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【経験談】わたしとパニック障害【入社1年目でなぜ?】

元大阪府池田市民です。精神疾患の友達を救いたいあなたへ。ありのままの体験談を載せます。


わたしの今の状態をお伝えします。
パニック障害(不安障害)はいま。完治しています。

今から、パニック障害をどのように乗り越えたか書きます。しかし、あまり覚えてないです。

私がパニック障害を発症したのは、
2019年12月21日です。
4年前の今日ですね。

ちょうど4年前のこの日から、わたしの人生が大きく変わりました。自分のことなので、割り切って言いますが、22歳で病気で失敗しておいてよかったです。「あはは」と楽観的に言えるようにまでなりました。パニック障害なんて忘れて暮らしてます。

パニック障害は不安障害の一種です。

【時系列で話してみる】

【パニック障害になる前】

精神疾患はメンタルが弱い人がなるやつでしょ?はいはい。体育会系でゴリゴリ筋肉なわたしには、無縁な病気ですよ?と思っていました。


入社式の代表にえらばれたときのスピーチ原稿があるので、恥ずかしいですが晒してみたいと思います。

○○室 配属 伊藤翼 です。
私の抱負は、昨日の自分より成長することです。
過去の自分は変えられませんが、未来の自分は変えることはできます。
最近、私たち新入社員はおとなしい。元気がない。という評価をよく耳にします。
正直、情けないです。
しかし、私たちは社内研修を乗り越えてきました
この貴重な経験で培われた新人同士の結束力はどの世代にも負けていないと確信しております。
のちに、「2019年入社は優秀な世代だった。」と語られるような未来を目指して日々精進して参ります。
先輩方、どうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

常にポジティブで精神疾患から一番とおい位置にわたしはいると思っていました。毎日「たのしー!あはは」と言いながら働いていました。上司は私のことを「天才」とほめてくれました。すぐに辞めることになるなんて、はずかしいです。


【パニック障害発症1ヶ月前】

毎日泣いていました。
会社にいるときの昼休憩に泣いていました。
会社と駅の徒歩20分の道のりでもよく泣いていました。
泣く時は、勝手に涙がでてくる系です。特に、感情の起伏がなくとも勝手にでてきます。なぜ、涙がでているのか分からなかったです。
同期の女の子に泣いているのがたまたまバレて「どうしたのー?」と一緒に泣いてくれました。「わかんないのー」と答えるのがやっとでした。そのまま一緒に飲みに行きたかったですが、コロナで誘いづらかったです。
残業時間は月45時間でした。

会社から、月に一回の新人対象ストレスチェックが来ました。
今までは、「仕事が楽しいですか?」の問いに迷いなく「5.楽しい」を選択していましたが、このときは「2.やや楽しいとはいえない」を選択しました。すぐに人事部からメールがきて「メンタルヘルスの心理士さんとの面談しますか?人事部から室長上司へ連絡し、スケジュールの相談をします」と誘われました。わたしは、「上司にばれるのは嫌だなぁ」と思いメールで「いいえ、結構です」と断りました。毎日泣いているものの、特に、からだの変化はありませんでした。だから、「精神病は甘え」だと思ってケアはしませんでした。精神病は甘えではありません。ちゃんと早期発見し、適切な治療をすると、復帰しやすいです。

これを読んでいる人に伝えたいです。
1週間連続で、泣き続けたら、
精神科もしくは、心療内科へ駆け込め!
心理士のカウンセリングでもいい!

