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31歳、ここに至るまで

正社員でWEBエンジニアをしながら、
個人で『みんなでつくる木の図鑑』という木の情報サービスを運営している人。
ちょっと珍しいと、自分でも思ってるので、
ここに至るまでの経緯や自分の事を書いてみようかと思います。

まずは、理系でした。
高校の時は有機化学が好きで、当時は「環境をよくする化学物質を作る」という、ざっくりした夢のようなものを持っていました。

大学は、愛媛大学の理学部化学科に入ったのですが、
理学部あるある?の、
「生物は化学になり、化学は物理になり、物理は数学になり、数学は哲学になる?」みたいな、
「思ってたのと違う」という感覚に1回生の後半からなり、転科して生物学科に移りました。

その後、4回生で生態学の研究室に入り、「樹木と鹿の関係」的な研究をします。
ここで樹木の学問とファーストコンタクトを果たします。

また、高校生からギターが趣味で、木材には元々興味がありました。
(PC内に綺麗な木材画像を集めるフォルダがあるくらい好きでした。)

なので樹木の勉強を始めると、樹木の情報と木材の情報がリンクして、
木の勉強がとても楽しくなりました。

例えば、樹木の勉強の為に、松山城によく樹木同定散歩に出かけていたのですが、道の途中に大きなセンダンの木が生えていて、
それを見ると、ギターで使われるマホガニー材はセンダン科だ!という情報がリンクして、「このセンダンの木を切ったらギター作れるのかな?」みたいな疑問が湧いて、ワクワクするようになりました。

なので今でも、木材がとれるような大きな樹木が好きです。

そうこうしている間に、就活シーズンが訪れました。
当時、就活に対する意識はかなり低く、就職先の事なんて全く考えていませんでした。
木工系や林業系や農業系の企業を何社か受けましたが、途中で、
「もっと木の事を勉強したい」と思い始め、就活をやめ、
樹木医補の資格が取れる専門学校に行くことにしました。

この専門学校は2年間在学するのですが、
この間に何を仕事にするのか決めようと思って、この2年間いろんな業種に触れる機会を作りました。
- 造園の勉強
- 樹木医の勉強
- 生態系、ビオトープ等の勉強
- 環境コンサルタントへのインターンシップ
- 材木屋さん、木のおもちゃ屋メーカーへの手伝いバイト
- ついでに、全力でバンド活動
など。

そうした中で、
今も目標にしている
「日本の国産広葉樹材を利用を推進したい」
「多くの人に木に関心を持ってもらいたい」
という、夢を持つようになりました。
身の回りにある樹木のことを誰も知らないし、身の回りの素敵な杢目や特性を持つ樹木が全く流通していない。ということが、勿体無いと思いました。

2回目の就活のタイミング、
最終的に、やっぱり「業界として食える業界っぽくて、木材利用に関われそう」という理由で、
社員2000人規模のまぁまぁ大きな建材メーカーに就職しました。

ここの会社は、自社で人工林も所有していて、林業から建材製造、そして、バイオマス発電まで手掛けている、面白い会社でした。
が、研修後の配属先に不満があり1年半ほどで辞めてしまします。
(今思うと、別に辞めなくても良かった気もしてます。少し。)

次に、広島県の府中家具という家具の名産地ブランドがあり、
その中の一社で、創業100年の歴史のある家具メーカーに就職しました。
ここではtoCの営業系+付随業務全般みたいな仕事をしていました。
ショールームでの接客、展示、
売れた商品の発送や梱包、配送予定管理、
生産管理、
マーケティング、SEO
等です。

こう書くと結構充実してる風に見えますが、
実際は、かなり古い体質の会社で、(平均年齢5,60歳に近いんじゃないだろうかと思う程)、
ゆとり世代の私には、シンプルに社風や考え方が合ってなかったと思います。
周りの人と信頼関係も上手く築けず、怒られないように、縮こまって仕事をしていました。

良い家具は作っていたと思いますが。
やりたいこともできないし、成長もあまりできず、
シンプルに楽しく仕事ができませんでした。

その仕事を1年ほど続けたところで、
たまたまYouTubeの動画でプログラミングに出逢います。
元々PCの操作は得意な方だったし、興味を持ち、
Javaというプログラミング言語から勉強を始めました。

友人にエンジニアがいたこともあり、割とスムースに学習も進みましたし、
仕事のお昼休みは、Javaの技術書を読む。
仕事が終わったらPCに向かってプログラミングする、
週末もプログラミングする。
と、割と真面目に勉強しました。

そんな勉強を3ヶ月程度したころ、
プログラミングで何ができるのか分かってきました。
私が気づいたことは
「この目の前のPC1台から、多くの人に影響を及ぼすサービスを作ることができるんだ」
ということでした。

このプログラミング・システムの力なら、
「日本の国産広葉樹材を利用を推進したい」
「多くの人に木に関心を持ってもらいたい」
という夢も叶えられるんじゃないか?
それなら、もっと勉強したい!
と思い、2社目の家具メーカさんも2年弱で退職し、
福山市の受託系のソフトウェア開発メーカーに入社しました。
(プログラミングスクール等にはいかず、自主学習3,4ヶ月で転職しました。)

今思うとこの会社は、そんなに技術力が高い会社ではなかったですが、
運良くWEBサービスを作る案件を担当させてもらい、WEBサービスの大枠の理解はこの会社でさせてもらいました。
フロントエンドのJavaScript、バックエンドのPHP、そしてDBや、簡単な環境構築、Gitの管理など、多くを学びました。

さらに、この会社在籍中も個人での勉強は継続し、会社ではほぼ使用されてなくても、個人的に、React・Next.jsという技術を特に中心として勉強をしました。

これらの経験で、WEBサービスの仕組みがだいぶ分かってきたので、
いよいよ自分の夢を叶えるサービスを作るぞ!という思いで作ったWEBサービスが『みんなでつくる木の図鑑』です。

みんなでつくる木の図鑑』については、
2021年の8月には、LaravelというPHPフレームワークを使ったものをリリースしましたが、
リリースした瞬間から、エンジニアとして、「イケてる技術を使って作り直したい」欲が抑えられず、
結局、2022年の8月にNext.jsベースの技術スタックで、再リリースしました。
今見えているものがこれです。

現状も、まだまだ追加したい機能は山積みですが、
ミニマムでリリースしていて、都度都度アップデートを繰り返す形で、サービスを成長させています。
他の記事でこの辺りの話をいっぱいしたいと思います。

ちなみに、2022の1月からは、先ほど紹介した受託のIT会社を辞めて、
新宿のスタートアップの企業に、WEBエンジニア(主にフロントエンド)として、転職しています。(現職)
ここでは、個人で勉強していた事も活かせるし、モダンな技術や、アジャイル開発や、マネジメントに至るまで、日々多くの事を学ばせてもらっています。
とても尊敬できるWISEなCTOさんを始め、尊敬できるメンバーと仕事ができていて、満足感高く仕事をしています。
リーダーとして、権限も多めに委譲してもらっているので、色々と仕事を自分で前に進める。という感覚を味わって、自己効力感も高まりました。

まとめですが、
木の勉強や業界にいたところから、心機一転WEB・IT業界に転職して、
今は自身のプロダクトを持っている というところまでのストーリーでした。
自分ではそれなりに納得感のある生き方をしているつもりです。
誰かが、私の生き方を面白がってくれたら良いかなと思います。

長い記事でしたが、これでも色々端折っているので、
別の記事で詳細を書く事もあるかもしれません。

一旦これで、「ここに至るまで」の話を閉じさせて頂こうとおもいます。
ここまで読んでくださってありがとうございます!

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