ひとことはなし


この「ひとことはなし」シリーズは、コロナ禍中に信者さんに向けて書いたものです。
一般の方向けではありませんが、ご興味があれば
お読みください。記録として残す為公開します。


2022年4月21日

客間瓦葺き替えは「たすけふしん」になりますよう。
とは、常々親神様にお願いしているところです。

お道(天理教)のふしんは、お金があるからやる。ないからやらない、
というものではないようです。
社会的な常識からしたら無茶苦茶です。

この教会も同じで、お金があるから着工した訳ではありません。
着工期日は神様任せ、相手任せでした。

人間的な考えからすると、できれば着工までにお金の工面ができていれば、安心して工事を進行できます。
が、今もってお金は集まっておらず、という状況です。
ありがたいことです。

工事が進み、瓦を剥いでみると、思わぬ箇所が痛んでいて、という事は日々出て参ります。その分費用が加算されますが、それは想定内。

工事費用の支払いについては、全く心配していない。
つもりですが、食欲が全くないところを見ると、深層ではやはり気にしているのだな、と。

そんな中いつも思うのは、「これが、たすけふしんになりますように」
です。
その思いは日々強くなっています。

昨日、教会のインターホンが鳴るので出ると、聞いたことのない声とお名前の方でした。聞くと「参拝させて頂きたいのですが」と。
「どうぞ」と、その方を参拝場に通して、お話を聞かせて頂きました。

その方が言います。
「私はある宗教を20年間信仰しています。信仰は良いものだと思うのですが、どうも教えが納得できないのです。そういう思いが積み重なって、今後その宗教をどうしようか、と悩んでしたのです。
丁度その時、懇意にしている知り合いと、道でばったりと出会ったので、その話を聞いてもらいました。
するとその人が「私がお世話になっている教会があるから、そこに行ってみたら」と紹介されたという事でした。

私はこうお答えしました。
「今お世話になっている宗教を辞めることはないですよ。
今後も信仰を続けてください。
ただ、どうしても無理、ということになれば、そこからうちに来れば良いでしょう」とお伝えしました。

その方のお話を聞かせて頂くうち
「神様は、たすけふしんにしてくださっているな」と、そう感じました。
その方が、ふしんの御供をする、という訳ではありません。そういう事ではなくて、神様が引き寄せているな、という実感がありました。

帰り際、その方が「また参拝に来ても良いですか」との事ですので
「どうぞこれからも遠慮なくお越しください」とお伝えしました。

神様は「理があったら神が引き寄せる」と仰せ。
本当にそうだなあ、と改めて感じた日でした。


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