私の振袖これなの!」と素直に自身を着飾れる人たちと同じように振袖を着るのは嫌なのだ。
たぶん、一緒にいてモヤモヤする。
自分でも何言ってるかちょっとよくわからないけれど…
振袖を着たくないわけじゃない。
でも、スーツでもいいのにと思う。
ただ、振袖大軍団の中でぽつんとスーツの自分を誇れるほどの意思や想いは私にはない。
➁そもそも私は成人式に行きたいのだろうか
そもそもね。
そもそも、私は成人式に特に行きたくないんじゃないか?という。
ここでは「成人式(≒同窓会)」と捉えていただいて構わない。
新成人に向けた著名人のスピーチとかは普通に聞きたい。
・会いたくない人がいるぞ
おそらく成人式に集うであろうかつての同級生の中には、一生会いたくないし、二度と思考にも登場させたくないくらいには嫌いな人もいる。
そして、会いたい人とは今もだいたい連絡を取っている。
(乱暴かもしれないが、連絡が途切れてもお互いになにもしないのなら”その程度の関係・想い”ということで割り切っている)
もちろん、会えたらうれしいなという人もいる。
けれど、それも所詮”会えたらうれしいな”程度なので、会えなくても特につらくない。
それなら、わざわざ行かなくてよくないか?
・ノスタルジー浸ってんじゃねえよ
お恥ずかしながら、私はまあまあ暗い学校生活を送ってきたと思う。
誰と比べるものでもないので詳細には書かないが、自分にとっては嫌な思い出がたくさん。
でも、改めて見つめ直せば、それらはきっと”美しい思い出”になってしまう。
当時許せなかったことも、そういう人と直接会っても、
今の私なら許してしまえる気がする。
別に酷いいじめに遭ったとかではないので、許す・許さないという言葉は不適切かもしれないが。
過去の自分を自分自身の手で歪めてしまえる気がして、
私はそれが怖い。
同窓会マジックとかあるじゃないですか。
「実はあの時……」みたいな。
そういうの、すごく嫌な感じがする。
別に輝かしい学校生活を送ってきた人を馬鹿にしているわけではなく、ノスタルジーに浸ることを否定しているのではなく(小見出しで思い切りディスってるけど)
過去に縋りたくない。
いまさら過去に居場所を見出してどうするんだ。
結論:現在進行形で悩む
ここに書き出したところで悩みは解消されないんですよねーーーーーーー
でも、どこかに存在させとかなくてはと思った。
たかだか成人式に、こうしてうんうん悩んでいる人がいます。怖いね!
最終的にどうするかはわからない。
振袖着て友達とはしゃいできちゃうのかもしれないし、全然関係ないところでバイトしたり、家でぐーたらしてるかも。
まあ、今後の自分に乞うご期待というこということで。
今回は、私の大好きな曲を紹介して終わろうと思います。
ありがとうございました。
はるせ