今考えると、当時は冷静な判断ができませんでした。
1週間連続で、泣き続けたら、それは、もう片足突っ込んでます。すみやかに家族や信頼のおける友人に相談しましょう。動けるうちに動きましょう。病院行くのにも、休職するにも、退職するにも、体力がいります。自分はひとりぼっちだな、と感じる人ほど、動けるうちに動きましょう。


【パニック障害発症2週間前】

仕事のケアレスミスが多くなりました。まだ、毎日泣いています

【パニック障害発症当日】

在宅勤務の日でした。朝起きて、普通に、会社から支給されたパソコンに触った瞬間パニック発作が起きました。

わたしの症状は

  • 死ぬかもしれないとう恐怖感

  • めちゃくちゃな心臓の痛み

  • (しゃっくりのように)心臓が動く

  • 立てずに床にうずくまり動けない

  • 汗まみれ

20分間ほど続きました。ポイントは、15~20分たった後すっとおさまる点です。私は当時、「これぜったい!心臓病じゃない!?痛い痛い痛い!死ぬしぬしぬしぬ!?やばいって!?」と思いました。違います。心臓病ではありません。ただのパニック発作です。(後日循環器系の病院で検査したので本当に心臓病ではない。)

20分後はけろりとしています。

めちゃくちゃ痛えぇええええ!ですが、こころの病気なので、体は大丈夫なのです。これがわたしのパニック障害の発作です。この20分間、母と妹が近くで必死に看病してくれて、精神的に安心しました。

パニック発作ですがこれ、個人差があるのか?と思って調べてみます

【動悸】緊張した時のドキドキのレベルではなく、心臓が強くバクバクして全身にその鼓動がひびいて心臓が破裂しそうに感じるほどの激しいもの。息ができないように感じたり、めまい、胸の痛み、吐き気をもよおすこともあります。

パニック障害を克服しよう
完全ガイド

4年前にはこんなサイトなかったなぁ。そうです。めちゃくちゃ合ってます。パニック障害の説明はこんなかんじです。わたしはめちゃくちゃ痛かったのですが、このページには記載がないですね。

すぐに携帯で泣きながら上長上司に連絡します。とりあえず、「精神的な理由で本日は年休とります」と伝えました。涙が止まらないから、精神的な理由かな?とおもっていました。このときは、パニック障害を知りませんでした。なにごともなく翌日出勤します。

この日から胸のゴリっが続きます。24時間ゴリゴリと戦うことになります。慣れたもん勝ちです。

このゴリッは1分間に60〜80回くらいあります。脈絡と同じです。心臓がドクドク動くたびにゴリッっとなります。ゴリッは心臓が動いている幻覚です。たまに、痛みのあるゴリッもあれば、音のなるゴリッもあります。しかし、痛みも音も自分の幻覚です。

この日からうつ症状が加速します。「はい、今日からパニック障害ねー!」って感じです。体にあきらかな変化がきます。

【パニック障害後 2日目】

文字が読みづらいことに気づきます。3行読んだら、1行目を忘れてしまう。感覚です。英語のスペルだけ読めて長文読解できないような感覚に似ています。すべての文字がアラビア語のように認識できなくて焦ります。怖え。まじ怖え。となります。

例を出します。

次の言葉の記号にひらがなを当てはめて10秒以内に答えなさい。
ひ さ 〇 △ ◇ ■ △ 〇 ■ ▼ い あ ▼ ◇ 〇 た
    し=〇 た=▼ に=■ ぶ=△ り=◇

これは、ディスレクシアの症状ですが、とっても似ています。
こんな感じで読みます。
クイズの答えは 「ひさしぶりにぶしにたいあたりした(久しぶりに武士に体当たりした)」です。

デジタル時計も読みづらくなっているのに気づきます。数字が読めないので、時間が分かりません。ローマ数字の「XXIV」がぱっと認識できますか?「24」です。理解はしているけど、読みづらい。みたいな感覚です。「17:25」を見てじっくり考えて1分後にやっと「あぁつまり5時半ってことね」となる。みたいな。とにかく、おっそいんです。アナログ時計は読めました。針の形をみて時刻を判断できます。

