kuroyuri(クロユリ) 愛する人へ 一話「出会」

「莉子!ちょっと待ってよ」

普段は、静かな午後の住宅街。
だが、雲行きが怪しくなってきたため、洗濯物を取り入れるなどで騒がしかった。

「あれ、傘持ってかなくていいの?」
「えっ、どうして?」
「今日、夕方から雨だってテレビで言ってたよ」
「大丈夫。今日はバイトないから、それまでには帰ってこられるよ。それに、いざとなったら莉子に電話すればいいことだし」
「困るー。私も色々と忙しいんだからー」
「何がそんなに忙しいの?」
「んーもー!何だっていいじゃなーい」

莉子(りこ)は、親友である沢井絢(さわい あや)の言葉も耳には入らず、あの日の会話を何度も思い返しながら走り続けていた。
九月も半ばだというのに日中は涼しくならず、莉子の短く切った髪と汗ばんだ高校の夏服でちょうど良いぐらいだった。

「もう、そんなに急がなくても」

絢は長い髪を振り乱し、何度も空を見上げながら、その状態を気にしていた。

「うわぁ、これはもう降ってくるな」

今にも振り出してきそうな曇天の下。
莉子は更に走り続け、自分の家に駆け込んで行く。
その後を追うように絢が入って行った。
家の表札には「橘(たちばな)。」
郵便受けには莉子以外に、誠次(せいじ)、清恵(きよえ)、美果(みか)の名前が書かれてあった。

「ふー、降ってくる前に着いて良かった」

莉子は、すでに二階に上がって行った。

「おばさん、こんにちは!」

絢は、入って左側の居間にいる莉子の母親、清恵に大きな声であいさつをした。
その声のトーンは、いつもより高かった。

「ねえ、絢!早く上がってきてよ」

莉子に催促された絢は、母親に会釈して莉子の部屋へ向かう。

「早く、あの紙をもう一度見せて!」

莉子が、自分の部屋の中から手招きをしていた。

「わ、わかったわよ。そんなに急かさないでよ」

絢は持っていた鞄の中から、学校で見せた用紙を探している。

「でもそれって、本当なの?」

学習机の上に置いてあったノートパソコンを、ベッド横のサイドテーブル上で起動させながら念を押した。
パソコンのログイン名は「MIKA」と表示されていた。
部屋の中、白のチェストの横で、タワー型の扇風機が二人を涼ませている。

「あった、あった! 良かった、無くしたかと思っちゃった」

絢から用紙を渡してもらった莉子は、そこに書かれてあったURLを打ち込んだ。

「えー、何これ!」

莉子の言葉に驚いて、絢もパソコンを覗き込む。
そこには「ユーナの成長日記」と題されたブログが開かれていた。

「あ、本当だ」

絢は莉子からもう一度、用紙を自分の元に戻し、書かれてある内容を見直した。

「莉子、それで合ってるわよ」

絢の言葉に驚く莉子。
さらに、書かれてある内容を続けて説明する。

「えーっとね。その、画面上部のタイトルを右クリックする」

絢の指示通りにマウス操作を行う莉子。
すると、その項目の中に「パスワード」というのが目に入った。

「ねえ、ねえ。絢、これって!」
「そうそう。それをクリックして」

案の定、「パスワード」を入力するウインドウが現われた。

「いい、順番に言ってくわよ」

莉子は絢の言葉を聞き逃すまいと、正座して構えた。

「まず、ケイ」
「最初は、kね」
「次に、ユー」
「uと」

絢と莉子のそのやり取りは、合計8回続いた。
最後の文字を打ち終わった莉子は、その連続した言葉を復唱した。

「kuroyuri(クロユリ)?」

莉子が言葉の意味を求めようと発したセリフを、今度は、絢が強く遮る。

「ちょっと待って!」

その絢のあまり今まで見せたことのない表情に、莉子は少し驚いている。

「ねえ、莉子。わかってると思うけど、ここから先は、私にもどうなるかわからないわ」

莉子は、絢がとても不安がっているのを見て冷静に返答した。

「絢。私、もう決めているから。お姉ちゃんのためなら何でもするって。例え、私自身がどうなってでも……」

莉子は、学習机の上に飾ってあった写真立てをじっと見つめた。
そこには、お互いに長い髪をして仲良く写っている莉子と姉、美香の姿があった。
絢は、自分とは違ってあまりにも冷静でそして、全てを覚悟しているという莉子の決意に返す言葉がなかった。
莉子の人差し指がその意志をパソコンに伝えた次の瞬間、その画面は真っ白な光を放った後、黒い翼と黒い剣が描かれたのだった。
奇しくも外は、あの日と同じく雨が降り始めていた。


そこは、閉鎖され廃墟と化した工場だった。
念のため、莉子たちはフリーメールを利用して送信をした。
そんな莉子たちの元に返ってきたメールには、ここが指定されていたのだ。
学校帰りに莉子は、絢といっしょにその場所を訪れていた。
夕日で赤く染まっていくその放置された場所。
辺り一帯に無造作に生えている雑草は、昨夜の雨のせいで濡れていた。
施錠され、重く閉ざされているはずの鉄の門が壊されていた。

