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私を構成する5つの要素①自然体験。

幼少期

うちは母がアクティブなので、よく外で活動してた。
赤ちゃんのときから、朝からお庭でプール。夏休みには、川に行って岩から飛び込んで、海に行ってボディボードで波乗りして、キャンプに行ってカブトムシをとって。家では、カブトムシの幼虫と鈴虫とザリガニと、魚と亀と犬がいて。
そんな環境で育ってきた。
埼玉生まれ、埼玉の南育ちなのに、割と自然に触れ合った生活をしてきたほうだと思う。

学生~就職

中高生になったら一時自然と少し距離ができた事もあったけど、自分で車を運転して好きなところに行けるようになったら、向かった先は自然が豊かなところばかりだった。
就職先で悩んだときも、裸足保育をするようなところに入って更に自然との距離を縮め、中でも畑や食育に力を入れて取り組んできた。

私はどちらかというと、周りを気にするタイプだった。
高校卒業したら大学に行って、大学に行ったら、就職をして、結婚して…
と当たり前にそうなると思っていた。

でも、結婚しようとした彼とは別れることになり、保育園でオツボネさまにあることないこと言われ、出勤前になると吐いたり熱出したり、動けなくなったり。全然、想像していたものとは違った。

保育以外のことも知りたい、誰かに縛られたくない、自分自身でも縛りたくない、自分に正直でありたい。
その瞬間に爆発して、「自分はどうしたいの?」と自分自身に問いかけたら、自然の中で、海の近くで暮らしたい。と。

石垣島での原体験

そう決めてから1ヶ月。石垣島に旅立ち、また自然と共生する生活をスタート。中古の家具家電を買おうと思ってたのに、移住ラッシュで家具家電なし。仕方無いからドン・キホーテで揃えた白物家電たち。
10万で済ますはずが30万円位かかって、切り詰める生活。
そんなときに、今の旦那に相談したら、買ってくれたのが、釣り竿。
「これでお魚食べればいいんだよ。」ってw
そこから、仕事帰りにはスーパーに行く代わりに漁港に寄る毎日。
今はこんなゆーきちゃんでも、最初は手の中でビチビチする魚を持てなくて、騒いでた。でも、だんだん慣れてきて、いつも漁港に来るから、漁港のおじさんとも仲良くなって、「これは食える魚だ。」とか「これはおいしくねーんだ。」とか教えてもらって、魚の名前も石垣語で覚えていった。

秋からスタートしてたから良かったんだけど、真夏は魚が食いつくまでの間、暑くて待てなくてね。針も引っかかるし。
んで、飛び込んだ。
そしたら、美味しい魚があちこちにいて、海は冷たくて気持ちよくて。
その場で決めた。「モリで突こう。」

小学生の高学年になると、モリを1人一本持たされた経験があったから
なんとなくだけど、できる気がした。

普通に釣具屋さんに売ってる1本1000円のモリを買って、その次の日から、モリで魚突き。そんな簡単にはいかなくて最初は、釣果0。
でも、人間てすごいのね。空腹で魚を狙うといつもより魚の動きが遅く感じて、とれるのさ。

そんなことを友達に話したり、ついたりしてたら、いつの間にか一緒に楽しんでくれる人も増えて、食べもの探しがアクティビティにもなっていった。
そういう仲間たちと一緒に居たら、あの海藻食べれるとか、大潮の日には貝が取れるとか、川でエビが釣れるとか。そんな情報が入ってくるようになって、1日夢中で狩猟採集してた。

コロナ騒動とステイテント

そんなときに起こった、コロナ騒動。突然の外出禁止とマスク着用。
消えていく楽しかった毎日。ついにはステイホームになって、
「私の人生の夏休みよ~」って思ってたこの生活が一気に0になった。
辛すぎてどうしたらいいかわからなくて、その時の園長に聞いてみた。
「ステイホームの意味は、誰にも会うな。ということですよね?」
「そういうことだ。」

そこからはじまった、私のステイテント生活。
2週間テントで過ごしながら自給自足生活の経験。
滝でシャワーを浴び、洗濯をし、魚を突いて火を起こしてご飯を作る。トイレ作りや刃物研ぎ、塩作りなど
どれも単体~2つくらいまでは同じ日にやったりしていたけど、それを毎日続ける、はじめての経験。
手元にあるのは、自分で必要だと思って用意したものだけ。
ナイフとかモリとか、図鑑とか。
一生懸命考えて荷物を選んだけど、蓋を開けてみれば足りないものだらけ。
誰のせいにもできない、すべてが自分のせい。

寂しい、変な音聞こえる、怖い、不安、ドキドキ。台風こないかな、動物こないかな、変な人来ないかな・・・。
寝るときはポケットにナイフ、真横にモリを置いて就寝。

わぁ、あさが来た。太陽ってこんなに・・・・・。
さぁ、薪拾いしないと。

2週間が終わり、私の中で一つ大きな自信がついた。
「わたし、海があればすぐに死なない。」

自給生活中に感じたこと

生きるのに忙しいのは幸せだということ。
自分はちっぽけだということ。
人間によって、私によって、破壊されている自然があるということ。
でも、破壊された自然を回復させるチカラもあるということ。
回復を上回って破壊すると、回り回って自分が苦しくなること。
足りないから、頭を使うこと。周囲に目を向けられること。
頭を使えば、意外と解決できることが多いこと。
自然の中では、自分の感覚をすべて使うこと。
感覚をフルで使うと疲れて夜ぐっすり眠れること。
失敗体験があるからこそ、頭を使うこと。
頭をつかって成功するから、大きな自信につながること。

これがじぶんの生きるチカラだということ。


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