パソコンのローマ字入力もできなくなっているのに気づきます。ぜんぜんわからん。やべぇとなります。

えんぴつの持ち方もど忘れします。どうやって握るんだったっけ?ってなります。マヂやべぇ。

ここまでくると、やべぇ。ってなって、開き直ります。障害者手帳のことも考えますが、パニック障害では手帳は発行されません。ほぼ無理です。なぜなら、だいたい1年で治るからです。投薬治療(薬)で治ります。認知治療(カウンセリング)で治ります。ダブルで同時に治療すると、さらに治ります。大丈夫です。治ります。(個人的な意見です)

ケアレスミスが仕事で多発していた原因はこのパニック障害という奴のせいかぁなーんだ、よかった、と納得します。他責すると、心が軽くなりました。

【パニック障害後 3日目】

「精神病は甘えだから、はやく治さないとなぁ。」とか考えながら、職場の席につきます。精神病はだれにでも起こり得ます。甘えではありません。


当時の信頼していた気の合う教育係チューター(当時30歳)がめちゃくちゃフォローしてくれました。たまに会う同期(当時22歳)も「もともと、俺、不安障害だったんだよね」と声をかけてくれました。全員優しかったです。感謝

私に声をかけた人は「病気を隠しながらここで働いているよ。会社に言わなくていいし、周りの人にも公言する必要はないよ」派が多かったです。私には、まだ判断がつきません。休職するときは病名を明かさないといけません。難しいところです。

繰り返しますが、1週間連続で涙がでたら、病院やカウンセリングにGoです。(個人的な意見です)

会社の規定通り、会社の保健室のセンター長と面談し、「私の働きたい」という意志を尊重してくれました。定時出勤にて、様子見になりました。このときの「働きたい」という意志はどこから出てきたかわかりません。素直に休めばいいのに。

【パニック障害後 4日目】

ひとまず、診断名がなにか特定したくて、心療内科に通いました。「とっとと治して仕事がしたい」と思っていました。大阪 北千里駅の「坂元クリニック」にて「パニック障害」と診断されました。

心療内科と精神科どっちに行けばええんやー?となると思いますが、体にに明らかな症状が出ている場合は心療内科です。というか、深く考えないでいいです。Goです。とにかくGo。早期治療が大切。うごけ。

投薬治療を開始しました。はじめて、薬を飲んだ時にびっくりしました。いままでは、勝手にでてきていた涙が、ぴったりと止まりました。びっくりしました。泣きたいときにだけ泣くことができました。泣くとバレたとき、めんどくさいし、涙がまじでウザかったので、「めちゃくちゃ助かる~」と思っていました。涙にうんざりしてたんだと思います。嬉しかったです。

暗い気持ちも軽くなりました。軽くなったものの、うつ状態です。ありとあらゆる欲求がなくなります。たとえば、食欲。今まで、ウキウキでフルーツサンドを手にとって「美味しそう」と色めきだつ性格でしたが、うつ状態では「無」でした。スタバの期間限定フラペチーノの広告も以前までは「むむむ!?おいしそうだぞ?」と心の中で踊っていましたが、うつ状態では「無」です。食欲が無くなるというよりも「好き」が無くなるという表現が近いかも知れません。腹は普通に減ります。

はじめてのパニック発作から、時間がたっても動悸だけはのこっていました。心臓がゴリッゴリッと動きます。しゃっくりと似ています。体が勝手に動くくらい心臓が動いているようにかんじます。心臓が動く音が幻聴で聴こえますが、無視していました。寝にくかったです。しゃっくり中に寝れますか?って話です。毎日、がんばって目を閉じていました。


