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エンドロールに餞を


エピローグに花束

親友が昨日死んだ。

私の目の前で、包丁を刺して死んだ。正確には十数年前、とっくに死んでいた、ようだった。今も行方不明のままとはそこに居た医者の言葉で、そんな風に一患者の事情を知っているなと少し不思議に思ったものだった。
退院するまで、ちっとも現実感はなかった。すぐに彼女がどうしたの、らしくないねと見舞いに来るような気がしていた。けれど、彼女はいつまでたっても見舞いにこないものだから、あれは本当だったのだと認めざるを得なかった。彼女は死んだのだ。間違いなく。図書館に保管されていた新聞なんてものはもっと無慈悲に、彼女の行方不明を無機質な言葉で綴っていた。

家に帰れば毎日あなたを思い出した。

あなたの代わりに海の底を見るという約束を守るという私の固い決意と裏腹に、半分だけになったすべてのものが、あなたが居ないことを声高に主張しているものだから、それがとても寂しかった。大好きだった、私の親友。あまりにもしっかりと彼女の不在をつきつけてきたものだから、疑うことさえできなかった。思えば、大好きよとつたえられたことは、きっと幸福だったのだろう。いつだって人は、そんなことを伝える間もなくあっという間にしんでいく。彼女が死んだとき、きっとそうだったように。死体がないことは現実感を失わせることに拍車をかけていた。目をつむればすぐに思い出せる彼女の笑顔は、彼女が死にゆく時の笑顔そのもので、あまりにも穏やかなその顔が、私が思い出せる彼女のすべてになってしまった。怒った顔も泣いた顔も確かにたくさん、たくさん見てたはずなのに。
死んでほしくなかったよ、死んでほしくなんかなかった。何度心の中で詰って見せても彼女の笑顔は絶えず私を慰め続けた。しんでほしくなんかなかった。一緒に終われるならそれだってきっとよかったのに。そんなこと口に出せはしなかった。だって彼女が、生きてほしいといったのだから。

ふたり分の人生というひどく多忙な日々に、私はすぐに忙殺されていった。海のことなんか「優木美澄」は全然知らなかったのに、スルスルと入っていく知識は自分とは違う人間が確かに私の中にいた証だと思った。彼女が残した丁寧に書き記されたノートの文字を指でなぞる。私とは全然違う筆跡。涙はちっとも出なかった。机の上に飾ったままの親友と撮ったはずの写真には私一人だけが映っていて、それが妙に鮮やかだった。海と廃墟の写真は相変わらず部屋を彩っていた。引越しをすることはできなかった。どうしても。

彼女が死んで半年ほどたった少し肌寒い日、ふと、お葬式をしていないことに気が付いた。私の大切な、大好きな親友。私だけが彼女が行方不明でなく、死んだことを知っている、はずだ。送り出してやらなければ不義理というものだろうと思った。お葬式をしないと。心の整理だけはちっともついていなかったけれど、葬式とは正者のためにするものだという説もあることだし。

葬式をしようか、と決めてからようやく部屋を整理し始めた。彼女の服、彼女のノート、好きな俳優のたくさんの写真たち、彼女のスマートフォン。海の底を見に行くと約束したから、あれから私はずっと海の勉強をしている。その勉強の合間に、葬式について調べ始めた。何せ彼女の骸はここにはない。どこにあるのか、私にはわからない。一緒に居なくなったくせになんて悲しいことだろう。もしかしたら、彼女はいつどこで死んだのか知っていたのかもしれない。今更ながらそう思った。だって最後の時、彼女は私に何か秘密を持っていたようだったから。もう、わからないことだけれど。本当は知っていたのかしらと想像することしかできない。同じ体なのに不思議なものだ。私の知らない、私の中の記憶が確かにそこにあったのだ。彼女の肉体がないから、骸がない。骸がないから、葬儀屋さんに頼むことはできない。この部屋には仏壇も神棚もない。本当は行方不明者の葬儀のために頼めるのかもしれないけれどうまく説明できる気もしなければ、そんな大金も私にはなかった。ごめんね。あるものは彼女の思い出と、部屋の半分を占める彼女の私物。部屋の中のものをすべてあちらへ送るには、一緒に暮らした時間があまりにも長かった。

