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本棚にあった三国志の資料みたらヤバいことが書いてあった。

筆者は三国志がめちゃくちゃ好きである。

名だたる名将たちの激戦、時に政争、時に心理戦……1800年前、個々の志や思惑を胸に生きた偉人たちの物語は熱くなるものがある。まあ殆どが作り話だけどな!

三国志を日本に置き換えるといつの時代かというと、日本じゃまだ卑弥呼サマが神のお告げを聞いていた頃の話である。有名な通り、卑弥呼サマは三国志の文献に出てくる日本の女王らしい人の名前だ。だから本名はアマテラス様かもしれないし、コノハナサクヤビメかもしれない。

さて、本題。

三国志を読んでると動員された兵士の数がたまに目に入るだろう。

どれどれ、と見ていると……、、

100万の軍勢が〜
50万の軍勢が〜
70万の軍勢が〜

んなわけねぇだろ!!

いくら中国が広くて人口が多いとはいえ、当時そんなに爆発的な数の人間が、しかも兵士として動員されているとは思えない。とてつもない勢いで兵糧が消え失せるだろうしな!

そこで今回は本棚の奥から出現したいつ購入したかわからない資料を元に、この辺が実際どうだったかを考察して見たい。

三国志人物辞典

この汚い本が資料だ!

資料とは写真の「三国志人物辞典」である。小出文彦氏の監修で、新紀元社から出ている。確かに古代史に詳しそうな社名だ。

資料の中には、三国志の登場人物たちの生涯と活躍がびっしり書かれている。中には「なんか関羽に斬られた(ことになってる)人」とかの名前や、架空の人物とされる人の名前まであった。

曹操の一族だけでこれである。

ただ人物が描かれているだけでなく、前書きとして三国志の解説もしっかり書かれているのだが……。

人口と兵士の比がこんなところに

この本の前書き部分に、だいたい何年のものかは記載がないが「三国の推定人口」が超わかりやすく書いてあった。人口=国力みたいな時代だし、どの国がどれくらい強かったかわかるだろう。

とはいえ戸籍の制度も多分それほど定まってない時代。数えてない人もいるはずだから誤差も踏まえ、あくまで凡その数だ。人口だけみたら、この倍くらいいるかもしれないと付け加えておこう。

以下では資料に書かれている各国の人口から色々と考察していこう。

魏....人口442万。

え、少なすぎないか!?と思う確かに古代の話だし極端に多くはならない気もするが、まぁいいやこんくらいって数だと思えば良いだろう。

その下に「兵力は20万人」と推測されている。赤壁の戦いクラスの敗戦があったらまさに壊滅的な打撃を受けそうだ。三国志演技では100万とか書かれていたので、現実の推定総兵力を5倍した数ということになる。それが赤壁一戦で壊滅していたら人類が滅亡しちゃうよ。

静岡県民の数を上回る人口

なお443万人という人口、現代日本で例えると"静岡県の人口よりちょっと上回る"くらいだ。なお、四国の人口を全て合わせても魏に届かない。なんか多く感じる。

さて、魏国は司馬懿一族の謀反によって滅び、新たに生まれた晋国が三国を統一することになる。

統一しちゃった晋国は魏国の国力を継承しているとして、他国と比べて国力差は歴然としたものだったような話ばかり聞く。(442万人で圧倒的とか言われたら他の二国なんなんだとか思いそうだが)そんな覇者・晋国様に立てついた呉と蜀も見ていこう。

やっぱ国力差やべぇ

みんな大好き三国志(演義)の主人公である蜀は、人口94万人の兵力8万人

赤壁で魏(当時は魏じゃないけど)を破った呉は、人口230万人の兵力15万……。

ちょっと待て、魏が400万人居て20万の兵がいるって割合だと、結構他の二国無理してないか??と思えるような人口と兵士の比率だった。まぁ無理しなきゃ勝てない相手なんだけども。

三国志とは言うが、その実は一強二弱だったみたいな解説はよく聞く。人口=国力とするならそれを見たら一目瞭然である。

なんでこんなに差があるか。例えば、蜀が顕著だが国のある土地は山に囲まれた殆ど人里ではないような地で、面積はでかいけど人が住めませんみたいなエリアが大半を占めていたことがあげられる。

そんな所で劉備は「俺は皇帝の末裔だから皇帝を名乗るぜよ」と言い、帝国として独立したわけだ。逆に人の住める地が大半を占めていた魏の人は、鼻で笑っていたことだろう。東京都民の高笑いがこだまする。

蜀の民=秋田県・呉=新潟

蜀の人口を現代日本で例えると、秋田県か香川県の人口くらいである。ちなみに神奈川県川崎市の人口を下回っているので、蜀は川崎市と戦争したら勝てないかもしれない。

呉はどれくらいかと言うと、だいたい新潟県くらいは居る。つまり三国志は、静岡県vs新潟県vs秋田県の戦争だった(のかもしれない)。

成都=宇都宮市説

蜀帝国の都となった成都という都市だが、ググってみたら現在の人口は1633万人居るらしい。約2000年前の約16倍以上だ。

また蜀の時代、約90万人全てが成都に集まっていたわけじゃないだろう。
半分強くらいが成都の民だったと仮定、すると、現代の宇都宮市の人口くらいとなる。こう考えると1国と張り合える宇都宮市はすげぇ。(川崎市はもっとすげぇ)
川崎くらいの都市には孔明レベルの男が何人かいるかもしれないので、ぜひ探してみよう。

超減っていた人口

余談だが三国志の前の時代である後漢の時代、人口は4000万人くらい居たらしい。それが1000万人以下に激減しているのは、戦乱から逃れるために隠遁したり、辺りを埋め尽くすばかりの虐殺が本当にあったからではないかとか色々な理由が重なっていることがわかる。

一見華やかで熱いドラマの裏に、必ず虐げられる被害者がいる。光のあるところに必ず闇がある。教科書や物語でスポットライトが当たる部分というのは、殆どが光の部分だけだ。

当時安い命として使われ倒れた人々を思うと、歴史を詳しく知るのは闇の部分がいかに奥深いかを知ることにも繋がるだろう。

三国志についてはまた今度。

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