【パニック障害後 1ヶ月後】

いろいろ頑張って仕事に取り組んでみました。しかし、謎のひどい腹痛で保健室で連日かけこむようになり、休職しました。悔しかったです。

「パニック障害のため休職」的な診断書を会社に提出しました。

会社の規定で、月に1回心理士さんがつくことになりました。心理士さんのケアがあって、だいぶ精神的なストレス(焦り)がなくなったように思えます。会社に感謝です。

【パニック障害後 2ヶ月後】

休職です。いい機会なのでありとあらゆる検査を自費でします。きっかけは会社の保健室のセンター長です。指示通りいろんな検査をしてみます。

動悸がひどかったので、心臓系の病院で24時間心電図をとりました。正常でした。

腹痛も酷かったので、胃カメラしました。撮った写真は母親と見ました。粘膜から血が出ていました。大きな血の斑点がたくさんありました。ドン引きしました。母親がお医者さんに「これはあるあるなんですか?」ときくと「社会人の10人に1人はこんな感じです。特に治療方法はないです。原因はストレスです。ゆっくり休んでください」と言われました。薬は処方されませんでした。パッと見は普通だけど、体の中もダメージ食らってんだなと驚きました。

このように、大阪北摂エリアのいろんな病院に通院しました。各分野のお医者さんは口をそろえて「パニック障害ねぇ。坂元さんは名医だから、安心だね。おっけー。じゃぁ診察始めるよー。」といったかんじでした。北摂地域のお医者さんはもれなく、坂元先生に信頼を置いていました。坂元クリニックに行けて良かったです。幸運でした。

【パニック障害後 9ヶ月後】

いろいろ考えて、自分の意志で、退職しました。

退職したので、心理士がつかなくなりました。月に1回心理士とのカウンセラーが必要なのかな?と思いました。坂元先生におすすめを聞くと「桃山大学の心理カウンセリング」「関西大学の心理カウンセリング」を挙げてくださいました。大学院生が担当するとのことです。わたしとの心理カウンセリングが論文にのるのかー。とおもいながら、2つ通ってみました。しかし、どちらも断られました。理由は同じでした。「ストレスの原因がわからないので、ストレスの解明には、相当な年月が必要。大学院生には対応できない」的なニュアンスでした。

【パニック障害後 1年半後】

心療内科の坂元先生に「もう君はここに来る必要がないよ。また、うつ症状があったらおいで」と言われました。投薬治療が終わりました。「心臓がゴリッゴリッってまだいうんですけど、これって一生続くんですか?」と質問すると「うーんどうだろうねぇ」と先生はおっしゃられました。個人的には、慣れたのでまぁ、80年後も続いてもそれはそれで自分らしくてええやん?とも思っいました。

これはもう治ったということでいいのか?と思い。働くかー。と思いました。ひとまず、3ヶ月限定で働くという条件で派遣社員してみました。仕事はたのしかったです。

その後は転職して正社員で働きました。

 
その間も、ストレスでつらかったです。

なんか、突発性難聴で片耳がガチで聞こえなくなったりしました。耳鼻咽喉科で治りました。

なんか、階段の登り方をど忘れして転びました。受け身の取り方もど忘れしたので、骨折しました。

なんやかんやありながらも、働きました。心臓のゴリッと戦いながら、働きました。職場は、楽しかったです。自分が生産性のある人間だとわかって安心しました。(「生きていく上で人間は必ず生産的な活動をしなければならない」という私の異常なこだわりや考え方は、認知療法のカウンセリングで少しづつ治療で治りました。生きていくのに生産性なんて必要ないんです。家族を愛し、仲間を愛すだけで、生きてるだけで大丈夫なんです。たぶん。)

【パニック障害後 2年後】

心臓がゴリッゴリッと動くのが完全に止まりました

【ストレスの原因を探る】

当時はストレスの原因が全然分かりませんでした。いまもわかりません。

【性格】

私の性格は真面目でポジティブ思考

自分は、人に厳しく自分にも厳しい性格でしたが、この病気を乗り越えて、人に優しくなれた気がします。

当時のわたしは、休暇をすべて、図書館で過ごしていました。仕事に関係ありそうな本を読んでいました。ずっと仕事のことだけを考えていました。

今思うとアホです。そんなことしなくていいのです。それで、仕事が回らないのであれば、それは、人材不足な会社の責任です。仕事を家に持ち込んでやってはいけません。それは、人が足りていないのが、悪いのです。あなたの仕事効率が悪いのではありません、人が足りないだけなのです。