「この中に誰かいる!」

そう、莉子と絢はお互い顔を見合わせた。
一応、持ってきた懐中電灯を用意し、敷地の中へと足を踏み入れていく。
向かった先の景色には、夕日に照らされた無数の巨大な機械や工具類があり、さらに気味悪さを増していた。
二人にはそれで何が作られていたのか見当もつかない。
辺りは暗さを増し、絢はとても不安な表情を浮かべている。
そんな状況でも、莉子は冷静だ。

二人はとりあえず、いくつか並んで建っていた一番手前の建物に入ることにした。
最初は並んで進んでいた二人だったが、いつの間にか莉子が先頭に立ってその後をすがるようについて行く絢の姿があった。

どの位置をどれくらい進んだだろう。
辺りには二人が照らしている懐中電灯の明かりだけがその場に浮いていた。
周囲は静まり返り、いつしか虫の鳴き声が響いていた。

すると突然、二人がいた場所の周辺に強い光が放たれた。
二人は、あまりにも突然の出来事に声を上げ、仰け反った。
莉子は、少しでも早くその状況を打破しようと遮られる視界を正常化しようとした。
するとそこにはスーツやネクタイ、足元まで全身黒ずくめの男の姿があった。
その男の左腕には一つが五十粒で、十粒ごとに一回り大きい粒が二重になった数珠繋ぎのブレスレットを身に着け、椅子に脚を組んで座っているのが見えた。
莉子自身も、意識をハッキリさせながら「大丈夫?」そう、絢に声をかけた。

「莉子、一体何が起こったの……」

絢の問いを聞きながら、改めて辺りを見回した。
ここは閉鎖されてからかなり経っている。
もう電気は通ってないのだから機械が突発的に動くことはない。
もちろん、以前の関係者が用のなくなったこの場所に来る必要性もないはずだ。

「二人で来たのか」

男の発したその一言で、二人は全てが飲み込めた。

「どっちが、今回の依頼者だ?」

莉子は、絢を立ち上がらせて男の方へ近づいていく。

「私です……」

莉子が右手を軽くあげ、そう男に向かって返答する。
黒のスーツ姿に男の白髪が際立っていた。

「こちらの話もしたい。二人とも、まずはそこに掛けてくれ」

莉子と絢の後ろには、いつの間にか、男が座っているアンティークの椅子と同じ物が二つ用意されていた。
二人は後ろを何度も振り返りながら、恐る恐るその椅子に腰を下ろした。
そして、持っていた鞄などを膝の上に置き、いざという時のために備えた。

「あの……」

気が焦っていた莉子は、自分から切り出した。
すると、それを制止するかのように男は立ち上がり、莉子の方へ近づいて行き莉子の前で跪(ひざまづ)く。
そして、右手で莉子の額に手を当てそのまま数秒間目を閉じた。
男の行為には、莉子に対して愛おしさが感じられた。
莉子たちは、その行動に呆気を取られている。

「なるほど」

男は、そういうと自分の椅子に戻って掛け直した。

「あの……」

莉子は同じセリフを男に対して投げかけた。

「姉さんの敵討ちか」

男の言葉に、莉子と絢は黙ったまま顔を見合わせた。
送信したメールには、依頼の用件はおろか、名前すら書く欄がなかったからだ。
それなのに、この男は莉子の言わんとすることを言い当てたのだ。

「どうしても許せないんです!できることなら、自分でお姉ちゃんをひき殺した犯人を見つけ出し……」

その莉子の言葉に、身につまされた絢は少し涙ぐんでいた。
しかし、男の表情は変わらないでいた。

「わかった。お前の依頼、引き受けることにしよう」

莉子たちは笑みを浮かべたが、すぐに暗い表情になった。

「どうした?」
「あのー、そいつのこと、まだ何にもわかってないんです……」
「心配することはない。そいつのことはこちらで調べる」
「それと、あとで必ず何とかします。だから、お金の事はもうちょっと待って下さい!」
「金も必要ない。依頼を受けることは、俺自身のためでもある」

莉子と絢は、安堵の表情で見つめ合った。

「ただし、保険をかけさせてもらう」
「保険って……?」

男の意味深な言葉に、莉子は恐る恐る聞き返した。

「わかっていると思うが、この件が完了すれば、お前達は殺人の手助けをしたとして従犯になる。俺の存在を知らぬ者に口外はしないと思うが、もし、そうすればお前達の命もいただく。あと、この依頼の相手に非がなく、イタズラ的な行為でも同じことになる」

二人は絶句した。

「つまり……、この依頼は命を賭けて行えと」

莉子の声が真剣さを増す。

「そういうことだ。だが、それが出来ないというのなら強制はしない。今すぐここから立ち去ればここでの言動は全て忘れることができ、今までの生活に戻ることができる」

男の忠告を聞いて、絢は莉子に目線で促している。
だが、莉子の強い意志は変わらなかった。

「それでいいわ。けれど、あなたのことはまだ信用できないわ。名前も知らないし、本当に実行してくれるかどうか……」
「いいだろう」

男は、自分のことを「シラハ」と名乗った。
そして、「イシガミ カズヤ」という名前を覚えておけと言い残し、とりあえず莉子たちの前から去った。


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