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なぜ宗教家になったの?パート1

最初にお断わりします。紹介写真と本編とは全く関係はございません。
上の写真を提供してくださった方、大変申し訳ございません。

(ここで注意書き)
私は小説家志望ではないですし、これで収益化とか、本を出そうとか、そういう希望は皆無の人間です。。ので、あまり一生懸命読まないでください。かなり適当にお付き合いください。
ただ書く事は全て事実です。※パート何番までいくか分かりませんが。

私は小さい頃からそういう環境で育ちました。が、物心ついた頃から、なんか友達の家と違うなーと。
ただ、決してこの世界感が嫌いな訳ではない。
けど、という感じでしたね。

私には兄弟がいて、私は下の方なので、好き勝手に生きることを希望しました。(もともと枠に入らない自由人)
小さい頃から音楽を素人バリバリにかじった関係で、大人になったら本場アメリカに行き、ドラム制作会社に入りたい、と真剣に考えていました。

中学1年の頃、家を宗教の関係で移転をする事になりました。
育った町には友達もたくさんいたので、親の都合で移転するということに猛反発。
移転先の中学校では知らない人ばかり、という環境になじめず、そこから誘われる悪友とつるんで、夜な夜な遊びに行くようになりました。

補足しますと、転校前に通っていた中学校は、なかなか良いほうでない評判の高い中学校でしたから、転校先には既にその情報が知れ渡っていたのです。転校当日にさっそく目を付けられました。トホホ。

あまりの素行の悪さに担任の先生からは見放されました。が、唯一いつも仮病を使って保健室に行っていたので、保健室の先生だけは味方でした。
昭和ですねー。
丁度その頃でした。トイレに行き小水をすると、尿の色が赤に近いのが出始めました。
だんだん身体が思うように動かなくなり、顔色も悪い。それを見た保健室の先生は、私のことを真剣に心配してくれましたね。そして、
「一度病院へ行きなさい」と、懇願してくれたその誠意に負けて、不良だった当時の私は、近くの個人医に行きました。
※保健室の先生は、今でも私の恩人リストの先頭におられます。

個人医の先生は「だめだ、ここでは処置のしようがない。今から紹介状を書くから大学病院へ行って精密検査をしなさい」となりました。
病名は腎臓病末期。
この時点ではまだ余裕をぶっこいてましたね。なんせ不良でしたから。
つづく 

のか?

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