わたしはスマホから、YoutubeとTwitterとゲームアプリを消しました。スマホから、趣味を消しました。趣味よりも仕事をしなきゃと思っていました。ここがだめだめポイントです。もっとどっぷり趣味に浸かってもっと遊べばよかったです。

フットサルをはじめました。同じ部署の人が2人通っていたからです。はやく上手にならなきゃいけないと思って、毎日通っていました。休日もフットサルしていました。フットサルは好きでした。しかし、本当に好きなのは、Twitterであり、アニメとゲームでした。

【職場の人間関係】

優しい人ばかりでした。パワハラセクハラがまったくなかったです。本当に、上司全員がめちゃくちゃ仕事ができる人たちでした。究極の仕事人間のあつまりでした。だから、人間関係に悩む暇すらなかったです。いじめもないし、職場の人間関係も良好でした。いいのか悪いのか、コロナで飲み会がありませんでした。もっと仲良くできたのになー。ってかんじです。

【同期との関係】

同期が400人ましたが、コロナで200人としか、言葉を交わせませんでした。話が合う人は3人でした。もっとその3人と親睦を深めたかったものの、職場が離れ、コロナで会えませんでした。

3人のうち1人(当時23歳)がうつ病になり2ヶ月休職した後、復職しましました。もう1人(当時22歳)はストレスを訴え上司と面談を行い人事部を巻き込んで環境の改善を図りました。最後の1人は「仕事もプライベートもつれぇわ笑」とよく相談に乗ることが多かったです。不満をためこまない性格でした。

なんか、全部コロナのせいにしてない?
だめだめですね。もっと197人のことを大切に思うべきでした。配属先が同じだったの同期グループに入り込めばよかったです。性格が合わないと思い込んでいた私がバカでした。反省です。

会社内の私とめちゃくちゃ気が合う人は、もれなく、過去にこころの病からくる診断名をわたしにだけこっそり教えてくれました。
責任感が強く、社交的で真面目な人で仕事ができすぎるので、仕事をよく振られるタイプ。いわゆる出世タイプです。
出世タイプが精神病にかかりやすいのか?
とかいいつつ、この手のタイプと普段から仲がよかっただけなのか?とも思い、実際のところは分かりません。

追記2023/12/22
こう書くと「メンタルよわよわメソメソタイプは、意外と精神疾患になりにくい」的なコメントがつきました。私は専門家でないので、分かりません。個人的には、ストレス社会を生き抜くわたしたち全員のテーマだと思っています。われわれ日本人、全国民が、ただしいストレスへの対処法を身につけるべきだと考えています。特定の層だけを対象とするのは、ナンセンスでした。出世タイプとかストイックな性格とか言い出した私が大馬鹿者です。誤解させてしまってごめんなさい。コメントしてくれてありがとう。フォロワー大好きだよ。

【労働時間】

なんとなく、ストレスと労働時間は深く関係していたのかなと考えています。個人的な意見ですが、残業は20時間以下がいいのかな。と勝手に考えています。

自分の体と残業時間を相談して決めましょう

休日出勤なんてもってのほかです。
休め。本当に休め。そして、仕事のことを忘れられるくらい、趣味に没頭しろ。だらだら、YoutubeみてNetflixみてポテチ食って寝ろ。休め。

わたしは趣味を減らして休日でも仕事のことばかり考えていました。これがダメだったと思います。出世への近道は遠回りでした。3年でやめるつもりが10ヶ月でリタイヤです。ほんとあほ。




あとがき

今日、心臓がゴリっとしたことがありました。あれ?4年記念?と気づいて、そのまま書きました。あした、もうちょっと書いてみます。


【関連】他の方の経験談です。スルスル読めます

とっても おススメ です

こころの病気の代名詞「うつ病」の闘病記録です。パニック障害よりも、まずは、こちらを疑ってみるのアリかもです。違う種類の病気なので、症状も全然違います。



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