いろいろな送り方を調べて、火葬に付すことにした。もう二度と、誰かに連れ去られることのないように、もう二度と、誰かに奪われることのないように。私が一眼レフカメラを買って初めて撮った姿の映ってないピンショットを骸とすることにした。よく映っていると思っていたことを覚えているからだ。それから棺に入れるのは、送りたい相手の好きなもの。彼女が気に入っていた海の写真を数枚選んで、棺代わりの缶に入れた。
瞳でも抉り出して一緒に入れてやろうかと衝動的に思った。二対のもので、思いつくのがそれしかなかったからだ。でも嫌がるだろうなと思ったからやめた。我ながら賢明な判断だった。痛いだろうし、勉強には両目が必要だろう。彼女はわたしたちとはちがってひどく真っ当な人だったはずなので、そんな事されてもびっくりするだけだ。少し悩んでから、ずっとつけていた橙色の髪紐にも一緒に逝ってもらうことにした。いままでずっとずっとありがとう。それから。……それから。

すべてを入れた缶を、ひどく晴れた日曜の午後に近所の河川敷へもっていった。遠くで川遊びをする子供たちのきゃらきゃらとした笑い声が響いている。その声を聴きながら、私はマッチで缶の中のものに火をつけた。念のためにライターも持ってきていたけれど、火葬のために火をつけるならマッチだと思ったのだ。ロマンチストね、なんて笑われるだろうか。燃やすものがそんなになかったので、写真についた火は髪紐まで飲み込んで、それからすぐに燃え尽きた。目をつむって手を合わせる。

だいすきよ、今までありがとう。これからはどうか私の中からだけじゃなくて好きな海とか、俳優の舞台だとか、それから海の底とかを、その目で見に行ってほしい。

「だいすきよ」

ほんとうに、だいすきよ。呟いた言葉が思っていたよりずっと掠れて震えていたから、それでようやく少しだけ、私は泣いた。


エンドロールに餞を

仕事帰りにケーキを買った。
五百九十円の最寄りの駅前から少し離れたこじんまりとしたケーキ屋さんが丹精込めて作っている生クリームのたっぷり乗ったショートケーキを二つ。一番人気!のポップの端が少しだけ折れ曲がっていた。
うだるような暑さが身に染みる八月一日。ケーキ屋さんの中は冷房が効いていて、にじんだ汗が冷えてゆくのがよく分かった。
取り出した財布はまだ夏の暑さを孕んでいて、差し出した小銭もまだ体温のような熱を帯びている。五百九十円は学生時代にはまだずいぶんと高くて、どれを買うか親友と一緒に迷ったことを覚えている。
ケーキを包んでもらいながら、そういえば一度だけホールケーキを買ったことがあるのを思い出した。二人で食べるからと三号の小さな小さなホールケーキにしたことを覚えている。それでも二千円くらいしたものだから、悩んで悩んで買ったケーキ。
プレゼントに足してもいいんだよと言ったら、ホールのケーキがいいのよと返された覚えがある。ホールケーキを丸ごと食べるのが子供のころのあこがれだったの。そう言って笑った彼女の笑顔がまぶしくて、ケーキの上に誕生日のプレートも飾ってもらった。
そうしたら小さな小さなホールケーキでもそれなりの見た目になって、それで私もとてもうれしくなったのだ。

誕生日にはケーキを買ってお祝いをするのが、二人のささやかな約束事の一つだった。

 家に帰る前に最寄りのコンビニに寄る。ビールを手に取って、少し悩んでやっぱり二本手に取った。冷えた缶に雫がついて、私の手を冷やす。
暑い日にはこれがいいのよね、なんて嘯いて覚えたばかりのビールを煽った日のことを覚えている。まだまだ苦さに慣れていなくて、やっぱりこっちがいいやなんて度数の低い缶チューハイで乾杯をし直したことも。
すっかり苦い味に慣れてしまって、それこそ「暑い日はこれ」に慣れてしまった今でも、まだ、覚えている。

家に帰って明かりをつける。まだ日が落ち切ってないから少しだけ薄暗かった部屋が明るくなる。部屋は少しごちゃごちゃとしていて、二人分の荷物が狭い部屋に押し込まれている。
彼女のものと私のもの。大体の片づけは彼女が死んでから半年たったころにしてみたのだけれど、結局それから何年たっても、彼女の私物を捨てることはできなかった。私の趣味じゃない服も、本も、写真も。
彼女の好きな俳優のポスターやアクリルスタンドで作られた祭壇も、手つかずのまま綺麗に掃除だけ欠かさずに。

買ってきたケーキと缶ビールをひとまず丁寧に冷蔵庫にしまってから、冷蔵庫から今日のために作ったカレーを取り出して火にかける。すぐにコトコトと煮込まれたカレーのいい匂いがあたりに漂い始めた。

