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#私のコレクション


#私のコレクション
コレクションと言うよりも、結果的に集まってしまった。との表現が正しいのかもしれませんが、私のコレクションはフルやハーフマラソン大会の完走証とメダルです。

結婚を機に自分の不得意なものに挑戦ようと考えた(当時は水泳とマラソンが苦手でした。)結果、マラソン大会に申し込みました。
結果、
那覇マラソン大会は第7回-第32回 全て完走。
沖縄マラソン大会は10回     全て完走。
南部トリムマラソン大会10回    全て完走。
阿蘇外輪山50㎞マラソン大会3回  全て完走。等々。
 今思うに25年、1/4世紀走り回った事になります。

マラソンを始めて思ったことがあります。それは、マラソンを人生に例える人がいますが(人生は、山あり谷ありの長い道のりを走り抜けてゴールするマラソンのようだ。)と、しかし私の考えは少し違います。
只直向に、練習あるのみ。それをサボると完走出来ないばかりか、翌日は起きることさえ出来ません。その直向な、只直向な練習の成果が、結果がその1日で出るのです。なので練習で、3ヶ月で300㎞走る事か出来れば完走は可能です。

先日、とても親しいマラソン仲間に「今までの記録をまとめようと思うけどどうだ。」と言ってA4サイズのエアーキャップ袋に、Tシャツ、ゼッケン、完走証、メダルを入れた物を見てもらいました。

すると彼から衝撃的な返事が返ってきました。(彼は私のように完走証にラミネートもせずにクシャクシャにしてポケットに入れてしまう奴でした。)
「あなたは、そんなものを作って博物館や記念館でも建てるつもりかい?
あなたが死んだらみんゴミになるんだよ。」私は啞然としました。

趣味や興味で集められた物は思い出として又は価値基準のある物として世の中に存在し続ける事になるのでしょうか?

私は、自分が生きた証として投稿させて頂きました。


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