真夏の部屋は日中の気温がこもって酷く蒸し暑い。部屋を横切って窓を開ける。すぐに熱された温風が部屋の中に流れ込んできた。額から汗が零れる。それを手のひらで拭ってから、私は踵を返して、彼女の仏壇代わりの小さな箱に手を合わせた。ただいま、今日も無事帰ってきたよ。

箱の中身は空っぽだ。だって残すものは何一つなかった。彼女の遺骸があれば骨の一つでも入れておいたかもしれないが、彼女が居たことを表せるものは彼女のノートとこの部屋しかもう残っていない。大学は卒業してしまったし、数少ない友人は起こった事実を知らない。
筆跡の違うノートだけが、彼女が居た物理的な証として声高に主張している。写真一つ残すことができなかった、同じ体に同居していた、私の親友。写真にくらい、写っていたら良かったのに。
彼女の葬式に参列したのは私だけで、そもそも喪主も私だった。あの日、彼女の好きな写真を彼女に見立てて燃やした後、少し考えてから彼女の『遺灰』、正確には遺灰ということにした灰を海に撒くことにした。だってこんな灰を彼女の家の由緒正しい墓に入れることなんて到底無理だってそのころの私だってよくわかっていたからだ。それに墓なんて作ってしまったら、また彼女を彼女の望まぬように使う人が現れるかもしれない。例えばそれは私のように。それは嫌だと素直に思った。

彼女は海が大好きだったから、海に撒けばそのうち彼女が見たがっていた海の底までたどり着く日も来るかもしれない。そうなればいいと思った。だってそれは彼女の夢だったから。

彼女の葬式をしてから四十九日をいくつか過ぎた熱い夏の日、奇しくも彼女の誕生日に海に灰を撒きに行った。まだ覚えている。あの日もうだるような暑い夏の一日だった。ぽたぽたと額から汗が零れていた。
潮風が髪を浚っていたこと。人のいない場所を探すのが大変だったこと。海へ行く途中に花を買ったこと。まだ覚えている。あんまりあってもあとから迷惑になるだろうからと一輪だけ、綺麗なガーベラの花を買った。
その花を握ってごつごつとした岩肌を歩いた。
缶の中に入っていた少量の灰はすぐに海へ溶けて消えていった。それを確かに見届けてから、少し悩んで真っ赤なガーベラも海へと投げた。不法投棄という言葉が脳裏をよぎって、今日だけ許してと手を合わせる。
これが葬式なのだという実感は、残念ながらちっともわかなかった。死んだことはわかっているのに、そのために涙も流したのに、ちっとも現実感だけがわかないでいる。ただ、彼女が居ないということだけが真実だった。帰り道の途中で買ったショートケーキはやっぱり少しだけ高くて、口の中いっぱいに広がる甘ったるいクリームの味が、去年一緒に食べたケーキを思い起こして、だからこれはきっと忘れずにいられることの一つだと思った。

来年も、一緒にケーキを食べようね、なんて、そんなことを思った。

狭いこの部屋には彼女との思い出がそこかしこに散らばっている。キッチンには2口コンロが、水回りには風呂とトイレが分かれているこの部屋は、二人で借りるにはあまりにも安くて、一人で借りるには少し高い。そこまで考えてから、カレーが煮立っているのに気が付いて慌ててキッチンへと踵を返した。
最後に一緒に食べたのがこのカレーだった。彼女が作った彼女の味のするカレー。ニンジンを少し大きく切るのが彼女の癖だった。まだ、覚えていられる。
それから、それから。

季節は巡る。彼女一人を差し置いて。どんなに忘れまいと藻掻いても、忘れずにいることなどきっと出来無いのだ。
いつかかならず、私は彼女の声も、姿も忘れてしまうのだろう。彼女の在った証拠が、彼女の残したノートだけになる日はきっと来る。それはとても辛いけれど、その傷に爪を立てて、ここに傷があったと声高に主張することより、前に進むことを良しとした彼女だから。だけど、今は、まだ。
真夏の夜風が髪を揺らす。水色の髪紐が、彼女の色を主張している。

窓を閉めてエアコンのスイッチを入れる。シャワーを浴びて、風呂に入って、一緒にケーキを食べてビールを飲もう。それで次の休みにはまた、彼女の眠る海へ行こう。できたらまた、ガーベラの花を抱いて。

彼女を忘れた夏は、まだ当分来そうにない。

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